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長島茂雄 二十六 「地獄のキャンプ」若手磨く
「地獄のキャンプ」若手磨く

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地獄と呼ばれた秋季キャンプが巨人の次世代のヒーローを育てた。前列左は江川卓、同右は中畑清(1979年10月29日撮影、静岡県伊東市の伊東スタジアム球場)

 《1970年代に入って、セ、パ両リーグとも、各球団の戦力が拮抗(きっこう)し、戦国時代に突入していた。セでは、76年からの長嶋巨人2連覇の前後、74年には中日が20年ぶりに優勝。75年は広島初優勝。78年に広岡達朗率いるヤクルトが初優勝し、その勢いで阪急を破って一気に日本一に上りつめた。パでも70年、74年にロッテが優勝。79年は、近鉄が、監督に西本幸雄を擁して、球団創設30年で初めてペナントレースを制した。この年、広島が2度目のリーグ優勝を果たし、巨人は5位に終わった》

 もう小手先の補強策だけではチームの再生はできない。OH砲の王も張本(79年オフにロッテに移籍)も、ピークを過ぎていました。若手を徹底的に鍛える必要がありました。そこで10月末から11月下旬にかけて、異例の長期にわたる秋季キャンプを張ることにしたんです。これが、いまや伝説となった「地獄の伊東キャンプ」です。

 場所は伊豆の伊東スタジアム。ほら、立教への入学を目指して野球部のセレクション合宿に参加した場所です。私の野球の原点でもありました。

 V9を経験したことのない若い野手、投手を20名近くですか、選んで連れて行きました。これからの巨人を担うのはお前たちなんだと。

 《参加したのは、野手では中畑清、淡口憲治、篠塚利夫、松本匡史、平田薫、山本巧児、中井康之、二宮至、中司得三、河埜(こうの)和正、捕手が山倉和博、笠間雄二。投手では江川卓、西本聖、角三男に藤城和明、鹿取義隆、赤嶺賢勇》

 テーマは技術より精神面でした。心のキャンプでした。「意識改革」を目指したんです。プロ意識を叩(たた)き込むのが目的でした。巨人にいるから巨人選手じゃないんだ。勝ってこそ巨人選手なんだと、ね。

 宿舎も学生時代並みに、部屋ごとに詰め込んで、原点を思い出させました。キャンプというより合宿ですね。朝から夜まで。晩までじゃないですよ、夜寝るまで、野球漬け。よくやりましたよね。

 朝は8時の散歩に始まって、午前中は私もノックバットを握って守備練習。午後からはバッティングと投球練習。野手には500本、1000本と振らせましたね。走りこみも徹底的にね。夕食後はミーティングと素振り。

 松本には、スイッチヒッターを目指して左打ちを課しました。みんな、音を上げてノックで泣き出すやつもいましたがね、食らいついてきてくれました。汗と涙でどろんこになりました。今でもあの合宿を経験したものたちは、プロとしての原点だと懐かしく思い出すらしいですよね。それほど選手たちも私もコーチも真剣でした。

 《伊東キャンプで巨人の若い選手たちが必死でノックのボールを追っていたころ、広島と近鉄が日本シリーズで死闘を繰り広げていた。11月4日、大阪球場での最終第7戦。広島4―3でリードの九回裏。無死満塁。広島のマウンドには阪神から南海を渡り歩いた江夏豊がいた。スクイズをはずしピンチをしのぎ、広島を日本一に導いた度胸満点で見事なピッチングは、「江夏の21球」として今も語り継がれる》(敬称略)

(2006年7月15日 読売新聞)
by unkotamezou | 2006-07-15 23:21 | 冒險 競技 藝能 娯楽