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益子焼の陶工がカンボジアの伝統を再興

 幻の陶器と呼ばれるクメール焼をはじめかつて高度な陶芸技術があったカンボジア。内戦の影響もあって一度は廃れた陶器文化を復活させようと益子焼(栃木県)の陶工ら2人の日本人が現地で技術を教え産業として再興しようと支援を続けている。目指すのはカンボジアの焼き物と益子焼の技術をブレンドした新たな陶器だ。

 朝、集落の作業場に村の女性たちが集まってきた。同国で焼き物づくりが盛んなコンポンチュナン州中部オンドーンルセイ。昨年11月からこの集落近くに住み込んでいる益子焼の陶工、岩見晋介さん(45)は、片言のクメール語に身ぶり手ぶりを交えて、前日焼き上がった素焼きの器に釉薬を塗る実演を始めた。

 釉薬をつけて焼けば素焼きの器が光沢に富んだ陶器に変わる。材料や調合で白黒緑とさまざまな色が出せる。初めて見る釉薬の使い方を学ぼうと女性たちの視線は岩見さんの手から離れない。

 焼き物に適した土がとれるためこの集落では素焼きの器づくりは昔から盛んだ。320世帯のうち9割が焼き物で生計を立てている。「焼く技術は高い。釉薬について学んでもらい製品化していきたい」と岩見さんは話す。

 岩見さんは、コンポンチュナン州の要請で平成17年に同州と栃木県の間で始まった窯業支援事業に参加して初めてカンボジアの地を踏んだ。オンドーンルセイ集落に陶器用の日本式窯を造ったが現地指導が始まる前に支援事業の期間は終わってしまった。

 「村人のために何とか形にしてから終わりたい」。岩見さんは通訳としてかかわっていた首都プノンペン在住の山崎幸恵さん(37)と取り組みを続ける決心をし日本財団の資金を得た。仲間の陶工にも協力を求めて平成24年9月まで現地指導を続ける計画だ。

 陶器づくりの技術を学ぶのは20歳代を中心にした女性13人。リーダー格のパウさん(45)は、ドイツのカンボジア援助の一環で平成10年に陶芸技術研修生としてドイツを訪れた際に同国の陶芸関係者から見せてもらって初めてクメール焼を知った。

「こんな美しい陶器を作る技術が私の国にあったと知り衝撃を受けた。陶器文化を復活させたいと思った」

 クメール焼は19世紀にカンボジア北西部で窯跡が発見されたのを機に研究が始まっていた。しかし、長い内戦とポルポト政権のもとで資料は失われてしまった。

 岩見さんもクメール焼の再現を考えたがとても短期間でできることではない。ならばとコンポンチュナンと益子の技術を融合させた新しい陶器を作り出しカンボジア陶器文化の再興を目指すことにした。それは同時にカンボジアの地方の人びとの自立支援にもなる。

 新しい陶器の販売はプノンペンでカンボジア伝統工芸品の販売店も営む山崎さんが受け持つ。集落の伝統的な焼き物と益子焼の技術を組み合わせたコンポンチュナン焼として定着させようと販路開拓に走り回っている。

 指導が終わった後も作業場に残って予習や復習を続けるパウさんら陶工の卵を見ながら「一生懸命な姿に心を動かされる。『もう私たちだけでできる』と言ってくれるまで僕の仕事は終わらない」と岩見さんは言う。

〈クメール焼〉

 アンコールワットで知られるクメール王朝(9~15世紀)時代に盛んに作られた陶器で高い技術に裏打ちされたものとして知られる。櫛目や唐草模様がほどこされ動物をあしらったデザインもある。13世紀後半王朝衰退に伴い技術継承が途絶え幻の陶器となった。昭和50年代のポルポト政権時代に研究資料の多くが破壊され原料や釉薬の詳細はわかっていない。

平成22年4月10日午後2時53分

益子の技、カンボジアに咲く 日本の陶工、伝統再興支援
by unkotamezou | 2010-04-10 14:53 | 歴史 傳統 文化