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中川氏死去 保守派の論客、父と重なる政治家人生

 中川昭一氏が、『北海のヒグマ』と呼ばれ、やはり「将来の総理」の呼び声も高かった父、中川一郎氏=当時(57)=の自殺を受けて政界に進出したのは昭和58年12月。30歳のときだった。保守、農政、時に見せる大胆さ…、父と重なり合う政治家人生だった。

 「私の1回目の選挙であるのと同時に、中川一郎8回目の最後の戦いです」。一郎氏の秘書を務めていた鈴木宗男議員も同時に出馬したため、初の選挙は後継者争いや後任問題をめぐり“骨肉の争い”と注目を集めた。

 政界では、父ゆずりの農政通として知られ、2回にわたり農水相を歴任。

 平成19年12月に保守系議員らと政策研究会を立ち上げた時は、父がかつて石原慎太郎都知事らと保守の政策集団「青嵐会」を結成したことを引き合いに「われわれは、その政治的DNAを受け継いでいる。歴史的使命を果たしていきたい」と述べた。

 ただ、酒癖の悪さが、さまざまな形で取りざたされてきた。今年2月にローマであった先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の“もうろう会見”は、国際的にも批判を浴びた。その際には「風邪薬を普段の2倍ほど飲んだ」「昼食会でグラスワインが出たが『ごっくん』と飲んではいない」と釈明したが、財務相辞任に。

 8月の選挙戦では「必勝」と書かれたはちまきを巻き「なんとしても勝ち抜かせていただきたい」と訴えたが落選。その後は「私には何の力もなくなったが、みなさんにご恩返しをしたい」と、復活に意欲を見せていた。

21/10/04 21:59

中川氏死去 保守派の論客、父と重なる政治家人生
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by unkotamezou | 2009-10-04 21:59 | 政治 行政 立法