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ノーベル物理学賞 小林誠氏、益川敏英氏、南部陽一郎氏

■アインシュタインに魅せられて 小林誠氏(64)

 名古屋市で内科医の長男として生まれた。「遊んでばかりいる、ごく普通の子供」だった。勉強は国語や漢字の書き取りが苦手。「覚えるのが嫌だったから、語学系はだめ」。部活動は中学、高校と硬式テニス部に所属した。

 小さいころから理数系は得意だったが、物理学に興味を抱いたのは高校生。アインシュタインが相対性理論について書いた一般書「物理学はいかに創られたか」(岩波書店)を読み、「パラドックスを解く面白さにひかれた」という。

 当時は日本の素粒子論の黎明(れいめい)期。「坂田モデル」で知られる名古屋大の坂田昌一博士の研究業績が新聞で報じられ、刺激を受けた。「原理的なもの、シンプルで一番基本的なことをやってみたい」。名古屋大に進学後、迷うことなく坂田研究室へ。そこで当時助手だった益川敏英氏と運命的な出会いを果たす。

 素粒子論の魅力は「法則があって、その帰結を求めるのではなく、法則そのものを見つけること」だという。「自分が想像したことを実験でチェックし、矛盾の有無を確かめ、パズルを解いていくやりとりが面白い。想像力の限界を試されている感じ」と話す。理論家らしく物静かに言葉を選んで話す。研究以外の話になると、一段と口数は少なくなる。音楽や映画にはまったく興味がなく、趣味も「なし」。茨城県つくば市で、妻の恵美子さん(55)と高校1年の長女の3人暮らす。

 「ぼーっとしながら(思考を)反芻(はんすう)しているときに思いつく」。新たな理論の糸口は乗り物に乗っているときに見つけるという。

■上下関係嫌う気さくな「理論屋」益川敏英氏(68)

 「理論屋」。益川敏英さんは、こう自称する一方で「先生」と呼ばれるのを嫌う。「たとえ同じ研究室でも上下関係は好きじゃない」。気さくな人柄で研究者仲間や後輩からの人望も厚い。

 名古屋市内の砂糖問屋の長男として生まれた。物理学者としての素地は小学生のころ、電気技師の経験のある父、一郎さん(故人)にはぐくまれた。

 「銭湯に入った帰り道、夜空を見ながら月食はなぜ起きるのかとか、電気モーターの仕組みなんかを教えてくれるんです。おかげで理科がすごく好きになりましたね」

 中学、高校時代の数学や物理の成績はずば抜けていた。素粒子論との出合いは高校1年の時。名古屋大教授だった坂田昌一博士が発表した素粒子理論を伝える新聞記事を読んだのがきっかけだった。

 「身近な場所で世界的な科学が生まれていることに感動した。名古屋大に入ろうと思ったのもこの時です」

 入学後、友人や先輩をつかまえては大声で議論を挑み、「理論屋」の本領を発揮。同級生だった東京電機大の野村博康教授は「こっちが正しくても言い負かされてしまう。愛情を込めて『いちゃもんの益川』と名付けました」と語っていた。

 60年安保闘争が盛んだった時代で、学生運動のデモにも参加した。そんな時でも学生服のポケットにはいつも物理の本が。

 数学と物理のセンスが認められて念願の坂田研究室の一員に。当時、助教授だった大貫義郎名古屋大名誉教授は「独創的な発想をする若者が入ってきたと感心した」と振り返った。

 平成9年、講演中に脳内出血で倒れ、入院生活を余儀なくされた。退院後はできるだけ歩くよう気遣うが、後遺症で「メモなしでは記憶がぽっかりと抜けるときがある」と豪快に笑った。

■「物理学の醍醐味は謎解きの面白さ」南部陽一郎氏(87)

 「物理学の醍醐味は、クロスワード・パズルのような謎解きの面白さ」。米シカゴ大名誉教授の南部陽一郎氏は昨年6月、日本に一時帰国した際に取材に応じ、物理学の奥深さをこう表現した。

 素粒子論の世界的権威。小学校入学前から科学の本を与えられ、小学校時代には鉱石ラジオを作って遊ぶように。東大理学部を卒業後、29歳で大阪市立大教授に就任。昭和27年から米国で研究生活を続け、物質の質量の起源を説明する「対称性の自発的破れ」や量子色力学、ひも理論など数々の独創的なアイデアを提唱。素粒子の標準理論の構築に大きく貢献した。独創的な研究は、「10年先を知りたいなら、南部の論文を読め」と高く評された。

 南部教授が所属するシカゴ大学のエンリコ・フェルミ研究所の同僚、エドワード・ブルチャー教授(47)は電話取材に「素晴らしい。教授は私よりずいぶん年上だが、名誉教授となってからも毎日のように研究室に来ていた。輝かしい業績を残しており、研究は受賞に値する」と祝福した。

 論語の「学びて思わざれば(すなわ)則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし」が信条。自分で考えることと、他人から教わることはともにないがしろにしてはならない、という意味だ。「研究は汗と不満と甘い夢でなり立っている」。自身はかつてこう話した。エジソンに憧れた科学少年の研究は、大きく結実した。ノーベル賞についても、20年近く前から候補として名前が挙がり続けていた。受賞の知らせにも「毎年のことなので期待してなかった」と余裕の表情だった。

20-10-08 00:54

ノーベル物理学賞 小林誠氏、益川敏英氏、南部陽一郎氏
by unkotamezou | 2008-10-08 00:54 | 自然 科學 技術