2009年 10月 05日
中川昭一元財務相(56)の急死を受けて4日、盟友だった麻生太郎前首相(69)が「ショックが大きく言葉がない」と述べるなど、政界からは与野党を問わず驚きと無念の声が上がった。特に再起に期待していた自民党議員の間では、将来の首相候補を失ったことへの衝撃が広がっている。 世田谷区内の中川氏の自宅には報道陣ややじ馬らが集まり一時騒然となった。近所に住む60代の主婦は「時々お見かけしました。9月はじめ頃には短パン姿で元気に散歩されていて…。普段は意外と気さくな方で皆さんに声を掛けていらっしゃったと思います」と偲んだ。また別の近所の住民によると救急隊員らが死亡を確認して引き上げた直後、中川氏の妻は玄関から外に現れ、声を上げて泣いていたという。 21/10/05 08:28 中川氏急死に妻、号泣…自宅前一時騒然 #
by unkotamezou
| 2009-10-05 08:28
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2009年 10月 05日
シャイな人だった。何より、繊細な人だった。衆院当選8回、農水相、経済産業相、財務相、自民党政調会長…と要職を歴任した大物政治家であるにもかかわらず、はにかんだ笑顔のよく似合う、子供のような純真さを持ち合わせていた。 「おれは子供には『おれがいつか襲われて殺されても驚くな』と言い聞かせてあるんだ」 中川昭一氏は拉致議連会長を務めていた当時、政治家としてのこんな覚悟を語っていた。だが、死はもっと皮肉な回り合わせであっけなく訪れた。56歳という若すぎる最期には、ただ言葉を失うしかない。 「あの件さえなければ、今ごろ昭ちゃん(昭一氏)が自民党総裁だった」 盟友の安倍晋三元首相は故人を悼む。「あの件」とは中川氏が財務・金融相時代の今年2月、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見で「酩酊」したかのような姿を見せて、引責辞任したことを指す。 この一度の失敗で、中川氏が長年積み上げてきた実績も名声もはかなく吹き飛んでしまった。先の衆院選で落選し、議席も失った。 確かに中川氏は酒席で、ときにはめを外し深酒することもあった。それも、強すぎる感受性をまひさせたかったからだろうと思う。素顔は、少し人見知りのまじめな勉強家だった。 平成9年、中学歴史教科書のすべてに慰安婦記述が載ったのをきっかけに、安倍氏らと自民党「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成した。左派イデオロギー色満載だった教科書が是正されていく第一歩だった。 14年には超党派の拉致議連会長に就任したほか、永住外国人への地方参政権付与や民間の言論抑圧につながる人権擁護法案に反対した。一方、靖国神社参拝を推進するなど、常に保守系議員活動の前面に立った。 今や保守系の諸運動は衰退期にあるようなありさまだ。その中で忘れられるか過小評価されているが平成10年代の保守勢力の勃興と伸長は、中川氏が安倍氏らとともに推進役を担ったのは間違いない。 一方で、現実を見据えたリアリストでもあった。20年6月、日中両国が東シナ海のガス田共同開発で合意した際には、表向き「日本のものを向こうにあげて資本参加するのでは互恵にならない」と厳しいコメントを発表した。だが、その裏では担当外交官らを集め「よくここまでこぎ着けたな」と慰労もしていた。 対中強硬派と目されてきた自分が、仮に交渉結果を評価しても、甘い顔を見せると中国側に「日本側では、あの中川氏まで喜んでいる」というメッセージが伝わる。それは今後の交渉、駆け引きのハードルを上げ、足を引っ張ることと理解していたからだ。 対中姿勢では、こんなことも語っていた。 「中国批判はたやすいが、むしろ『誠意を持って話せば分かる』と言うばかりで行動しない日本側の方が問題だ。私が中国の政治家なら、やはり今の中国のようなやり方をする」 本当に惜しい人が亡くなった。せめて自民党の中では、中川氏の志が受け継がれていくことを願ってやまない。 21/10/05 07:33 中川昭一氏死去 保守伸長、シャイな推進役 #
by unkotamezou
| 2009-10-05 07:33
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2009年 10月 05日
大相撲秋場所の千秋楽で、横綱朝青龍が見せたガッツポーズには、賛否両論がある。横綱審議委員会の内館牧子委員は、「心技体をたたき直して出ていらっしゃい」と相変わらず手厳しい。 ▼小欄は、野球評論家の豊田泰光さんが、日経新聞連載のコラムで示した見解に一番共感を覚える。現役時代の豊田さんは、本塁打を打っても、派手なポーズは一切とらなかった。逆転本塁打だと、ベンチの選手と握手する腕の振りが、少し大きくなる程度だ。だが、それを今の人に押しつける気はない。 ▼「私たちがせいぜい言えるのは自分なりに何が格好がよくて、何が格好悪いかという基準をもってほしい、ということだけ」という。確かに朝青龍個人の問題というより、「勝てば官軍」の風潮がますます強まる世相を体現しているといえる。おかげで、日本人としてふさわしい振る舞いを考えるきっかけを作ってくれた。 ▼最近、クローズアップされている「保守とは何か」という問いにもつながっている。与党民主党が、矢継ぎ早に打ち出す「改革」を見ていると、かえって守るべきものがはっきり見えてくる。保守政党として再建の道を歩もうとしている、自民党にとってチャンスではないか。 ▼党内保守派のエースだった中川昭一元財務相が、落選の挫折を乗り越え、近い将来その先頭に立ってくれるものと期待していた。それなのに、きのう突然の訃報がもたらされた。「なぜ」という思いしか浮かんでこない。 21/10/05 07:19 【産経抄】10月5日 #
by unkotamezou
| 2009-10-05 07:19
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2009年 10月 05日
「もうろう会見」でつまずいてから約8カ月。中川昭一元財務・金融相(56)の急死に政界には衝撃が走った。中川氏の自宅には弔問客が次々と訪れた。次世代リーダーのひとりにあげられていた中川氏の悲報に、再生を期す自民党は揺れている。 ■麻生氏「ショック」 「すごいショックだ。保守の理念を再生するのに最も期待されていた人物だ。自民党にとっても大きいダメージだった」 中川氏の盟友だった自民党の麻生太郎前首相(69)は4日夕、地元・福岡から帰京。羽田空港で記者団にそう語った。麻生氏はその後、中川氏宅を弔問した。 自民党の谷垣禎一総裁(64)は、「日本の政治にも力を発揮していただかなくてはならない局面が必ずあったはずだ」と悼んだ。谷垣氏は中川氏と麻布中・高の同窓生。「いろんなことでご一緒してきたので、個人的な思いもある」 中川氏は安倍晋三前首相(55)らとともに党内保守派の代表格。前回の選挙で落選しながら、民主党への対抗軸を模索する中で「保守回帰」を強める動きの中心にいた。9月下旬、親しい自民党議員らと会食した際にも「保守の柱を立てるため新しい勉強会を立ち上げるべきだ」と訴えたという。 中川氏宅を弔問した谷津義男元農水相(75)は、10日ほど前に中川氏と会った際、農政問題について「(中川氏が)『民主党を批判してるだけでは駄目。現場の人たちの話を聞きながら勉強しなきゃならない』って話していた」と明かした。「(中川氏は)落選後も『これから選挙区を回る』と張り切っていた。将来は首相にしようと思っていた」と谷津氏は沈痛な表情で語った。一方で、中川氏が所属した伊吹派事務総長の河村建夫前官房長官(66)は「落選の衝撃が大きくて心身ともに疲れていたのかなあと思う」と話した。 ■参院補選に影響も 衆院選大敗による党の意気消沈ムードは、谷垣執行部発足直後にもかかわらず、深刻化しかねない。参院補選への影響についてもベテラン議員は「いい材料ではない」と懸念を示した。 自民党は鳩山由紀夫首相(62)の政治資金虚偽記載問題の捜査が本格化したのを機に反転攻勢に出ようとしていた。その矢先に、次世代のリーダーを失った。 「もうろう会見」後、家のなかから、外で取材を受けた夫に「がんばれ、日本一」と声援を送った妻の郁子さん(50)は、救急隊員らが引き上げた直後、玄関から外に現れ、声を上げて泣いていたという。 【日銀総裁「盟友」の死悼む】 先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)でイスタンブルールに滞在中の白川方明(まさあき)日銀総裁(60)は「突然のことで大変驚いています。心からお悔やみを申し上げます」とのコメントを出した。白川総裁は、中川氏と金融危機対応などで協力してきた間柄。記者会見に出席した中川氏が、同席した白川総裁の水に手を伸ばしたシーンなどが世界に伝わったが、同じG7中に起きた悲報に、白川総裁は「かなりのショックを受けていた」(関係者)という。 地元・北海道帯広市。父、一郎氏の時代から40年以上支援してきた鈴木孝昌帯広市議は「次のことは考えられない」と困惑していた。 21/10/05 02:05 次世代リーダー喪失 再生期す自民に衝撃 #
by unkotamezou
| 2009-10-05 02:05
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2009年 10月 05日
中川昭一元財務相の突然の訃報に、政界には衝撃が走った。先の衆院選での自らの落選と自民党惨敗を受けて、再起と保守再生に向けた活動を期待されていただけに、東京・世田谷の自宅に駆け付けた自民党幹部ら弔問客からは「残念でならない」との声が続いた。 中川氏の盟友だった麻生太郎前首相は4日夕、地元・福岡から急遽帰京。羽田空港で記者団を前に「すごいショックだ。保守の理念を再生するのに最も期待されていた人物だ。自民党にとっても大きいダメージだ」と硬い表情で語った。 麻生氏はリーマン・ショック後の経済対策での中川氏の功績を称えると、慌ただしく弔問に向かった。 弔問を終えた安倍晋三元首相は「本当、本当に残念だ。昭一さんを失ったことは大きな損失だ」と辛そうに語った。 10日前の電話が中川氏の最後の会話だったと話す安倍氏。「元気そうで『保守再生のために安倍ちゃん、がんばろう』と言っていたのだが…」。安倍氏は対面した遺体に「安らかにお眠りください」と語りかけるのがやっとだったという。 自民党の谷垣禎一総裁は、「こんな知らせを聞くとは思っていなかった。日本の政治にも力を発揮していただかなくてはならない局面が必ずあったはずだ」と早過ぎる死を悼んだ。 谷津義男元農水相は、10日ほど前に話したときに中川氏が「農政は民主党批判だけではダメ。現場の声を聞きながら勉強しなきゃ」と意気軒昂だったと故人を偲んだ。また、遺体の様子について「以前見た寝顔とまったく同じ表情だった」と安らかな表情だったことを説明した。 拉致問題などで行動をともにした平沼赳夫元経済産業相(無所属)は「衆院選後も将来を語り合った。捲土重来を期す、と大変張り切り、新しい、正しい保守の流れを作ろうと意気投合していたのに」と肩を落とした。 21/10/05 00:27 中川氏死去 麻生、安倍、宗男…政界に衝撃、涙 #
by unkotamezou
| 2009-10-05 00:27
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