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渋柿の渋味抑える技術開発、柿うどん販売へ

 福島県喜多方市内の食品製造業者などで作る「喜多方身不知柿商品開発研究会」(佐藤富次郎会長)は5日、渋柿を食品加工する際の新技術の確立に成功したと発表した。

 渋みを抑えることで、菓子や甘酒など様々な商品への加工が可能になるという。まずは柿うどんを発売する。

 柿の渋抜きには、これまでアルコールや二酸化炭素を使った方法が普及しているが、食品加工をする場合、加熱が伴うと、渋みが戻るという難点があった。このため同会は平成二十年、新たな技術開発を県高度技術場(福島県郡山市)に委託。その結果、たんぱく質を分解したある物質を柿に少量加え、粉砕すると、渋みのもとであるタンニンを不活性化させる働きがあることを発見。これで渋抜きができ、渋戻りの抑制もできたという。この技術法で特許を出願している。

 五日は、喜多方市保健所で新技術の発表とともに、実際に作った加工品の試食会を開催。十三日から発売する柿うどんのほか、糊状にした柿ピューレや柿ゼリー、甘酒などの試作品が出され、出席者からは「柿の風味がする」などと好評だった。佐藤会長は、「全国の渋柿産地の新たな商品作りに結びつく画期的な技術。今後、濃縮して柿の味がより残るように工夫したい」と話している。

平成二十二年二月六日 午前九時二十一分

渋柿の渋味抑える技術開発、柿うどん販売へ
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by unkotamezou | 2010-02-06 09:21 | 産業 經濟
秋田で伝統の奇祭 掛魚祭り

 立春の四日秋田県仁賀保市金浦で水揚げした生の鱈を棒にぶら下げて市内を練り歩く伝統の奇祭「掛魚(かけよ)祭り」が開かれた。

 真冬に日本海で水揚げされる鱈は味が良いが海が荒れる為漁は命懸け。海上安全と豊漁を祈願して三百年以上前に始まった。

 鱈は重さが十五瓩にもなる大物も。金浦漁港から漁師や小学生らが二人一組で担ぎ約二粁先の神社に奉納した。苦行の末に願いはかなうか。

平成二十二年二月四日 午後三時二十四分

秋田で伝統の奇祭 掛魚祭り
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by unkotamezou | 2010-02-04 15:24 | 歴史 傳統 文化
石垣島で二万年前の人骨発見

 沖縄県石垣市石垣島の洞穴から旧石器時代の約二万年前の人骨が見つかったと同県が四日発表した。二十代から三十代前半の男性頭骨の破片で年代を直接測定出来た人骨では国内最古。測定データの解釈によっては約二万四千年前の可能性もある。日本人の起源を探る上で重要な手掛かりになると期待される。

 琉球大や東京大愛知教育大京都大などとの共同研究。論文が日本人類学会の英文誌に掲載される。

 発見場所は建設中の新石垣空港の敷地内にある白保竿根田原洞穴。動物の骨等と共に人骨片が九点見つかりこのうち六点からコラーゲンを抽出。放射性炭素に基づく年代測定を行った。

 その結果頭骨の頭頂部右側の破片が約二万年前 成人の右足第二指の骨が約一万八千年前 成人男性の右脚骨の破片が約1万五千年前と推定された。

 年代の直接測定でこれまで国内最古だったのは昭和三十年代に静岡県浜北市で見つかった約一万四千年前の浜北人の骨。人骨が出土した地層に含まれる炭化物の年代を測定する間接的な方法では沖縄本島の八重瀬町の港川人が約一万八千年前 那覇市の山下町第一洞人が国内最古の約三万二千年前と推定される。

平成二十二年二月四日 午後一時四分

石垣島で2万年前の人骨発見 直接年代測定で国内最古 日本人の起源解明に期待
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by unkotamezou | 2010-02-04 13:04 | 歴史 傳統 文化
支那人お断りの日本語学校

 平成22年に入った1月13日テレビなどでもおなじみの台湾出身の金美齢氏が理事長を努めていることで知られるJET日本語学校にお邪魔した。池袋から埼京線で一駅「板橋」の駅のすぐ前にある。駅を降りればすぐにその建物に目が行くほど近い。

 早速金美齢理事長にお話をお聞きした。

 「日本と台湾はこの50年他の二国間の関係とはかなり違う特殊で濃密なときを刻んできました」と金美齢先生はインタビューの最初に言った。「そして平成12年から20年くらいまではこの両国にとって一番良かった時代だったのではないでしょうか」とそのことばを結んだ。

 「私は留学生として日本に来てたくさん学び仕事をして今日まで来ました。祖国に感謝し日本に感謝しています。日本に本当の意味で勉強に来る留学生に良い環境を与えたいと思っていてそのためにこの学校を作りました。日本に来た留学生が日本に来て勉強して良かったと思ってくれるように努力しています」。テレビで見る金美齢先生は本当に気負わず言いたいことをはっきりとわかりやすく話す人だが実際にお会いしてみるとテレビで見た姿そのままのお話と人柄だった。どこにいても変わらないはつらつとしたお話はいつ聞いても人の心に響く。

 JET日本語学校には約150人が在籍する。台湾と韓国の留学生が主でこの2つの国から来た留学生で全体の8割を占める。ごく特別な場合を除いて15年前から支那人の受け入れは一切行っていないというのも同校の特徴だ。すでに平成17年からは支那人の留学生は1人もいないという。

 失礼ながらJET日本語学校は場所は板橋の駅の前というちょっと寂しい立地のうえ学校の入っているビルもピカピカなきれいなビルというわけではない。しかし学校の中に一歩足を踏み入れると非常に明るく暖かな雰囲気がわかる。そこで学ぶ学生も職員もこの環境に馴染んで勉強に励んでいる空気を感じる。金理事長の人柄がこの学校を支えているのがよくわかる。

 日本にある外国人のための日本語学校は海外から出稼ぎに来る外国人の日本に来るための理由として使われるだけのところも少なくないがこの日本語学校はそういうことがない。あくまでも生きた日本語の習得が中心だ。お聞きしたところではどこかに行ってしまって学校に戻ってこないという行方不明になる生徒は一人もいないという。また学生集めのためにコミッションをどこかに払うということもないとのこと。あくまで日本で学ぶことができる日本語の力をしっかりとつけるための質の高い教育ができる環境を作ることに集中しているのだ。

 しかしそうは言うものの日本の国にせっかく来た留学生への心のケアもふくめきめ細かいカリキュラムを用意しているこの学校では観劇などの日本文化を肌で知るための課外活動も盛んだという。

 「こういった教育はこの人数の学生だからできるのかも知れませんね。もっと増えると教育の質が落ちると思います。だから学生をむやみやたらに増やさない」JETの日本語教育はその質にこだわっていることがわかる。この学校の運営は理事長の厳しく温かい人柄がそのまま出ているようにPJには感じられた。

 金美齢氏は平成21年9月日本国籍をとった。そのときの経緯やなにを考えたかということは雑誌正論に自ら書かれていたのでご存じの方も多いだろう。そのことも今回お聞きした。もちろん台湾のみならず支那の歴史への深い造詣がありそのうえで日本という国にもやはり深い思い入れを持って世界を見つめ現代に生きる知識人としての誇りを胸に掲げての日本国籍取得だった。それでもやはりこのときは悩んだという。「私の第一の祖国台湾は程なく支那にのみ込まれます。平成20年の総統選挙で民進党が破れ国民党政権となったときいわゆる中華思想の防波堤の最前線は日本に移ったと思ったのです。このときに日本国籍を取ることを考えました」これもまた明快なお答えだった。

 人のこころの自由考え行動することの自由を守る最前線基地の女司令官は前方の敵を厳しく見つめながら楽しく活き活きと指揮をとっていた。

平成二十二年二月四日 午前八時零分

支那人お断りの日本語学校
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by unkotamezou | 2010-02-04 08:00 | 國防 軍事
天皇陛下 体調崩される 風邪の症状等

 宮内庁は二日午後天皇陛下が同日午前十時四十分頃お住まいの皇居御所で気分が悪くなられたと発表した。症状は落ち着いており夜には執務したが大事を取って週末まで御所で静養される。

 陛下は三日から皇后陛下と共に葉山御用邸で静養する予定だったが取り止められた。

 宮内庁に依ると陛下は一月卅一日から喉の痛み等の風邪の症状を訴えられていた。これに加え二日未明に腹痛を伴う急性腸炎の様な症状があり不眠や脱水症状もみられたという。

 メキシコのカルデロン大統領夫妻と一日に会見する等陛下は前日まで通常通り公務を行われていた。

平成二十二年二月二日 午後六時二十七分

天皇陛下 体調崩される 風邪の症状等
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by unkotamezou | 2010-02-02 18:27 | 皇室
茜色の秋田新幹線 仕様公開

 国鉄東日本は二日国内最速の時速三百二十粁での営業運転が予定されている東北新幹線E五系に繋ぐ秋田新幹線用の新型車両E六系の仕様を公開した。

 茜色と白の胴体に銀色の線が入り先頭車両の鼻先は従来のE3系こまちのほぼ倍の十三米もある近未来的な設計。茜色は秋田名産の林檎や秋田竿燈祭の明かりを基とした。

 曲がりを滑らかに抜けられる車体傾斜装置を搭載した他揺れを吸収する全能動懸架装置を全車に付ける等形状と装備の両面で高速走行を意識した作りになっている。

 独特の形状で先頭車両の座席が減る為現行より一両多い七両編成にして同じ定員を収容する。

 今年七月からまず一編成を走らせて性能を試し平成廿五年春を目途に営業運転を始める予定。

平成二十二年二月二日 午後五時三十二分

茜色の秋田新幹線 E六系仕様公開
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by unkotamezou | 2010-02-02 17:32 | 産業 經濟
新潟の老舗書店「北光社」百九十年の歴史に幕

 新潟市の古町十字路にある老舗書店「北光社」(同市中央区古町通六)が一月卅一日、百九十年の歴史に幕を閉じた。古町の看板書店として親しまれ、待ち合わせの名所にもなっていた同店。最終営業日となったこの日、思い出の場所の最後を見届けようと多くの市民が詰めかけ、閉店を惜しんだ。

◇思い出の場所

 午前九時半の開店後、最後の記念にと来店する客が徐々に増え、昼前には勘定前に列も。混雑は夜遅くまで続いた。

 四十年前から同店を利用していた新潟市中央区の主婦、佐藤りつ子さん(八十)。長男が高校生のころ、一緒に古町に出かけた時の待ち合わせた場所だったといい、「楽しい思い出があり、閉店は残念です」と話した。

 中学時代に同店で坂口安吾の「堕落論」を買ったのが思い出という同市東区の会社員、古屋公章さん(三十二)は、この日、本を七冊買った。「本好きになったのも北光社のおかげ。古町が古町でなくなってしまうようだ」と無念の表情を見せた。

 店内には、古くから使われてきた店の判子を利用した判子場も設けられた。購入した本に判子を押した新潟中央高一年の藤波詩織さん(十六)は「店員さんの雰囲気が良く、来るだけでわくわくしました。ここにあったことをずっと忘れたくありません」と語った。

 閉店後の跡地利用を巡っては、地元の商店街組合などが江戸後期の禅僧、良寛の資料や文献を展示する施設をつくる構想を検討している。「新潟良寛会」の柳本雄司会長によると、計画案を既に新潟市や地権者に提出したという。

◇言づて

「私は八十才、いま癌と闘病中です。北光社から母が買ってくれた英語の辞書を今も保存しております」

 店内の記入場や郵送、電子便で募った市民からの言づて。陳列窓や店内の壁に飾られた中の一つに病床から綴られたと見られる物もあった。

「貴店の閉店を聞いて涙が出ました。青春、壮年、老年を通じて北光社の書籍でどれほど知識を深めたことでしょう。私は間もなく消えゆく運命にありますが、北光社の再びの開店を祈念しております」

 集まった言づて五百0通以上。斎藤幸成社長(五十)は「店を閉めることになり申し訳ない気持ちで一杯。今まで利用してくれたお客さんに心から感謝したい」と最後に語った。

◇北光社

 江戸後期の文政三年、旧水原町(現阿賀野市)で「紅屋潤身堂」として創業。明治卅一年に古町へ移転し、社名も「北国に文化の光をともす」という意味の現在のものに変えた。一時は市内に六店舗を展開していたが、昭和五十年の大型書店進出の対抗策として行った店舗の増床が裏目となり、負債を抱えることに。売り場の縮小や店舗数の削減などで八年前から黒字に転換したものの、昨年十二月に取引先の企業から支援打ち切りを告げられ、閉店が決まった。

平成二十二年二月一日 午後三時五十五分

<書店>新潟の老舗「北光社」 190年の歴史にピリオド
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by unkotamezou | 2010-02-01 15:55 | 自然 生活 社會 医療