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ナラ枯れ被害、山形で深刻化 前年度の四倍十一万本超

 ミズナラやコナラなどナラ類の樹木が集団枯死する「ナラ枯れ」が、山形県内で深刻化している。県と東北森林管理局などの調査で9月末現在、既に前年度の4倍に当たる約11万2000本の被害が確認された。山林のない三川町を除く全34市町村にくまなく分布しており、県は「薬剤を投入する『水際対策』だけでは被害を食い止めきれない」と頭を抱えている。

 ナラ枯れは、病原菌を付着させた甲虫「カシノナガキクイムシ」(体長約5ミリ)が、産卵のため幹に入り込むことで発生。内部で繁殖した菌が通水を妨げ、枯死を招く。県によると、昨年は27市町村で2万8361本の被害が確認された。

 本年度の被害が大幅に増えた原因について、県森林課の担当者は「空梅雨で水分が足りなくなり、樹勢が弱っていた。6、7月の低気圧による強風が、害虫を健全木に運んだ可能性も考えられる」と説明する。

 東北のナラ枯れ被害は平成3年、鶴岡市の沿岸部で初めて確認された。当時の被害は約600本。県内でこれまで最も被害が多かったのは平成17年度の約4万本だった。県外では平成12年に福島県、18年に秋田県、今年9月には大崎市でも被害が見つかっている。

 県は害虫駆除の手だてとして、10年ほど前から被害木への薬剤注入を続けているが、急斜面での作業のため効率が悪く、「害虫の移動するスピードに作業が追いつかない状態」(県森林課)だ。フェロモンで、おとりの木に害虫を誘い込む「おとり木トラップ」法の実用化も平成23年度以降になるという。

 県森林課の担当者は「山形を経由して被害が他県に広がっている可能性もあり、このまま手をこまねいているわけにはいかない。優先順位をつけて予防策を講じるなど、ナラ枯れ撲滅に向けて市町村と知恵を絞りたい」と話している。

平成二十一年十月十九日 午前九時五十六分 河北新報

ナラ枯れ被害、山形で深刻化 前年度の4倍11万本超
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by unkotamezou | 2009-10-19 09:56 | 自然 生活 社會 医療
与那国島が危ない 下

 自衛隊も海上保安庁もない沖縄県与那国町。気象観測所も昨年10月で無人化された。国家公務員は、いまや税関業務の1人だけになった。ガランとした観測所や宿舎が亜熱帯の強い日差しにさらされている。

◆警察官2人に拳銃2丁

 日夜、島の安全を守るのは、2人の警察官と彼らの携行する拳銃2丁である。その1人、久部良(くぶら)駐在所の山内聡代巡査部長(38)は沖縄本島の機動隊勤務から転勤し2年になる。

 朝夕は登下校の小中学校を、飛行機の離着陸時は空港を、そしてフェリーの出入港の時刻には港を巡回する。「制服姿がそこにあることが(犯罪の)抑止になる」と考えるからだ。

 赴任してからこれまでの犯罪は盗難が4、5件、交通事故は脱輪に横転、町長選での傷害事件などで殺人はない。ほかは台風による停電、冠水くらいだ。「できるだけ使いたくない」という拳銃の出番は幸いまだない。

 その意味で島の治安は悪くない。だが国境の島としての安心安全となると、すでに書いてきたように事情は異なってくる。

 与那国町が去る6月に防衛省に出した自衛隊配置に関する要望は、「100人規模の駐屯地」だ。

 沖縄には現在、西部方面隊第1混成団が置かれていて、南西諸島の部隊配置は190ある有人島のうち5島(奄美大島、沖永良部島、沖縄島、久米島、宮古島)のみ。陸自部隊に限ると沖縄島だけだ。つまり中国の近海防御戦略の第1列島線に入る与那国島など八重山・宮古の先島諸島は防衛力の空白地帯同然となっている。

 5年前に決定された中期防衛力整備計画(中期防)は第1混成団を旅団に格上げし、防衛省もこれを機に与那国島に沿岸監視隊として数十人程度の部隊を出す意向とされた。しかし政権交代で、防衛大綱も中期防も見直しは来年末へ先送りされた。

◆上空は台湾防空識別圏

 さらに自衛隊誘致派も反対派もそろって問題にするのが、島の西側上空3分の2が台湾の防空識別圏であることだ。防空識別圏とは進入する航空機の国籍識別や位置確認、飛行指示を行う空域で、領土の外側400~500キロ圏となっている。日本の領空なのに台湾識別圏なのは沖縄占領時の米軍が設定したままだからだ。

 危険でもあり、人々はことあるごとに問題を訴えてきたが、いまだに「知らなかった」と答える政治家もいて不信感を募らせる。

 「与那国は捨て石みたいに考えられているのではないか。この島は日本の島です。屈辱的です」と与那国町議会の糸数健一議員(56)が言えば、誘致反対派の小嶺博泉議員(38)も「防空識別圏問題も処理せずに自衛隊配備などできますか、できないでしょう」と、7月に視察で訪れた当時の浜田靖一防衛相に迫った。

 遠隔操作に任された気象観測所にも再開の希望は強い。中期防は大型化する台風など「大規模・特殊災害への対応」を新たな防衛力の役割として取り上げている。広義の安全保障の見地から気象観測の重要性は増しているのである。

 とりわけ先島諸島は台風の通り道、台風銀座だ。また与那国島は日本の気象が変わる重要地点でもある。

 歴史学者で与那国町の歴史編纂委員を務め、与那国の事情に詳しい琉球大学の高良倉吉教授は島の今後にこのような提言をする。

 「与那国島を地域の総合的な危機管理の拠点にしていくのはどうか。石油タンカーによる汚染、流木やゴミ被害など問題は与那国島に限らず地域全体の問題となっている。台風や津波など自然災害への対処には気象観測の強化も必要だ。国境の島は元気な方がいい。与那国自身も、国境の島ゆえに広い意味での地域の安全保障を担いたいとアピールするのです」

◆せめて情報活動隊員を

 陸自配備の可能性が不透明になったいま、糸数議員は「ミサイルを置いてほしいとは言わない。せめて1人でも優秀な情報活動のできる人間が要る。そうしないと国境が危ない。いや、島自体もう、つぶさに調べられているかもしれません」と警告する。

 そういえば、隣の宮古島での出来事。何組もの若い男性2人連れが盛んに写真を撮っていた。食堂で彼らと居合わせて何者かが分かった。会話が中国語だったのだ。髪形や体格から「間違いなく人民解放軍」とはこのエピソードを教えてくれた人の解説である。

 国境の島、与那国の自然や、取り巻く東シナ海は美しく穏やかだ。だがこうした海洋の安寧も、中国の存在感の高まりと、日本の防衛の空白とのはざまで薄氷を踏むようなものとなりつつあると危惧せずにはいられない。

平成二十一年十月十六日 午前七時三十七分

【与那国島が危ない】(下)「ここは日本 屈辱的」
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by unkotamezou | 2009-10-16 07:37 | 國防 軍事
与那国島が危ない 中

 日本最西端の沖縄県与那国町にとって、近いのに遠くなってしまったのが台湾だ。111キロ先の台湾へは、まず500キロ離れた那覇へ行かねばならない。

◆台湾とともに栄えた島

 そもそも台湾が日本統治下の戦前は、東京どころか沖縄より身近で、出稼ぎも台湾、納税も台湾紙幣が通用した。昭和20年8月15日、終戦で国境線が引かれた後も、密貿易で栄えた。駐留米軍の監視も与那国までは届かなかったのである。

 地勢的にも歴史的にも、与那国町と台湾は不可分の関係にある。台湾との国境交流には、人々が島の良き時代へと思いを馳(は)せる側面もあるように感じられる。

 与那国町議会は議長を含めて定数6。ただ一人、自衛隊誘致に反対の小嶺博泉議員(38)は言う。

 「そもそもなぜ誘致なのかです。台湾との地の利や27年になる花蓮市との姉妹都市関係などをもっと生かすべきです。自分は自衛隊アレルギーはないし、国境を守ることは間違いではない。でも防衛力より人間で守る防人政策があってしかるべきだ。馬英九政権で中台関係が安定しているいま自衛隊を配備して緊張を高めるのはどうかと思う。町長は万策尽きたというが、定住促進策とかやることはまだある。町長には本気でやってくれと言いたい」

 町長選で自衛隊誘致に反対し、台湾との積極交流を主張した田里千代基候補(51)は大差で敗れたが、小嶺議員は意気軒高だ。

 昭和2年創業、与那国で一番古い泡盛のメーカー、崎元酒造所代表代行の崎元俊男氏(44)が悩んだ末に田里候補に投票したのも、台湾との交易に一縷(いちる)の望みを託したいからだった。

 島で調達できない瓶やラベルを関西に注文する。関西-沖縄-石垣-与那国の輸送コストは価格を圧迫する。今後、予想される沖縄本島の泡盛や九州の焼酎との競争に勝てるか。台湾との直接航路を切望するのは、崎元氏だけではない。

◆苦しい地場産業の前途

 もっとも外間(ほかま)守吉町長(60)や自衛隊誘致派も、台湾との交流促進に必ずしも反対ではないという。

 ただ、予算ありきでチャーター便を飛ばすだけのイベント頼みでは町の自立につながらない。また姉妹都市も2000人に満たない与那国町と10万人を超す花蓮市では規模が違いすぎて町の負担が大きすぎる。宮古・八重山諸島全体に広げて交流を進めていく考えも浮上している。

 与那国町には集落が3つある。役場や郵便局がある祖納(そない)、テレビドラマ「Dr.コトー診療所」のオープンセットが残る比川、そして最西端の久部良(くぶら)だ。

 かつてカツオやカジキ漁で栄え、戦後は密貿易の舞台ともなった久部良の栄華を物語る挿話は少なくない。

 曰(いわ)く、道路沿いに料亭が軒を連ねていた。曰く、通りを行き交うのに人々は肩をぶつけあうほどだった-など。

 町の最盛期の人口は1万2000人という。いま久部良は森閑としている。

◆存亡のふちに立つ漁協

 久部良漁港の傍らに立つビルの与那国町漁業協同組合で、代表理事組合長の上地常夫氏(45)に会った。

 「いまは漁業組合もつぶれる時代。茨城でもつぶれたと聞きます。でもこの島で漁協がつぶれたら痛手は本当に大きい。何とか存続を図らねばならないのです」

 漁協がつぶれることは、辛うじて残る産業の一つ、漁業の壊滅を意味する。上地氏は、思わしくない組合経営に危機感を覚えた町役場が送り込んだ出向第1号だ。

 生き残りへ(1)後継者問題(2)輸送コスト(3)資源問題-とハードルは高い。組合員は即戦力になっていない高齢者も含めて33人。国の支援策でスカウトした後継候補者も「やっぱりできませんと3日で帰ってしまいました」と、お手上げである。

 さらに漁獲量が減っている上に、禁漁区に出没する主として台湾からの遊漁や密漁も大きな問題だ。しかもこれら違法行為に町はなすすべがない。

 町には海上保安庁も常駐していない。違法行為を発見すると通報で石垣島から巡視艇が駆けつける。時間にして1時間。外国船が排他的経済水域の外に出ていくのに十分な時間だ。つまり歯止めは何もないも同然なのである。

 対照的に台湾警備艇の取り締まりは厳しく、危ない目に遭っている漁師も少なくないらしいが、多くを語らない。上地氏は言う。

 「国境は本当に手薄です。海保は弱腰ですね。何かあっても与那国がやられてから考えようという姿勢ではないか、私たちにはそうとさえ思えるのです」

 港の船の何隻かには「日の丸」が描かれていた。あまりにもささやかな自衛である。(千野境子)

平成二十一年十月十五日 七時二十一分

【与那国島が危ない】(中)「やられてから、という姿勢」
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by unkotamezou | 2009-10-15 07:21 | 國防 軍事
与那国島が危ない 上

 東京から1900キロ、日本最西端に位置する沖縄・与那国島ではいま、かたずをのんで鳩山政権の出方を注視している。昨年9月、町議会は自衛隊誘致を決め、今年6月には町長、町議会議長らが防衛相や陸上幕僚監部に誘致を陳情、防衛省も陸自部隊の配備を検討し始めた。だがその矢先に政権が交代、一転慎重論が支配的となった。自衛隊はもう来ないのか。東シナ海では近年、中国が領海侵犯や資源探査など海洋活動を活発化させ、存在感を着々と高める。国境の最前線、与那国島のいまを報告する。(千野境子)

民主政権は不安

 日本最西端の地碑が立つ西崎(いりざき)から、晴れた日には台湾が蜃気楼(しんきろう)のように大きく見える。台湾まで111キロ、同じ沖縄の石垣島よりも至近だ。昨年12月に中国海洋調査船2隻が付近を領海侵犯した尖閣諸島も150キロの近さにある。

 去る8月2日の町長選で再選された外間(ほかま)守吉町長(60)は、町の中心、祖納(そない)の町役場で困惑の表情も見せながら言った。

 「町の誘致の方針に変わりはありません。でも民主党になり不安はあります。お隣さんを刺激するようなこと(配備)はしないと(北沢俊美防衛相は)申されたようですが、お隣さんの方が軍事大国です。先方(の軍備)は認めてこっちはいけないというのはおかしい。隣のことばかり気にする外交の脆弱(ぜいじゃく)さです」

有事にどうする

 自衛隊の誘致構想は尾辻吉兼前町長時代からあったという。町議で与那国防衛協会副会長の糸数健一氏(56)はこう語る。

 「国境の島、しかも上空3分の2が台湾の防空識別圏です。有事に一体どうするのか。自衛隊の駐屯もない。台湾の選挙で中国がミサイルで威嚇し、漁場に行けなくなったこともあります。前町長はこれらを懸念し、実は一番やりたかったことが誘致でした」

 ところが平成17年7月、尾辻氏は55歳で急逝。元議長で福山海運代表だった外間氏が町長になり、糸数氏は誘致の遺志を継いだ。

 当初は手探り状態で南西諸島における中国船の活動や領海・領空侵犯などを勉強するうちに、「これは大変なことになっている」と危機感を深めていったという。東崎(あがりざき)で牧場を営む糸数氏はかつて沖合に中国船を何度か見た。夕方には目と鼻の先まで近づいた。

 「いま思えば調査船でしょう。記録に残しておけばよかった。残念なことをしました。でも当時はそこまで気づきませんでした」

「縦深拡大」路線

 中国の海軍戦略は、台湾から沖縄・南西諸島も含む第1列島線とグアム、パプアニューギニアなど第2列島線という「近海防御戦略」を採用、(1)国家の海上の安全の防衛(2)領海における主権の保全(3)海洋権益の保全のため、「中国の海」を徐々に広げていく-というものだ。中国自身はこれを「縦深拡大」と呼ぶ。

 とくに平成12年ごろから海軍力の整備、近代化が進み、潜水艦や駆逐艦など新型艦艇を続々と配備、訓練や活動も活発化した。

 また昨年末に尖閣に領海侵入した海上艦が国務院国土資源部所属だったように、いまや活動は海軍だけではない。鳩山由紀夫首相が呼びかける「友愛の海」と東シナ海の実態は大きくかけ離れている。

 「東シナ海をめぐり中国の大きなうねりを感じます。ふと気がつけば国益を損なっている可能性はあるかもしれません」と防衛関係者は声を落とした。

「国境の守り、どうしますか」

 島を車で走ると、道端では「誘致は悲願」の横断幕が風に揺れていた。

 もちろん「誘致反対」もある。しかし反基地・反自衛隊の感情が強い沖縄にあって、誘致を「悲願」とした与那国町に沖縄県内外は驚き、8月の町長選はかつてない関心を集めた。

 結果は外間(ほかま)守吉町長が島では前例のない103票という大差をつけて、元町役場職員の対立候補、田里千代基氏(51)を退けた。

 誘致があらためて町民の支持を得たとも言えるわけだが、外間町長は言う。

 「自分で言うのもおかしいですが、過去の実績と今後への期待で選ばれたと考えています。自衛隊誘致を争点にしたのは沖縄のマスコミ。そうすれば私が負けると思ったのでしょう」

 政権交代で事態が膠着(こうちゃく)する中、いまはマスコミを逆手に取って誘致は議会、地域の要請だからと、こんな爆弾発言もする。

 「日本には米軍基地があるのだから、台湾の基地を(与那国島に)置いてもおかしくないと、私は(政府に)言いますよ」

 記者が「仮に台湾と中国が一緒になり、中国が居座ったらどうします?」と聞くと、外間町長は「町が生きていくために、場合によってはそのくらいのことも考えますよということなんです。国を守ると言うなら有人島のわれわれをどうするのですか、国境、国益の守り方をどうしますか、(政府は)考えを持っていないと思えます。無策です」とため息をついた。

 外間町長の爆弾発言の背景には、人口減少と産業不振で衰退する町の将来に対する深い危機感がある。

 与那国町は平成16年10月に八重山3市町村合併を問う住民投票を行った。「君たちの将来のことだから」と中学生以上の全町民が対象となり、有権者数1378人、投票率70・46%。

 結果は賛成327、反対605の大差で、石垣市への合併案を葬った。時は小泉政権で行政改革、三位一体改革が進められていた。あえて自立を選んだ与那国町も、財政の健全化とスリム化を一段と迫られた。

 町役場の総務財政課の課長としてその最前線に立った池間龍一氏(58)は当時を回想してこう語る。

 「大ナタを振るいました。でも楽でしたよ。文句は言えない。厳しいが皆で選んだことではないかと言えましたから」

 収入役の廃止、議員定数を6人に半減、報酬カットなどすべてに切り込んだ。しかし縮小だけでは町の将来はない。一方で町の「自立ビジョン」も策定した。

 「国境交流特区」構想をうたい、石垣-与那国から台湾への航路延長や祖納(そない)港開港、台湾ビザの緩和などを柱とした。また平成19年には町独自で台湾に事務所を開設した。

 しかし結論を言えば、特区構想はいまに至るも日の目を見ていない。ただ特例として5千万円の予算がつき、台湾へのチャーター便が数回飛んだだけ。ビザの緩和は実現したが、愛知万博の副産物だった。

 「特区には3回挑戦しました。その都度、規制を持ち出す。地方は自立しなさいと言いながら、自立しようとすると規制の壁。特区の希望はまだ捨てたわけではありませんが、まじめに取り組んだわれわれはばかだったのか」と外間町長は怒りの表情を隠さない。

 与那国町の課題は(1)人口流出の阻止(2)インフラ整備と雇用確保(3)税収増(予算約20億円で自主財源は1割未満)-だ。与那国だけではない、過疎化に苦しむ地方の縮図が、ここにはある。

 島で初めて「15の旅立ち」という表現を聞いた。高校がないため子供たちは中学を終えると島を出る。両親の仕送りは大変だ。そしてほとんどが帰らない。いや、帰れない。働き口がない。こうして毎年、確実に人口が減っていく。

 「万策尽きた」(外間町長)いま、町の活性化への突破口に自衛隊誘致の望みを託したい。その思いはある意味で国境の守りに勝るとも劣らぬ切実さを人々に抱かせている。

【用語解説】与那国町

 北緯24度27分、東経123度。周囲27・49キロ、面積28・95平方キロ。数少ない1島1町の自治体。人口は1650人。

平成二十一年十月十四日 八時五十二分

【与那国島が危ない】(上)支那野放しの「友愛の海」 自衛隊誘致、町の悲願
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by unkotamezou | 2009-10-14 08:52 | 國防 軍事
中川昭一さん、青年の様に真っ直ぐな政治家だった

 中川昭一元財務・金融担当相(享年56)の葬儀・告別式は9日午前、同じ善福寺で、自民党と中川家の合同葬として営まれた。政界や官界、財界だけでなく、中川氏の早過ぎる死を悼む一般の人々も多数、焼香に訪れた。

【「純粋で優しい男だった」】

 「保守派の旗手」と呼ばれ、農水相や経産相、政務調査会長などを歴任。切れ味鋭い中川節を披露する半面、真面目でガラスのように繊細な精神の持ち主でもあった。ストレスや不眠に悩まされたときは、アルコールや睡眠薬などに頼ることがあり、体調不良や失敗談も多かった。

 今年2月、ローマでのG7閉幕後の「もうろう会見」では、国内外の批判を浴びて辞任。8月の総選挙では落選した。

 同じ昭和28年生まれで、「にんぱち会」を作っていた船田元・元経企庁長官(55)は「豪放磊落とは違う。ナタかカミソリかといったら、カミソリ。でも、純粋で優しい男だった。要職が続き、プレッシャーにさらされる中で(酒や睡眠薬に)頼らざるを得なかったのかもしれない。彼は急ぎ過ぎた」と語った。

 夕刊フジでは平成18年からコラム「言わせてもらおう」を連載。北朝鮮による拉致問題について「罪もない日本人が北の国家機関によって拉致され、たった一度の人生を無茶苦茶にされた」と抗議。侍ジャパンがワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で2連覇を成し遂げた直後には「彼らは日本人に元気と活力を与えてくれた」とたたえた。

 勉強家であり情報通でもあった。昨年8月に食事した際、「日本経済は大変なことになる。間に合わないかもしれない」と、翌月炸裂するリーマン・ショックを記者に示唆してくれた。

 死因については循環器系の異常が指摘されているが、総選挙落選から35日後という状況に加え、父、中川一郎氏(享年57)が自殺していることもあり、「怪死」「自殺か」との報道もある。

 ただ、中川氏はかつて、いじめを理由に自殺予告の手紙を送った子供に対し、本紙の紙面を通して「どうか早まらないでほしい。人生には辛いこともあるが、楽しいこともたくさんある。人間は自分一人で生きているわけじゃない。お父さん、お母さん、周囲の人々に生かされている。命を大切にしてほしい」とのメッセージを送っている。

 個人事務所を移転し、再起を目指して本格的活動を始めようとした矢先でもあった。秘書にも「(次の選挙に向けて)よろしく頼むぞ」と伝えていた。青年のように真っすぐな政治家だった。残念でならない。

21/10/09 17:47

【悼 Memory】中川昭一さん、いじめ苦に自殺予告の子供に「命を大切にして」
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by unkotamezou | 2009-10-09 17:47 | 政治 行政 立法
中川昭一元財務相葬儀 二千五百人が別れ惜しむ

 56歳で急逝した中川昭一元財務相の葬儀が9日、東京都港区の麻布山善福寺で行われ、多数の政財界の関係者、文化人ら約2500人が別れを惜しんだ。

 自民党の谷垣禎一総裁は弔辞で、中川氏の北朝鮮による拉致問題への取り組みに触れ、「『国民を守る』という言葉は多くの政治家が口にするが、先生ほどこの言葉の本質を行動で体現した政治家を私は知らない」と述べた。友人代表の安倍晋三元首相は、中川氏とともに取り組んだ歴史教科書問題や東シナ海のガス田開発問題を振り返り、「戦う政治家の姿をあなたから学んだ。昭一さん、あなたの歩んできた道は『国家のため』、まさにその一筋で貫かれていた」と言葉を詰まらせた。

 葬儀には、約3000人が訪れた前夜の通夜に続き、一般の参列者が最後の別れを告げようと長い列を作った。

21/10/09 12:46

中川昭一元財務相葬儀 文化人ら別れ惜しむ
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by unkotamezou | 2009-10-09 12:46 | 政治 行政 立法
中川昭一氏通夜しめやかに

 56歳で急死した中川昭一元財務相の通夜が8日夕、東京・元麻布の麻布山善福寺でしめやかに営まれた。国会議員のほか、一般市民も多数参列し、式場の周りには受付を待つ長蛇の列ができた。

 葬儀委員長の谷垣禎一自民党総裁(64)は「中川氏逝去の知らせは青天の霹靂だった。自民党にとっても日本にとっても本当に痛手だ」と早すぎる死を悼んだ。

 通夜に先立ち、中川氏の棺を乗せた車が東京都世田谷区の自宅から式場に向かう途中、国会議事堂や自民党本部、伊吹派事務所などの前を通り、長年親しんだ風景に別れを告げた。

 中川家と自民党による合同葬は9日午前11時から善福寺で営まれる。

■「青嵐会」再興の夢 胸に抱き眠る

 中川昭一氏は眠るように棺に横たわっていた。2月の酩酊会見で財務相を辞め、先の衆院選に落選しただけに悔悟の念にさいなまされたのではないか。苦悶の表情を残して逝ってしまったのではないか。そう胸を痛めていたことが恥ずかしくなるほど、その表情は安らかだった。

 最後に中川氏と会ったのは衆院選3日後の9月2日だった。午後6時過ぎなのにフラフラの足取りで現れたので、つい声を荒らげてしまった。

「酒はやめたんじゃなかったのか。あなたが財務相を辞めたとき、麻生太郎首相は泣いていたんですよ」

 中川氏はシュンとして「すまん、ホントにすまん」と言いながら半時間ほどで帰っていった。あれが今生の別れとなるとは。なぜもっと励ましてあげられなかったのか。悔やまれてならない。

 中川氏は「うわばみ」と思われてきたが、私が知る素顔はまったく違う。恐ろしいほど真面目で礼儀正しく、冷たいお茶を傍らにチビリチビリと酒を飲みながら、政治、外交、環境、文学、そして人生について大いに語らう。興味のある話にはメモを取りながら熱心に聞き入り、つまらないジョークを言ってはバツが悪そうに照れ笑いする。少年がそのまま大きくなったような人だった。

 ただ、腰に椎間板ヘルニアという爆弾を抱えていた。痛みに耐えきれず、強い鎮痛剤、精神安定剤、そして睡眠薬を飲む。そんな状態で酒をわずかに飲むと意識がぶっ飛ぶ。この悪循環を繰り返していた。例の酩酊会見も「ワインを口に含んだだけ」と言うのは決して偽りではなかろう。

 「政治家を続けたいなら渡米して手術するべきだ」と迫ったことがある。神妙な表情で聞いていたが、「だって怖いだろ…」と首を縦に振らなかった。

 そんな中川氏に政治家の執念を見たことがある。4年前のことだ。

 国会近くの事務所で一緒にビールを飲んでいると「これを見てくれよ」と古びた茶封筒を取り出してきた。中を開けると「青嵐会」の血判状だった。昭和48年、父の故中川一郎氏が政界に風穴を開けようと血気盛んな若手・中堅を集めて結成した政策集団。徹底した対中強硬路線が災いしたのか、ジワジワと他派閥の切り崩しを受け、6年後に解散してしまった。

 驚いたことに大量の脱会届も同封されていた。血判まで付いた仲間の裏切り。一郎氏の無念の思いをかいま見たような気がした。中川氏は何も言わなかったが、胸中にあったのは保守勢力の結集であり、青嵐会の再興だったに違いない。

 実は中川氏が青嵐会の旗揚げを思い立ったことがある。平成19年秋、福田康夫政権発足後まもなくだった。「保守の信条を共有する若手を集めて勉強会を作ろうと思っているんだ」と言うので「次の首相を目指す気がないならば時期尚早ではないか。たった一枚のカードなんだから機が熟すまで大事にとっておくべきだ」と答えた。中川氏は不満そうな顔をしていたが、結局、その勉強会は「真保守政策研究会」という平凡な名称に落ち着いた。

 こんなに早く逝ってしまうならば、あの時に「青嵐会にすべきだ。今こそ父の遺志を継ぐべきだ」と言えばよかった。悔やまれて悔やまれてならない。

 政治家としては、あまりに純真で、あまりに繊細で、そして不器用な人だった。10月17日からは妻、郁子さんとエジプト旅行を予定し、心待ちにしていた。今ごろ中川氏の魂はピラミッドの上空に広がる蒼穹を飛び回っているのではないか。

21/10/09 02:08

中川昭一氏通夜しめやかに
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by unkotamezou | 2009-10-09 02:08 | 政治 行政 立法
中川昭一氏追悼 見果てぬ「青嵐会」の夢

 中川昭一氏は眠るように棺に横たわっていた。2月の酩酊会見で財務相を辞め、先の衆院選に落選しただけに悔悟の念に苛まされたのではないか。苦悶の表情を残して逝ってしまったのではないか。そう胸を痛めていたことが恥ずかしくなるほど、その表情は安らかだった。

 最後に中川氏と会ったのは衆院選3日後の9月2日だった。午後6時過ぎなのにフラフラの足取りで現れたので、つい声を荒げてしまった。

 「酒はやめたんじゃなかったのか。あなたが財務相を辞めた時、麻生太郎首相は泣いていたんですよ」

 中川氏はシュンとして「すまん、ホントにすまん」と言いながら半時間ほどで帰っていった。あれが今生の別れとなるとは。なぜもっと励ましてあげられなかったのか。悔やまれてならない。

 中川氏は「うわばみ」と思われてきたが、私が知る素顔はまったく違う。恐ろしいほど真面目で礼儀正しく、冷たいお茶を傍らにチビリチビリと酒を飲みながら、政治、外交、環境、文学、そして人生について大いに語らう。興味のある話にはメモを取りながら熱心に聞き入り、つまらないジョークを言ってはバツが悪そうに照れ笑いする。少年がそのまま大きくなったような人だった。

 ただ、腰に椎間板ヘルニアという爆弾を抱えていた。痛みに耐えきれず、強い鎮痛剤、精神安定剤、そして睡眠薬を飲む。そんな状態で酒をわずかに飲むと意識がぶっ飛ぶ。この悪循環を繰り返していた。例の酩酊会見も「ワインを口に含んだだけ」と言うのは決して偽りではなかっただろう。

 「政治家を続けたいなら渡米して手術するべきだ」と迫ったことがある。神妙な表情で聞いていたが、「だって怖いだろ…」と首を縦に振らなかった。

 そんな中川氏に政治家の執念を見たことがある。4年前のことだ。

 国会近くの事務所で一緒にビールを飲んでいると「これを見てくれよ」と古びた茶封筒を取り出してきた。中を開けると「青嵐会」の血判状だった。昭和48年、父の故中川一郎氏が政界に風穴を開けようと血気盛んな若手・中堅を集めて結成した政策集団。徹底した対中強硬路線が災いしたのか、ジワジワと他派閥の切り崩しを受け、6年後に解散してしまった。

 驚いたことに大量の脱会届も同封されていた。血判まで付いた仲間の裏切り。一郎氏の無念の思いをかいま見たような気がした。中川氏は何も言わなかったが、胸中にあったのは保守勢力の結集であり、青嵐会の再興だったに違いない。

 実は中川氏が青嵐会の旗揚げを思い立ったことがある。平成19年秋、福田康夫政権発足後まもなくだった。「保守の信条を共有する若手を集めて勉強会を作ろうと思っているんだ」と言うので「次の首相を目指す気がないならば時期尚早ではないか。たった一枚のカードなんだから機が熟すまで大事にとっておくべきだ」と答えた。中川氏は不満そうな顔をしていたが、結局、その勉強会は「真・保守政策研究会」という平凡な名称に落ち着いた。

 こんなに早く逝ってしまうならば、あの時に「青嵐会にすべきだ。今こそ父の遺志を継ぐべきだ」と言えばよかった。悔やまれて悔やまれてならない。

 政治家としては、あまりに純真で、あまりに繊細で、そして不器用な人だった。10月17日からは妻、郁子さんとエジプト旅行を予定し、心待ちにしていた。今ごろ中川氏の魂はピラミッドの上空に広がる蒼穹を飛び回っているのではないか。

21/10/08 21:53

中川昭一氏追悼 見果てぬ「青嵐会」の夢
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by unkotamezou | 2009-10-08 21:53 | 政治 行政 立法
中川昭一氏通夜しめやかに 谷垣自民総裁「日本に痛手」

 56歳で急死した中川昭一元財務相の通夜が8日夕、東京都港区の麻布山善福寺でしめやかに営まれた。生前に親交があった国会議員や財界、文化人らが多数参列し、故人の冥福を祈った。

 葬儀委員長の谷垣禎一自民党総裁は「中川氏逝去の知らせは青天の霹靂だった。自民党にとっても日本にとっても本当に痛手だ」と早すぎる死を悼んだ。

 通夜に先立ち、中川氏の棺を乗せた車が東京都世田谷区の自宅から式場に向かう途中、国会議事堂や自民党本部、伊吹派事務所などの前を通り、長年親しんだ風景に別れを告げた。

 中川家と自民党による合同葬は9日午前11から麻布山善福寺で営まれる。

21/10/08 19:55

中川昭一氏通夜しめやかに 谷垣自民総裁「日本に痛手」
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by unkotamezou | 2009-10-08 19:55 | 政治 行政 立法
中川昭一氏の著書が売り上げ一位に

 急逝した中川昭一元財務・金融相(56)が昨年発表した著書が、オンラインストア「アマゾン」の和書ランキングで2冊もベスト10入りする事態となっている。「保守派の旗手」の突然の悲報を受け、旧来の支持者以外にも幅広い注目を集めているようだ。

 ランクインしたのは、昨年9月にほぼ同時に出版された「飛翔する日本」(講談社インターナショナル)と、「日本を守るために日本人が考えておくべきこと」(PHP研究所)。6日朝時点で「飛翔する~」が4位、「日本を~」が7位だった。

 「飛翔する~」は、中国やインドといった新興国の台頭により、世界中で食糧や資源などの争奪戦が激化する中、中川氏が日本を再生させるシナリオをつづった1冊。「日本を~」は中川氏の論文やコラム、対談、講演の一部をまとめたものだ。

21/10/06 17:32

急逝受け支持者以外も注目 中川昭一氏の著書2冊ランク入り
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by unkotamezou | 2009-10-06 17:32 | 政治 行政 立法