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私たちに敵と戦う用意があるか

■ 日本の良さ発揮こそ世界文明に貢献

≪昭和と平成の敗戦≫   

 人生は、戦いと相互扶助から成る。どちらか一方だけでは人生が完結しない。

 幕末、砲艦外交によって開国を迫られた日本は、旺盛な闘争心を秘めつつ、国家の生存発展に努めた。ところが日露戦争に勝って安全を確保したとたんに国家目標が曖昧化して闘争意志を弱め、守勢に入った。その間、官僚制が跋扈し、国家戦略が曖昧なまま受け身の戦争を繰り返した揚句、敗戦を迎えた。

 戦後、戦争を放棄して米国の保護下に甘んじてきた。占領軍の日本弱体化憲法を独立回復後も後生大事に守り、男の子に「戦争ごっこ」を禁じて、野性の発散昇華の機会を奪い、女性は結婚相手に「優しい人」を望んで男に「勇ましさ」を発揮させなかった。戦後、復興から成長へ経済一本槍で突進した日本は、企業戦士として他企業と戦うほかは争わず、男は軟弱化・中性化し、国益追求のための闘争を、政府も官僚も政治家もしなくなった。

 『国富論』で有名なアダム・スミスは、国家の基本任務を3つ挙げる。外敵防衛・治安維持・インフラ整備。経済では国家は審判役に留まる。これをラッサールは「夜警国家」と揶揄したが、国家の基本任務の指摘として鋭い。だが戦後の日本は、国防も治安維持も情報の収集分析もおろそかにしてきた。専守防衛を任務とする自衛隊は、法制不備のため自衛さえできず、デモ隊からは警察に守ってもらわねばならぬ状態で放置されてきた。防衛省の中枢は警察官僚が握ったままである。

 私たちが銘記すべきは、政府の存在根拠が国民の保護と国益追求にある点である。その任務を放棄したり、外国に委ねたりしてはならない。「天ハ自ラ助クル者ヲ助ク」

≪強い人こそ優しい人≫

 私たちの先祖は実に素晴らしい国をつくってきた。その日本を「悪い国」と教えた戦後教育は、根本が誤っていた。間違った教育を刷込まれた日本人が増え、無責任がはびこっているが、人を育て損ねた報いである。日本弱体化を狙った占領政策と、反体制派の日本の国体破壊工作が日本の権力構造の中枢にまで浸透していたのだ。

 最近、やっとその是正の動きが出てきたが、まだまだ戦後価値観が跋扈していて、その壁は突破できていない。「尊敬できる日本人」は期待できるほど多くはない。

 尊敬できる人とは、外見上は「背筋をピンと伸ばした人」、内実では「得たものの半分以上を人に分け与える人」、そして何より「社会正義のために戦う人」である。具体的には、日露戦争の“軍神”広瀬武夫のような爽やかな人を想起されよ。

 戦うには相手がある。自分の究極の相手は、自分自身である。自分の怠け心、安逸を求める心、現状に満足する心等々。武道とは、相手に勝つ前に自分の弱さを克服するための道であった。だから寒稽古そのほか、厳しい修行が要るのである。「君はそのままでいい」などという現状是認は、克己心を眠らせ、抵抗力を奪う悪魔の囁きにほかならない。坐禅や静坐、瞑想も克己に役立つ。

 ≪美と崇高への献身≫

 ジェイムズ・ヒルトンは、『チップス先生、さようなら』で19世紀から20世紀への転換期にパブリックスクールで教えたチップス先生の悲哀を描いた。「チップス先生の知識の大部分は時代遅れで生徒に無益のものだ…」

 確かに知識は陳腐化する。だが人生には、変る部分と変らない部分がある。人間の生き方には古今東西不易の部分があり、だから古典が今も味わうに足る教養となる。

 人生の変らぬ部分とは伝統であり、価値あるものを子々孫々に伝える作業である。改革とは、伝統を保持した上でなされる部分的手直しに過ぎない。

 日本が子々孫々に伝えるべき伝統とは何か。天皇に象徴される美と崇高への献身である。天皇の主要任務は、五穀豊穣と民生の安定・繁栄を神々に祈ること、および和歌や礼楽に代表される学芸に励むことであった。古代から現代まで、天皇はこの任務を果してこられた。

 美と崇高への献身こそ、保守主義の神髄である。それ故に、戦後の価値観はここを直撃した。天皇の影を薄くし、気高さを笑い飛ばす。高邁な精神への軽蔑と無視。低俗礼賛。金儲け一辺倒。

 日本の良き伝統は、幸いまだ保持されている。戦後の呪縛を解き放ちさえすれば、それは目覚める。

 憲法を含む占領下の法律一切を無効化すれば、日本の良き伝統はたちどころに活性化するのである。(いはら きちのすけ)

(19/07/18 05:00)

【正論】帝塚山大学名誉教授・伊原吉之助 私たちに敵と戦う用意があるか
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by unkotamezou | 2007-07-18 05:00 | 歴史 傳統 文化
墜落から六十五年、比で旧日本軍機の残骸発見…遺族捜す

 先の大戦中、フィリピン・ルソン島バターン半島で墜落した旧日本軍戦闘機の残骸(ざんがい)が今年1月、墜落から65年ぶりに発見された。

 同機とともに墜落した米軍機パイロットの関係者が見つけた。

 エンジンの型式などから旧陸軍飛行第50戦隊所属の「97式戦闘機」で、黒沢利貞軍曹が搭乗していたとみられる。機種特定などに協力した神奈川県葉山町の戦史研究家、菅原完さん(78)は「ご家族にとっては故人ゆかりの貴重な品だと思う」と、黒沢軍曹の遺族を捜している。

 日米両国で出版されている記録や新聞記事などによると、黒沢軍曹は1942年2月9日、「97式戦闘機」に搭乗して友軍機5機とともに米軍機と空中戦を展開した。米軍将校が搭乗した戦闘機「P―40」1機を追うように、雲に覆われた同半島のマリベレス山山頂付近に墜落、行方不明となった。

 米軍将校の関係者らが、今年初めから山中を捜索した。1月末、戦闘機のエンジンなどが見つかり、協力を求められた菅原さんが航空専門家らに写真を見せたところ、エンジンの気筒数や部品の形状から97式戦闘機のものと判明した。この場所で墜落した同機種の戦闘機はほかにないことから、黒沢機にほぼ間違いないという。

 捜索チームメンバーらは「ご家族が現地を訪れたいと希望されれば、援助を惜しまない」と話しているという。第50戦隊戦友会(解散)の記録によると、黒沢軍曹の関係者の連絡先は、「札幌市北16条西5の黒沢節介氏」だが、現在、該当場所に黒沢氏はいない。心当たりの人は、菅原さん(電話 046-875-5231)まで。

19年7月14日14時37分 読売新聞

墜落から65年、比で旧日本軍機の残骸発見…遺族捜す
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by unkotamezou | 2007-07-14 14:37 | 歴史 傳統 文化
政府が北朝鮮向けラジオ放送開始 拉致被害者激励

 政府は9日、北朝鮮に残された拉致被害者を励ますために、短波ラジオによる政府広報番組の放送を同日深夜から開始すると発表した。

 内容は拉致被害者家族の声や拉致問題解決に向けた政府の取り組みの紹介、北朝鮮をめぐる国際情勢の解説など。日本語と韓国語でそれぞれ30分ずつ毎日放送し、毎週内容を更新する。

 放送時間や周波数は、北朝鮮からの妨害電波を受ける可能性があるため、事前には公表しないことにしている。

(19/07/09 15:35)

政府が北朝鮮向けラジオ放送開始 拉致被害者激励
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by unkotamezou | 2007-07-09 15:35 | 國防 軍事
支那の陰謀 北京五輪に天皇陛下を招待

 平成20年北京五輪組織委員会の蒋効愚執行副会長は9日午前(日本時間同)、日本の記者団のインタビューに答え、来年の五輪開会式への天皇陛下のご出席について、「天皇陛下が貴賓として(中国政府から)招かれて出席されるなら、心から歓迎する。準備も含め、全力を挙げてお迎えしたい」と述べ、期待感を示した。

 天皇陛下の開会式ご出席をめぐっては、中国の温家宝首相が4月の来日時に天皇陛下と会見した際、直接招請した経緯がある。これに対し、日本政府はまだ回答をしていない。

 蒋副会長は「前回アテネ五輪の時には各国の指導者、元首の出席者は60数人だった。北京はこれを超えると思う」との見通しを明らかにした。【北京=飯塚恵子】

19年7月9日13時30分 読売新聞

北京五輪委執行副会長、天皇陛下の開会式ご出席に期待感
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by unkotamezou | 2007-07-09 13:30 | 皇室
三笠宮ご夫妻、母・貞明皇后の思い出や終戦秘話を語る

 三笠宮ご夫妻が母、貞明(ていめい)皇后の思い出を語られた「母宮貞明皇后とその時代」(工藤美代子著)が、中央公論新社から10日に出版される。

 終戦時に陸軍少佐だった三笠宮さま(91)は戦争の秘話をいろいろと明かし、百合子さま(84)と共に皇后の人柄を率直に語られている。

 御前会議でポツダム宣言の受諾が決まった1945年8月14日の夕、三笠宮さまは宮邸に阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相の訪問を受け、「陛下が降伏の決意を翻(ひるがえ)し、戦争を継続していただくよう申し上げて」と懇願された。

 三笠宮さまはその時のことを「温厚な顔つきや話し方を聞きながら、陸相が侍従武官をしていたことを思い出してね。陛下をかわいいわが子のように思っているのではないかという印象を受けたものでした。要請は受け入れるわけにはいきませんでした」と振り返られている。

 阿南陸相が「一死以て大罪を謝し奉る」と書き残して自決したのは数時間後。百合子さまは「なんともお寂しそうな後ろ姿で、こちらまで感傷的になったのを忘れられません」と語り、昭和天皇の元を訪ねようとする三笠宮さまを御附(おつき)武官が止め、玉音盤争奪騒動に巻き込まれずに済んだことを明かされている。

 また、三笠宮さまは兄の昭和天皇について「公的には君臣であり、大元帥と一少佐。公私の区別を峻別(しゅんべつ)される方でしたから、結果的には孤独で、寂しかったと推察します」と話されている。

 三笠宮さまの終戦秘話などは10日発売の「中央公論」8月号でも紹介されている。

19年7月8日11時46分 読売新聞

三笠宮ご夫妻、母・貞明皇后の思い出や終戦秘話を語る
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by unkotamezou | 2007-07-08 11:46 | 皇室
日本書紀の「水ばかり」か、高松塚石室で柱の穴九か所

 奈良県明日香村、高松塚古墳(8世紀初め)の石室床面の周囲で、床石の上面を平らに加工するため、〈水準器〉用に使われたとみられる柱の穴が9か所で出土し、文化庁が6日、発表した。33年前に見つかった1か所を加え計10か所となり、水を張った容器で水平を調べ、両側の柱に糸を張って水平を確認しながら、作業したらしい。日本書紀に記された「水ばかり」にあたるとみられる。水と糸を使って水平を測量する技術が確立していたことを示す最古の例で、同庁は「古代の技術水準の高さを知る貴重な成果」としている。

 柱穴はいずれも直径約8センチ。床石の東西両側でほぼ対称に配置された4対が見つかった。石室北側にも一つあり、1974年の調査で見つかった南側の柱穴と結ぶと、石室中央を縦断する。

 文化庁によると、作業は〈1〉床石の両側に柱を立て、表面に凹凸がある床石の上に水槽を置く〈2〉水面に定規を立て、両側の柱に糸をくくりつける〈3〉糸の水平ラインを基準に床が水平になるように定規で確認しながら加工する――という手順で行われたとみられる。床石の接地面や、天井石を載せる側石についても、同様の技法で水平に加工した可能性が高い。

 日本書紀の671年の記述には、同古墳の極彩色壁画を描いたとの説もある渡来系の画師、黄文本実(きぶみのほんじつ)が「水ばかり」を献上したとある。水槽を水準器に利用する例は、14世紀初め(鎌倉末期)の「春日(かすが)権現験記絵(ごんげんげんきえ)」の絵図に描かれているが、今回の発見は約600年さかのぼる。

 宮本長二郎・別府大客員教授(日本建築史)の話「水平を保つためとみられる水槽は弥生時代の遺跡からも見つかっているが、糸を張ったことを示すような例は、今回が初めてだ。重い石材を正確に組み上げるため、ていねいな技術が必要だったのだろう」

■ 水準器

 地面や床などが水平かどうかを確かめる器具。様々な種類があるが、今は、ガラス製容器に気泡を残してアルコールなどの液体を満たし、気泡が器具の中央に来れば水平と確認できるタイプのものが一般的。

19年7月7日 読売新聞

高松塚古墳、〈水準器〉用?柱の穴9か所が出土
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by unkotamezou | 2007-07-07 12:19 | 歴史 傳統 文化
我が国政府がロシアを提訴

 富山県の漁船「第88豊進丸」がロシア国境警備局に拿捕され、乗組員17人が1カ月以上抑留されている事件で、政府は5日、乗組員と漁船の引き渡しを求めて、ドイツ・ハンブルクの国際海洋法裁判所に6日にも提訴する方針を固めた。日本が同裁判所に訴えを起こすのは初めて。

 漁船と乗組員は先月1日、ロシアのカムチャツカ半島沖で操業中に拿捕された。政府は昨年11月に拿捕された北海道釧路市の「第53富丸」の漁船の返還も要求する。

平成十九年七月五日 午後七時八分 時事通信

国際海洋法裁判所に提訴へ=ロシアの拿捕、乗員解放求める-政府
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by unkotamezou | 2007-07-05 19:08 | 國防 軍事
韓国の竹島侵略 拿捕と抑留の様子を元船長が証言

 韓国が一方的に李承晩ラインを設定して竹島を自国領に含めた2年後の1954年、ライン内で漁労したとして韓国側に拿捕され、3年半にわたって抑留された松江市島根町出身の元漁船長、伊達彪さん(80)=山口県下関市=が2日、島根県の杉原隆・竹島研究顧問に、韓国軍艦が機関砲を連射し日本漁船を威嚇する生々しい拿捕の様子を初めて証言した。

 竹島問題への関心をより高めるため、島根県へ証言を申し出た。

 伊達さんは54年7月19日早朝、ラインぎりぎりの対馬海峡で拿捕された。2隻1組で底引き網漁を操業中、霧の中をくぐり抜けるように韓国の軍艦が現れ、1隻に横付け。逃げることもできず、銃を持った2人の兵隊に促されて軍艦内へ移った。

 もう1隻は間隙を縫って逃げたが、軍艦は別の2隻の日本漁船に狙いを定め、機関砲を連射。その発射音以上に伊達さんの背筋を凍り付かせたのが、隣にいた軍艦機関長の「これは皆殺しになりますよ」という言葉。結局、犠牲者は出なかったが「韓国が本気になっているのが分かった」という。

 その後、釜山の刑務所に収監された際、取り調べの検事から「過去の例で、3カ月以上抑留された者はいない」という説明を受けたが、抑留生活は3年半に及んだ。

 「韓国側が『ラインを認めなければ抑留者を帰さない』と迫ったのに対し、日本政府が認めなかったため抑留期間が長引いたのだと、帰国後に聞いた。私たちはラインの人質に取られていた」と憤りを語る。

 ラインは65年に消滅したが、竹島周辺では現在も韓国側の実力支配が続くだけに「竹島問題の一端に、こうした悲劇があり、今も漁民が苦しんでいることを忘れないでほしい」と願う。

 下関市を訪ねた杉原顧問は「抑留時の日記など貴重な資料も残っており、県の竹島資料室で展示したい」と話した。

李承晩ライン

 1952年1月18日、韓国大統領・李承晩の海洋主義宣言により設定された漁船立ち入り禁止線。海洋資源保護のため、韓国付近の公海での漁業を韓国籍以外の漁船が行うことを禁止したが、狙いは竹島と対馬の領有主張にあった。韓国は日韓漁業協定の成立でラインが消滅する65年までに約300隻の日本漁船を拿捕し、4000人近くを抑留した。

19/07/05 08:00 山陰中央新報

島根出身の韓国抑留経験者が竹島研究顧問に証言
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by unkotamezou | 2007-07-05 08:00 | 國防 軍事