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秋篠宮さま誕生日会見
≪秋篠宮さま誕生日会見(11/29)全文≫

--両殿下におうかがいいたします。12年ぶりとなったご出産は、部分前置胎盤のために帝王切開となるなど、大変なご心配、ご苦労があったことと思います。悠仁さまが無事誕生された際、どのようなことを思われたのか、またご懐妊を知られたときや前置胎盤であるとお知りになった時のお気持ち、ご入院中に天皇、皇后両陛下や眞子さま、佳子さまがお見舞いに来られた際のことなど、ご出産にまつわるご感想を、エピソードを交えてお聞かせ下さい。また出産を終えられたいま、4人目のお子さまについて思われることなどを、あわせてお聞かせください。

秋篠宮さま

 9月6日にですね、長男、悠仁が生まれたわけですけれども、まずは無事に生まれて良かったということ、そして、そうですね、12年ぶりになりますので、私にとっては、私たちですね、久しぶりの赤ちゃんということなわけですけれども、大変その意味で新鮮な印象を受けました。部分前置胎盤ということで、早い、比較的早い時期から入院をしたわけですけれども、近年は医療が非常に発達しておりますので、その意味でですね、必要以上に心配することはなかったと思います。入院中のエピソードなどについてはそちらから。

紀子さま

 入院中には両陛下のお見舞いをたまわり、心和む時間を過ごすことができまして、大変幸せでございました。娘2人が誕生した、2人のときと同じように、折々に身重の私をお優しく、お気遣いくださり、また、前置胎盤であることをお知りになられ、ご心配いただき、いたわっていただきましたことに深く感謝申し上げます。

 また、宮さまも私が入院している間、また、入院する前、久しぶりに経験する出産、そしてそれに加えて前置胎盤であること、そのような中で不安を持っている私を、冷静にまた優しく支えてくださり、必要な医学的な事柄をわかりやすく話してくださり、大変うれしゅうございました。

 また、娘たちの見舞いについてですけれども、ちょうど私が病院に入院していたときは、学校が夏休みだったこともあり、宮さまと一緒に、あるいは、それぞれ都合の良い折に、よく来てくれました。眞子は、私が楽しみにしていたオーストリアの滞在の話を、生き生きと話してくれ、鑑賞した音楽会のパンフレットをみせたり、オーストリアで求めた音楽のCDを一緒に聴いたりしました。佳子はほぼ毎日こちらを訪ね、私の傍らで、学校の夏休みの宿題をしたり、留守にしていた家で、私がいなかったときの家の様子やスケートの練習について、楽しそうに話してくれました。

秋篠宮さま

 子供たちのなかでも、とくに下の、今は下のっていってはいけないのですね、二女の佳子にとってはですね、母親と長く一緒にいられる時間がとてもうれしかったみたいですね。ですから、足繁く通って、それで病院で宿題していたんでしょうね。

紀子さま

 はい。

秋篠宮さま

 それで、上の眞子につきましては、佳子ほど長く、頻繁に行くということはなかったと思いますけれども、その分ですね、私との会話の時間が多くなりまして、その意味でいい親子交流ができたと思っております。そんなところでしょうかね。

紀子さま

 子供が無事に誕生したとき、ほっといたしました。あわせて両陛下をはじめ、今年の春から出産まで励まし支えてくださった多くの方々、医療関係者や家族に感謝の気持ちでいっぱいになりました。2人の娘たちのときの誕生を思い出しながら、家族に新たに1人を迎える喜びと、誕生する幼子への愛しさと、あっ、誕生したですね、誕生した幼子への愛しさと、命をはぐくむことの重さを再び感じました。3番目の子供を授かったことを知らされたとき、娘2人のときと同じように、うれしい気持ちと無事の誕生を祈る気持ちを抱きました。

 お見舞いについては、先ほどお話しいたしましたので、最後に、入院中、手厚い医療と看護を受けながら、心穏やかな時間を家族と持つことができました。そのことにより、前置胎盤の気がかりを自分一人で抱えるのではなく、家族とともに、不安な気持ちも新しい命を迎える喜びも家族とともに一緒にあることと思い、無事に一日一日が出産日に近づいていくことを感謝しつつ、過ごすことができました。

秋篠宮さま

 第4子についてですけれども、それについては今は考えておりません。

--両殿下にお尋ねします。ご一家に新たに加わられた悠仁さまは、両殿下にとって初めての男のお子さまであるとともに、天皇、皇后両陛下にとっても、初めての男のお孫さまであります。初めての経験となる男の子の教育と、男子皇族としての悠仁さまの今後のご成長について思われることを、悠仁さまのご様子とあわせて、お聞かせください。

秋篠宮さま

 私たちにとって、男の子は今まで経験がないことですので、どのような経緯をたどって成長するのか、わかりません。ただ、基本的にはですね、長女、二女と同じように接するつもりでおります。今の段階で、言えますのは、そうですね、元気に育ってくれることを願っているということです。最近の悠仁の様子ですけれども、よく眠って、よく泣いて、よく笑っている、といったところです。よくあれね、お乳も飲んでますね。

紀子さま

 悠仁は来月の上旬には3カ月になります。よく眠っていた、眠ることが多かった悠仁も、日に日にめざましく成長し、宮さまや娘たちが抱いて話しかけると、それに応えるようにほほえみ、かわいい声や元気な声を立てるようになってまいりました。また、部屋の様子、遊ぶものをじっとみたり、動くものに関心を示し、目で追うことができるようになってきました。宮さまが弾かれるギターの音色を聴きながら、満ち足りた表情でうとうとしていることもあります。

 また、夕方、学校から帰宅した娘たちが、悠仁の様子を見に来て、目を見つめて、「かわいい」と喜び、それぞれにできる世話をしてくれるので大変助かります。悠仁を囲みながら、家族でにぎやかに過ごしているとき、10年以上も前、幼い娘たちを夢中になって育てながら、仕事をしていた若いころを思い出します。中学生と小学生になりましても、宮さまと私に多くの楽しみと喜びを与えてくれます。

 そして、今、家族5人の日々が始まっていることに感慨を覚えます。これからのことについてでございますが、悠仁は誕生してからまだ2カ月しかたっていなく、今は心身ともに健やかに成長していけるように見守っていきたいと思います。以前にもお話しいたしましたが、小さいときから基本的な生活習慣を学ぶことは非常に大切であると思います。たとえば、あいさつや感謝の心などでしょうか。また、両陛下をはじめ、周りの方々のご意見をうかがいながら、必要なことは追って、時を追って、私たちもともに学びたいと考えております。

 一つちょっと忘れてしまった、先ほどの1番目の質問で、ちょっと答えるのを忘れてしまったんですけれども、よろしいでしょうか。

秋篠宮さま

 よろしいんじゃないですか。

紀子さま

 申しわけございません。あの確か、前置胎盤ということを知らされたときはという質問をちょっと答えるのを忘れてしまいましたので。

 前置胎盤であるとの診断を医師より受けたとき、出産の経験が2回ありながらも、前置胎盤をはじめ、妊娠、出産に伴う、ほかのさまざまな医学的な心配事について、一般向けの医学書を読んで得た情報しか持っていないこと、知らないことに気がつきました。前置胎盤は安静にしながら経過を見ていくことが大事であること、安静にしていても母子ともにリスクの心配があること、しかし、医学の進歩により以前に比べてはるかにリスクが低くなっていることなど、くわしい説明を宮さまと一緒にうかがい、それらのことをしっかりと心にとめられるよう努めました。

秋篠宮さま

 だから割とあれですね、先ほど私も申しましたけれども、安心した気分でいられたんだと思います。

紀子さま

 ありがたいことだと思っております。

--両殿下におうかがいします。眞子さまは今年、秋篠宮さまのご公務に何度か同行され、夏にはオーストリアで初めてのホームステイを経験されました。佳子さまは学校生活のかたわら、フィギュアスケートに熱心に取り組まれています。お二人のご成長ぶりや、将来女性皇族としてどのような役割を期待されているのか、お聞かせください。

秋篠宮さま

 長女の眞子につきましては、先月ですね、15歳になったわけですけれども、いわゆる子供という時期から大人になる、ちょうど移行している時期ではないかなというふうに思います。私と話をしていても、私が話したことについて、自分で考えて意見を言うようになってきたなというふうに思っております。

 今年は沖縄とかですね、それから伊勢とかに連れて行きましたし、それからまた、夏にはオーストリアでホームステイ、1人で行くのは初めてなわけですけれども、経験して非常に楽しいときを過ごしたようですけれども、それらのこともですね、眞子にとって非常によい経験になったのではないかと思います。

 一方、二女の佳子については、フィギュアスケートを一生懸命する一方で、もともとあれなんていうのかな、手芸かな。

紀子さま

 手芸、はい。

秋篠宮さま

 手芸が好きなんですね。よく夜とか、部屋をのぞいてみると、何を作っているの。

紀子さま

 フェルトでものを作ったり。

秋篠宮さま

 何か工作をしているのですけれども、生まれてくる子供のためにも、何だったんでしょうかね。何か一生懸命作っているようでしたね。

 それから、その次の質問にありました女性皇族の役割についてですけれども、私は、私たちと同じで、社会の要請を受けて、それがよいものであれば、その務めを果たしていく。そういうことだと思うんですね。これにつきましては、私は女性皇族、男性皇族という違いはまったくないと思っております。ですから、そうですね。役割という、女性皇族だから何かという、そういう役割というのは、私は、少なくとも公的な活動においては思い当たりません。

紀子さま

 出産を控え、医師の勧めによって、安静に心がけていた私は、宮邸で長く過ごしていましたが、そのような中で、娘たちとの語らいの時間も例年より多く持てました。

 娘たちは毎日、私の体調を優しく案じてくれながら、学校などのことをいろいろと話してくれました。私からは、娘たちに、日ごろ感じていることや考えていることなどを伝えました。それに対して、それぞれ自分の思いを話してくれました。だんだん、私の良き話し相手となり、ときには、私が相談しているような場合もあり、そのような成長をうれしく思います。

 娘たちに話したことは、たとえば、今年、母子保健や地域医療などの仕事に携わっている方々から、多くの話をうかがいまして、そのような中で、たとえば、発展途上国には妊産婦や乳幼児をめぐる医療環境が非常に厳しいこと、日本で産婦人科医や小児科医のなり手が少なくなっていることなどについてです。

 それに続いて、私は娘たちに、「もし私が医療関係者から遠く離れて暮らしていたら、そして、前置胎盤であることを知らないでいたら、リスクが非常に高く、今、このようにして過ごすことが難しかったかもしれない」との思いを、それから、医師、助産師、看護師、そのほかの多くの方々のおかげで無事に出産し、元気に子供を育てることができることへの感謝の気持ちを伝えました。娘たちはそれぞれ、私の話にじっと耳を傾けてくれ、私の気持ちを受け止めたように思います。

 先ほど、宮さまも話されましたように、眞子は今年の夏休み、学校の夏休みを利用して、オーストリアのウィーン郊外にある知人宅に約2週間過ごしました。家を離れて、言葉、食事、そのほか、さまざまな生活慣習が異なる中で過ごすことは、戸惑う場面もあったかもしれませんが、滞在先のご家族には大変よくしていただき、ありがたく思っています。この機会に、眞子は出合ったさまざまな出来事を自分なりにとらえ、新鮮な発見と喜びを携えて帰国し、貴重な経験ができたと思います。

 佳子は小学生として最後の年にあたり、春の入学式には1年生を迎える受付係をしたり、夏には臨海学校で1キロの遠泳をしたり、9月には奈良へ修学旅行に出かけたりするなど、6年生として充実した日々を送っております。また、今までと変わらずフィギュアスケートの練習にも励んでおります。また、9月に誕生する子供のために、一緒に準備や支度を助けてくれました。佳子が誕生する子供のことをこまやかに思いながら、迎えようとする優しさをうれしく思いました。

 これから先のことについては、娘たちがさまざまな経験をする中で、次第に社会から何を期待されているかを感じ、求められているものに応えることができるようになってくれればと願っています。娘たちは内親王としての紀宮さまが、結婚されるまでのお姿を近くで見ておりました。紀宮さまが一つ一つのお仕事を大切に、ていねいにされていたことを学びながら、娘たちが少しずつ担う役割に対して理解を深めていってくれればと思っております。

--殿下にお尋ねします。ご出産という大きな出来事があった今年、宮さまはパラグアイに初めて訪問されるなど、数々のご公務も果たされました。殿下にとってのこの1年を振り返り、ご感想を、パラグアイでのエピソードなどを交えてお聞かせください。

秋篠宮さま

 私にとっての1年ということですけれども、2月に子供の懐妊がわかり、そして9月に出産がありました。それからまた、日本の各地を訪れたときに、さまざまな人と会って話をする機会を得ました。

 そして、パラグアイを初めて公式訪問しました。パラグアイの日本人移住の70周年の式典にはですね、ちょうど家内の出産のときと重なったということがありまして、それに出ることはできませんでしたけれども、70周年の記念の年にですね、ぜひとも訪問したいと思っており、それが実現したことは私にとりまして、大変うれしいことでありました。

 今回、3泊4日だったわけですけれども、その間に比較的ゆっくりと時間をとって、日系人の人たちと話をする機会がありました。その中には1世の人たちも、かなり多くおられたわけですけれども。それで話をする中で、パラグアイに入植して、それで土地を開墾するわけなんですけれども、私などが想像していたよりも実際に話を聞いてみると、はるかにですね、土地を耕すということが大変だったということがよくわかりました。

 今はもう本当に普通の、人が住むような場所になっているところも、入ったころは結局、原生林で大木があるわけですね。その大木を切り倒して、それでそこを焼き畑というか、火をつけて焼いて、耕作地にするわけですけれども、切り倒したときにその木の下に入ってしまって、体が不自由になった人とも会いましたし、また、これも初めて聞いた言葉でしたけれども、「焼き過ぎ3年、不焼け3年」ということをいわれた人がいましてですね、どういうことなんでしょうと聞いてみましたら、火をつけて焼いて焼き過ぎてしまうと、土壌が非常に硬くなって、カチカチになって、そこからまた耕作するというのは非常に大変だと、一方、今度はあまり強く焼かないでいると、根が深く入っているわけですけれども、根が残ってしまって、そこからまた木が再生したり、害虫がついたりしてですね、それをまたそこからもう一度起こしていくというのは大変な作業で、つまり火加減が非常に難しくて、そのいずれの場合でもさらに3年ぐらいしないといい土地にできないという話でした。

 そのようなことはやはり、実際にそれに携わった人に会って話を聞かなければなかなかわからないことでありますし、私にとりましては大変貴重な機会だったと思います。そのようなことがあった1年でしたけども、私にとって、私というか、私たち家族ですね、にとっては、いい1年だったのかなというふうに思っております。

--それでは最後の質問です。殿下にお尋ねします。天皇、皇后両陛下は6月、東南アジア3カ国を訪問されました。夏には皇太子ご一家が初めての海外でのご静養をオランダで過ごされ、オランダ王室とのご交流を一層深められるなど、天皇ご一家全体でもさまざまな出来事があった1年でした。天皇ご一家にとってのこの1年をふりかえり、いろいろな出来事について、ご感想をお聞かせください。

秋篠宮さま

 全体をまとめてというのが、少し難しいかなと思いますけれども、まず、天皇、皇后両陛下のことに関しましては、今年も、例年、毎年そうなんですけれども、いわゆる外に出てのお務め以外にも、宮殿の中で行われている行事というのが極めて多いなという印象があります。

 たとえば、近年、国が増えた、多くなったことによるですね、賓客の来日も多くなりましたし、大使、日本の在京の大使と会われる機会も非常に多くなっていると思います。そしてまた、各省庁などからの願いによって、長い年月、社会の中で地道に活動してきた人たちの労をねぎらうという、そういうお仕事もかなり多くあります。

 そのような普段報道されないような行事が、やっぱり非常に多いなということ、そしてその一方、たとえば地方に行かれたときには、その中心になる行事のほかに地方事情の視察というのがありますけれども、それについてもできる限りですね、今まで訪れていないところに行こうという気持ちを強く持たれています。

 たとえば、今年の9月の北海道にしても、かなりの長距離の移動になるわけですね、そういう日々を、それらのお仕事を元気に務められていますし、それらの中にはですね、やはり天皇という立場でないとできないものも数多く含まれていると、私は感じます。しかし、やはりですね、年齢的にいっても、それらの多くのお務めをされるのは、非常に大変なのではないかなと、そういうことを感じた1年でした。

 また、皇太子両殿下のことにつきましては、先ほどもいわれたオランダの訪問、そしてオランダ王室の方々との交流を深めるなど、そのオランダの旅行も無事に終わりましたし、また、ついせんだっては、愛子内親王の着袴の儀ですか、これも滞りなく終了し、私たちも喜ばしいことだと思っております。もちろん両殿下もとても喜んでおられることだろうと思います。

 そして妹についてですけれども、昨年の11月に結婚しまして、それで1年たったわけですけれども、結婚するまでの生活から非常に大きい変化があったと思いますけれども、どうなんでしょうね、少し慣れてきたのかな。だんだんに慣れていってくれればいいなと、そのようなことを感じた1年といっていいと思います。

【関連質問】

--殿下はギターでどのような曲を弾いておられるか、眞子さま、佳子さまはどのようなお世話をされているか、お聞かせください。

秋篠宮さま

 あまり上手ではないんですけれどもね。もっと若いころに好きだったもので、それでその名残みたいな形で、今でも時々弾き語りとかするんですけども、最近は、この前パラグアイ、ラテンアメリカのほうに行きましたのでね、なんとなくそれが頭にあるのか、たとえば有名な曲ですけど、「エル・コンドル・パサ」とかですね、なんか鼻歌交じりにあれしたりする、ねっ。どうでしょうね。

紀子さま

 ほかに花祭り。

秋篠宮さま

 花祭りね。あと、どうでしょうね。

紀子さま

 娘たちが毎日これだっていうことで決まっているわけではなく、それぞれに日々予定がありますので、あいたときに私が足りないところで助けてくれて、たとえば、洋服を替えたりとか、もちろん遊んだりするときも一緒になって、一緒にということはなくて、抱いてほしいときには、あやしながら何かお互いに顔を見つめ合って、いい雰囲気で過ごしていることもあります。

 今はどうしてもやはり眠る時間が長いものですから、眠っているときはなるべく、みんなで静かにしてましょうと、でも起きているときは、先ほどもちょっと話しましたけれども、にぎやかにお互いの1日の様子を話したりしていると、それに悠仁も耳を傾けてますし、私たちが少しなんとなく、私たちの動きをよく見ることが多くなってきまして、おそらくこれからまた、ひと月ひと月たつごとに、私も娘たちに頼む世話も増えるかもしれません。

--佳子さまが悠仁さまのために工作で何をお作りになりましたか。

秋篠宮さま

 何を作っていたんでしょう。私も作っているところはみたんだけれど。

紀子さま

 そうですね。何か佳子はこれから先、一緒になって遊べる、ちょっとしたものを。

秋篠宮さま

 おもちゃ。

紀子さま

 おもちゃでしょうか。ちょっとフェルトで作ったり、触っても大丈夫なものを、一緒にいるときは眞子も一緒になって作ってました。

(11/30 08:07)
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by unkotamezou | 2006-11-30 08:07 | 皇室
炭素ナノチューブを「シート状」に 産総研が成功
炭素ナノチューブを「シート状」に 産総研が成功

2006-11-27 19:22

 極細の筒状炭素分子、カーボンナノチューブ(CNT)のうち、単層のものを多数束ね、電気を通す性質などを変えずにシート状に固めることに成功したと、産業技術総合研究所ナノカーボン研究センター(飯島澄男センター長)が27日、英科学誌ネイチャー・マテリアルズの電子版に発表した。

 CNTを産業利用する上で最大のネックだった使い勝手が良くなり、産総研は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の事業の一環として、日本ゼオンと共同で大量生産する。パソコンやハイブリッド車などの二次電池に取って代わると期待されるキャパシターの電極への応用にも成功し、日本ケミコンとともに実用化に取り組む。

 同センターは2004年、直径数ナノメートル(ナノは10億分の1)、長さ数ミリの単層CNTをシリコン基板からブラシ状に多数生やす高純度、高効率の「スーパーグロース法」を開発した。

 今回、二葉ドン主任研究員らは、このブラシ状集合体をアルコールなどの溶液に浸すと、表面張力と分子間力により、高密度の束になることを発見。この束の上にガラス板を乗せて斜めに押し倒し、シート状に固めることに成功した。また、束にする際に工夫すると、四角い柱や円筒が多数並んだ集合体になった。

 従来のCNTを固める方法は、個々のCNTの形が壊れたり、電気を通す性質が変わったりしたが、この問題を解決。キャパシターの電極に現在の活性炭の代わりとして使えば、ハイパワー、高エネルギー密度、長寿命の実現が期待される。

 畠賢治研究チーム長は「単層CNTは現在、1グラム当たり5万円もするが、今後はキロ単位で量産し、コストを大幅に下げたい」と話している。

【用語解説】カーボンナノチューブ

 炭素原子が六角形の網目状に並んだ黒鉛のシートを筒状に丸めたような分子。直径0・4-50ナノメートル(ナノは10億分の1)、長さ1-数十マイクロメートルで、単層のものとネギに似た多層のものがある。飯島澄男産業技術総合研究所ナノカーボン研究センター長(NEC特別主席研究員、名城大教授)が1991年に発見、命名した。

【用語解説】キャパシター

 化学反応で充放電する二次電池と異なり、電気を電子のまま蓄えたり、取り出したりできる蓄電装置。二次電池に比べ、充放電にかかる時間が短く、寿命が長く、安全性が高い。従来はエネルギー密度が小さく、コンデンサーとして電子機器などに使われたが、技術革新が進み、パソコンのプリンターなどに使われ始めている。
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by unkotamezou | 2006-11-27 19:22 | 自然 科學 技術
皇居・宮殿で初の国賓歓迎 インドネシア大統領
皇居・宮殿で初の国賓歓迎 インドネシア大統領

2006-11-27 18:40

 天皇、皇后両陛下は27日午前、皇居・宮殿で、国賓として来日したインドネシアのユドヨノ大統領夫妻と会見された。

 宮内庁によると、今年5月のジャワ島地震が話題にのぼり、陛下が、平成3年のインドネシア訪問時に立ち寄ったプランバラン寺院が被害を受けたことなどに触れられると、大統領は「温かいお見舞いの気持ちを早速地元に伝えたいと思います」と応じたという。

 これに先立ち、両陛下、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻ご出席のもと、宮殿で歓迎行事を開催。

 通常、国賓の歓迎行事は宿泊先の迎賓館(東京・元赤坂)で行われるが、改修のため初めて宮殿で行われた。

 迎賓館は昭和49年に完成。同年の米フォード大統領の来日以来、国賓の宿泊先に利用されてきたが、老朽化で茶室などのある和風別館を増改築することになり、今年1月から休館している。ユドヨノ大統領夫妻は帝国ホテル(東京・内幸町)に宿泊する。
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by unkotamezou | 2006-11-27 18:40 | 皇室
マラッカ海峡海賊対策、日本人が事務局長
海賊対策、事務局長は日本人 マラッカ海峡保安へ積極関与

2006-11-26 10:45

 【シンガポール=藤本欣也】世界貿易の大動脈であるマラッカ海峡などの海賊対策の拠点として、シンガポールに発足する「情報共有センター」トップの事務局長に、国連代表部公使を務める伊藤嘉章氏が就任する見通しとなった。28日の関係国会合で正式決定する。これまで主に技術・財政面からマラッカ海峡支援を行ってきた日本は今後、同海峡をはじめとするアジアの海上安全保障問題に積極的に関与することになる。

 同センターは、海賊対策の初の多国間協定である「アジア海賊対策地域協力協定」が9月に発効したことに伴い、設立が決まった。マラッカ海峡などアジアの海域の海賊情報を一元化し、各国の海上保安機関の連携を調整、犯罪組織の取り締まり強化を目指す。

 同協定を批准した参加国は日本、中国、韓国、インド、シンガポールなど14カ国。27日から30日までシンガポールで初会合を開催し、情報共有センターの事務局長などを選出、同センターが正式に発足する。

 日本政府は伊藤公使を事務局長の候補者に内定し各国に支持を要請。現時点で立候補を表明しているのは伊藤氏だけで、就任が固まった。

 マラッカ海峡は年間約9万隻の船舶が往来し、世界貿易量の4分の1が通過するといわれ、日本にとって中東原油の80%以上が航行する重要なシーレーン(海上交通路)だ。海賊の多発海域としても知られ、安全確保は急務となっている。

 日本は1970年代から、民間団体や海上保安庁が中心になりマラッカ海峡の安全航行のための財政支援や技術指導を地道に行ってきた。近年、中国や韓国が海峡支援に乗り出した結果、安全対策は厚みを増す一方で、域内における日本の影響力の相対的低下が指摘されていた。日本が情報共有センターのトップを担うことになれば、政府として海峡支援に実質的に関与することになる。
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by unkotamezou | 2006-11-26 10:45 | 國防 軍事
杜の都、祝賀一色 悠仁親王殿下のご誕生、宮城県民大会
杜の都、祝賀一色 悠仁親王殿下のご誕生、宮城県民大会

 秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さまのご誕生を祝う宮城県民大会が25日、仙台市青葉区内で開催された。記念式典や奉祝アトラクションなどが催され、皇室の慶事を盛大に祝った。

 ホテル仙台プラザで開かれた記念式典では、丸森仲吾同大会会長が「皇室の存続にはわが国の伝統や文化をはぐくむ重要な意味がある」とあいさつ。記念講演では、評論家の金美齢氏が悠仁さまのご誕生を「神風」になぞらえて皇室伝統の大切さを説き、参列した約300人の聴衆が熱心に聞き入っていた。

 さらに同区の錦町公園では奉祝アトラクションを実施。祝い太鼓やYOSAKOIソーランなどが催され、屋台の出店もあって大勢の市民でにぎわった。また御輿(みこし)を先頭にした慶祝パレードが街を練り歩き、祝賀ムードを盛り上げた。

(11/26 09:33)
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by unkotamezou | 2006-11-26 09:33 | 皇室
めぐみさん映画が一般公開
めぐみさん映画が一般公開 来年2月までに38都道府県で

2006-11-25 10:42

 北朝鮮による日本人拉致事件をテーマにしたドキュメンタリー映画「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」の一般公開が25日、各地の劇場で始まった。

 映画はクリス・シェリダン、パティ・キム夫婦が制作。昭和52年11月、新潟市の中学1年、横田めぐみさん=当時(13)=が下校途中に突然姿を消したことから始まった父、滋さん(74)、母、早紀江さん(70)らの苦悩の日々や、拉致被害者家族会を結成し、救出運動に奔走してきた様子を克明に描いている。

 この日の封切りは、18都道府県の37劇場。来年2月中旬までに38都道府県に順次拡大される予定。
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by unkotamezou | 2006-11-25 10:42 | 國防 軍事
伝統の魂「天空の五重塔」 新東京タワー
伝統の魂…「天空の五重塔」 新東京タワーのデザイン発表

 東武鉄道と子会社の新東京タワー(東京都墨田区)は24日、東武鉄道貨物ヤード跡地に建設予定の新東京タワーの外観デザインを発表した。先端は円筒形で、下に行くにつれて三角柱となるデザインで、日本の伝統建築の五重塔の構造を元に耐震性や耐風性を高めた。

 新タワーは、中心に鉄筋コンクリート製の「芯(しん)柱」をおき、周囲を鉄骨でカゴ状に組み上げた構造で、日本建築の五重塔の建築様式の手法を活用。外周は塔脚部分にかけて緩やかなカーブを描いており、日本刀のような「反り」をイメージしたという。新タワーの監修にあたった元東京芸術大学学長の澄川喜一氏は「伝統建築の魂を取り入れた日本のランドマークとなる」と強調した。

 新タワーは高さ610メートルで、独立した電波塔としては世界一の高さ。2カ所に設けられる展望台のうち、高さ450メートルの第2展望台も世界一となる。平成19年度に詳細な設計を行い20年度に着工、23年度の完成を目指す。

(11/25 00:57)
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by unkotamezou | 2006-11-25 00:57 | 自然 生活 社會 医療
米誌が選ぶカー・オブ・ザ・イヤーにトヨタの「カムリ」
米誌が選ぶカー・オブ・ザ・イヤーにトヨタの「カムリ」

2006.11.23 17:42

 米自動車専門の月刊誌「モーター・トレンド」は22日、「2007年カー・オブ・ザ・イヤー」に、トヨタ自動車の新型「カムリ」を選んだ。「カムリ」の受賞は初めて。

 2006年の「カー・オブ・ザ・イヤー」は、ホンダの新型「シビック」だった。

 同誌は、ハイブリッド車を含むセダンのうち、新車やデザインを変更した車種を選考対象に、デザインや走行性、安全性などの面で各車を評価。「カムリ」は米国製の6車種と日本製の9車種、韓国製の5車種など26車種を抑えて、高評価を得た。

 同誌のマッケンジー編集長は、「自動車メーカーにとって、革新的で魅力のある車を創造するのは、非常に困難なこと。しかし「カムリ」は、ライバル会社が作りたいと願うような車だ」と評している。
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by unkotamezou | 2006-11-23 17:42 | 産業 經濟
憲法改正 政界再編か自公民協調か
【安倍政権考】憲法改正 政界再編か自公民協調か

2006-11-23 11:48

 安倍晋三首相は、在任中の憲法改正の実現を目指している。これは鳩山一郎首相以来、半世紀ぶりの現職首相による挑戦だ。憲法改正が政治日程にのるに当たって注目されるのは、首相が「政界再編」路線をとるのか、「自公民3党の協調」路線をとるのか-の選択だ。これは、新憲法の中身を左右する決断となるだろう。

■ 再編ぶちあげた幹事長

 世界の民主国家の憲法の中で、いちばん改正が難しいと思われる日本国憲法だが、第96条は改正規定となっている。衆参両院のそれぞれ総議員の3分の2以上の賛成で、国会が憲法改正案を国民に発議し、国民投票で過半数の賛成が集まれば、天皇陛下が国民の名で新憲法を公布されることになる。

 衆院憲法調査特別委員会(委員長・中山太郎元外相)で現在、憲法改正手続きのための国民投票法案の審議が進んでいる。与党は遅くとも来年の通常国会での成立を目指しており、手続きが整えば憲法改正に挑戦できるようになる。

 ただし、国民投票の実現はどんなに早くても、安倍首相が自民党総裁任期(1期は3年)の2期目に入る年である、2009年以降となる。国民投票法案は、公布から2年後の施行を定め、さらに、憲法改正の国会の発議から60日-180日間の周知期間もあるからだ。

 自民党の中川秀直幹事長は11月15日、都内で講演し、「(来年7月の)参院選後の政局の3本柱は憲法改正、道州制、中央省庁の再々編だ」と宣言した。

 中川氏は「(参院選後は)安倍首相のカラーが相当色濃く出てくる。郵政民営化以上のことをしなければならないかもしれない。首相は(自民党総裁の)2期目に、政界再編をしてでも憲法改正を実現する決意だろう」とも語った。

 反対派を自民党から追い出したのが小泉純一郎前首相の郵政民営化だったが、それ以上の激動を憲法改正の政界再編で起こすかもしれないと予言したのだ。保守系議員がいる民主党に手をつっこむ宣言といってもいい。「政界再編」路線による改憲論だ。

■ 根強い自公民協調派

 民主党はさっそく反発した。翌16日、枝野幸男民主党憲法調査会長は、衆院憲法調査特別委・審査小委員会で、中川氏の発言に触れ「憲法(改正問題)は政局の道具にすべきではない。国会の広範な合意で3分の2を超える勢力の合意で憲法(改正)は発議される。これを(委員会の)現場で合意して、信頼関係に基づいてやってきたはずだ。中川秀直君への非難決議を委員会でやるか、(釈明のために)参考人招致すべきだ」と批判した。

 衆参両院のそれぞれ3分の2以上の賛成がなければ憲法改正を国会が発議できない以上、自民党が憲法改正を実現したいのであれば、自民、公明、民主の3党の合意で行うしかないではないか-というのが枝野氏の持論だ。「自公民3党の協調」路線の典型といえる。

 「改憲賛成議員の2票が反対議員の1票に等しい『少数横暴』を認めたような憲法96条の規定」(自民党閣僚経験者)が、憲法改正に賛成か反対か一向にはっきりしない民主党に政治的力を与えている。

 実のところ、この「自公民3党の協調」路線への同調者は、自民党の改憲派にも多い。

 衆院憲法調査特別委やその前身の衆院憲法調査会で、民主、公明、共産、社民各党の議員と顔をつきあわせ、浮世離れした憲法論があっても我慢強く付き合い、やっと国民投票法案の審議にまでもってきた功労者である中山委員長、船田元・元経済企画庁長官、保岡興治元法相ら「自民党憲法族」にしても、枝野氏の議論に同調している。

 また、前文原案から日本の歴史、伝統、文化の要素を削り、「保守らしさを欠く」と批判される昨年秋の自民党新憲法草案こそが、自公民協調路線による改憲を想定した改正案だ。

■ 保守らしい改正案を

 このため、自民党総裁として安倍首相が党の新憲法草案をどう扱うかで、憲法改正の方向性が見えてくる。首相が憲法改正を自公民の協調路線で進めたいなら、新憲法草案の大幅な見直しはそれほど必要ではないだろう。

 しかし、政界再編まで覚悟して憲法改正を目指すなら、新憲法草案に手を入れ直し、首相が信じる保守思想に基づく改正案をつくった方が、改憲議論の出発点として、国民には分かりやすいものとなる。首相が総裁選の公約通り、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を目指すなら、なおさらそうだ。

 昨年の自民党の新憲法草案作りの議論は、多くの国会議員、地方議員を参加させた国民政党らしい試みだった。しかし、昨秋の立党50年に間に合わせようと生煮えの議論になったことは否めない。新憲法草案は、前文、天皇、安全保障、統治機構、国民の権利義務などで見直した方がいい点が多々ある。

 自民党は新設の憲法審議会のトップを誰にするかで混乱し、本格論議の開始は来年にずれ込みそうだ。占領軍のスタッフが1週間で書き上げた現憲法とは異なり、明治憲法は当時の日本の俊秀が精魂を込めて書き上げた。新憲法もこれに匹敵する努力が必要で、安倍首相と自民党に足踏みしている余裕はないはずだ。(榊原智)
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by unkotamezou | 2006-11-23 11:48 | 政治 行政 立法
支那潜水艦事件の重大な意味
【地球随感】中国潜水艦事件の重大な意味

11/22 23:00

 いまだに、あれは一体何だったのかと思う。と同時に、その後の情報を聞くにつけ、ひょっとしたら重大な意味を持つ事件だったのではないかと思うにいたっている。

 先月26日、横須賀を母港とする米海軍の空母「キティーホーク」(8万2000トン)戦闘群が沖縄近海の公海上で演習中、中国海軍の潜水艦にひそかに追尾されていた。

 潜水艦からの魚雷、対艦ミサイルの射程圏内である8キロ(一説に5キロ)以内にまで接近されても気付かぬまま、中国潜水艦が約8キロ後方で海上に浮上して初めて、空母戦闘軍の哨戒機が発見したという事件だ。

 軍事情報では定評のある米ワシントン・タイムズ紙が今月13日に報じて明るみに出た。そしてその翌14日、マレーシアを訪問中のウィリアム・ファロン米太平洋軍司令官が記者会見でその事実を認め、報道の正しさが確認された。

 ファロン司令官は会見で、もし空母が対潜演習中であったら「予測不可能な事態にエスカレートした可能性もあった」と述べ、今回の事件が米中偶発戦闘に発展する懸念があったことを率直に認め、事件の重大さの一端を示唆していた。

■ 副司令官が指揮?

 これに対し中国外務省の報道官は同日の記者会見で「そのような情報は聞いたことがない」としたが、2日後の16日、香港の新聞「明報」が、香港に本部が置かれる「中国人権民主化運動情報センター」の発表をもとに、「同事件は中国海軍の丁一平副司令官が直接指揮していた」と詳しく報じ、事実であれば、コトの重大さをさらに高めるものとなった。

 丁一平副司令官(中将)は1951年2月生まれの55歳で湖南省出身。2003年5月の乗組員70人全員が死亡した「361号潜水艦事故」の責任をとる形で北海艦隊司令官の任を解かれ、海軍参謀長に降格されていたが、今年8月、海軍副司令官に員に大抜擢(ばつてき)され、いずれ海軍司令官になるとみられている大物だそうである。

 そんな大物が直接指揮していたのだとすれば、今回の事件は単なる偶発的事件でも、また、問題の中国潜水艦によるミステークでもなく、中国海軍中枢がかかわった戦略的意味を持つ事件ということになる。

■ 米海軍の弱点露呈か

 それだけでなく、今回、米空母側が本当に探知できていなかったのだとすれば、米海軍が誇る圧倒的な攻撃力をもつ空母戦闘群が、たった1隻の中国潜水艦により打撃を受け得るものであること、中国潜水艦の静粛性がここまで改善されていたことなどを示したことである。

 今回の中国潜水艦は、中国国産の通常ディーゼルエンジンによる「ソン(宋)級攻撃型潜水艦(039A)」とされるが、従来、中国潜水艦のスクリュー音は非常に高く、軍事専門家らの間では、例えは適切ではないが「チンドン屋」とばかにされてもいた。

 2004年11月に石垣島付近の日本領海を侵犯した中国海軍の「ハン(漢)級」原子力潜水艦も米海軍や海上自衛隊、台湾の海軍当局らによって容易に探知された。

 それが、近代的軍事技術を満載した米空母に探知されないまでに改善されているのだとすれば、一大事である。

 もともと米海軍は冷戦時代から潜水艦に力を注がなかったため、対潜能力では日本の海軍自衛隊に頼るという側面があったともいわれる。今回の事件は米海軍の弱点の一つを露呈したものなのかもしれない。

 中国の潜水艦能力の向上は、台湾有事に対しても重大な意味を持つ。1996年の台湾海峡危機に際しては、米国は「ニミッツ」と「インディペンデンス」の空母機動部隊2群を派遣し、台湾を威嚇する中国のミサイル演習を中止させた。

 しかし、もし中国が台湾付近に潜水艦を展開すれば、米空母機動部隊はすぐには近づけなくなる。潜水艦の危険を排除する「駆潜」作業や、水雷除去作業が必要となるからだ。米軍の介入が遅れれば、中国による台湾急襲による軍事統一は格段に容易になる。

 平成18(2006)年防衛白書は増強著しい中国海軍の意図を初めて分析し、中国の目標として、(1)自国の国防(2)台湾有事における外国の介入阻止(3)海洋権益の獲得・維持・保護(4)海上輸送路の保護-を挙げた。

 日米はいまこそ中国海軍の能力と意図を分析し、必要な対策や備えを急がなければならないのではと思う昨今である。(矢島誠司)
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by unkotamezou | 2006-11-22 23:00 | 國防 軍事