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竹島と尖閣 日本の領土と指導要領に明記を
竹島と尖閣「日本の領土と指導要領に明記を」…文科相

 中山文部科学相は29日の参院文教科学委員会で、韓国や中国などと領有権をめぐって争いのある竹島と尖閣諸島について、「日本の領土だということは学習指導要領にない。次回の指導要領ではきちっと書くべきだ」と述べ、指導要領に日本固有の領土と明記すべきだとの意向を示した。

 指導要領で言及している北方領土についても、「少なくともソ連が日ソ中立条約を破って不法に占領して(そのままとなって)いること、日本固有の領土であること、現在交渉中であることを、きちっと教科書に書いてもらうよう、指導要領を直すべきだ」と指摘した。有村治子氏(自民)の質問に答えた。

 竹島をめぐっては、島根県議会の「竹島の日」条例制定をきっかけに韓国内で対日批判が高まっている。中学校教科書の検定結果が来月発表される予定で、文科省内には、教科書検定に韓国の対日批判が飛び火することを懸念する声が少なくない。このため、事務方の助言を受け、文科相はその後の答弁で、「私の一存で決められない。中央教育審議会でタブーを設けることなく議論してもらう」と発言を補足した。

 現行の学習指導要領には「北方領土が我が国の固有の領土であることなど、我が国の領域をめぐる問題にも着目させるようにすること」と記述されている。文科省は「竹島や尖閣諸島も『領域をめぐる問題』の中に含まれる」と説明している。

2005/3/29/20:10
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by unkotamezou | 2005-03-29 20:10 | 國防 軍事
防衛研究所 東亜の脅威「中国・北・海上テロ」
東アジアの脅威三本柱「中国・北・海上テロ」 防衛研報告書

 防衛庁のシンクタンク「防衛研究所」は二十八日、年次報告書「東アジア戦略概観2005」を公表した。日本周辺の安全保障環境について、台湾海峡有事に備えて軍事力を近代化している中国、核・弾道ミサイル開発を進める北朝鮮、先に日本人が拉致されたマラッカ海峡などでの海上テロを脅威の三本柱として打ち出したのが特徴だ。テロやミサイル攻撃には「自衛隊の対処能力が不十分」とも指摘し、ミサイル防衛(MD)などによる能力向上の必要性を強調した。

 概観は中国の軍事力に関して、「台湾への武力行使と米軍の介入阻止を念頭に置いた攻撃的な訓練が頻繁に行われている」と戦闘力の向上を指摘。人民解放軍の装備・組織の近代化に加え、欧州連合(EU)の対中武器輸出解禁の動向も踏まえ、中台の軍事バランスを「注意深くみていく必要がある」と警戒感を示した。

 また、昨年十一月の中国原子力潜水艦による日本領海侵犯事件にも触れ「中国海軍が沿岸防衛型から近海防衛型に向け、確実に進歩しつつある」と分析。東シナ海でのガス田開発に象徴されるように「胡錦濤政権における対外政策や対台湾政策は、世論やナショナリズムの影響を受けやすくなっている」との見解も提示した。

 北朝鮮については、金正日総書記が体制維持のため、核外交で「米国から安全の保証を、諸外国からは経済援助を得ようとしている」としたうえで、核実験など「交渉の機会を失うような行動は避けてきた」と指摘。北朝鮮は六カ国協議への参加の無期限中断を表明しているが「(協議の)プロセスが長引くほど、核と弾道ミサイルを開発する時間が北朝鮮に与えられる」と安全保障環境への悪影響も強調した。

 さらに、マラッカ海峡などで海賊と国際テロ組織が結託し、石油タンカーを乗っ取って港湾施設を攻撃するといった海上テロを東アジアの「新たな脅威」と例示。テロの防止や海上ルートを使った大量破壊兵器の拡散防止で、日本が主導的な役割を果たすよう提起している。
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by unkotamezou | 2005-03-29 08:30 | 國防 軍事
お下がり消え雛人形一代限り
【待ったなし 人口減少時代】第3部「漂流する日本らしさ」(1)
お下がり消え雛人形一代限り

≪押し入れのこやし≫

 四月を目の前にして、兵庫県宝塚市に住む保育士、日置博美(33)は、忘れ物をしたような気分がぬぐえない。仕事や、この春小学生になる一人娘、菜月(6つ)の入学準備に追われ、雛(ひな)人形を出さずに桃の節句を迎えたからだ。

「夫婦で『今年は出してへんなあ』と話してたけど、押し入れの奥から出すのは一苦労。お互いに気になりながら、今年は『もういいか』とあきらめてしまった」

 3LDKのマンション暮らしで、それほど大きな雛人形ではない。お雛様とお内裏様、雪洞(ぼんぼり)などがガラスケースに入っているオルゴール付きのセット。博美の七段飾りの雛人形は、小学二年生のころまで住んでいた父方の郷里に置いたままだ。

 菜月は「雛人形を出して」とねだらなかった。友達と雛祭りをする予定がなかったからだろう。夫婦はそれぞれ三人兄弟だが、菜月にいとこはいない。にぎやかな家庭の雛祭りは、いつの間にか姿を消していた。

 日置家のテレビの上には今、菜月が保育所で牛乳パックで作った雛飾りと、博美が教え子たちと一緒に作った紙粘土の雛人形が飾られている。

 京都府木津町に夫と二人で暮らす山上初生(はつみ)(67)の自宅一階の押し入れには約十年前から、会社員の長女(39)の雛人形がしまいっぱなしになっている。長女の初節句に初生の両親が買ってくれた七段飾り。

「毎年、お雛さん出したいな、と思うんですけどね。段を作る金具の組み立てに力がいるし、しまうのも大変やしね」

 長女らが小さいときは毎年飾り、雛祭りでは手料理に腕をふるった。しかし、成人したころから飾るのが二年に一回、三年に一回と減り、長女が一人暮らしを始めて、出さなくなった。

「ここらでは女の子の孫ができれば新しいのを買って、娘の分と孫の分の二つ飾るおうちもあります。いいなとは思いますが、うちの子はまだ独身やしねえ」

≪友人の輪で節約≫

 名古屋市の幼稚園児、中野駿(4つ)は、洋服もおもちゃもすべて、新しいものを身に着け、持っている。一人っ子だから当然だが、母親のゆり(34)は「値は張ってもいいものを買いたい。その分、数は最小限にとどめる」と言う。購入する服は一シーズン五着以内。

 長く着られるように、よい品質で少し大きめのサイズを買う。お出かけ着と普段着をきっちり分け、小さくなったほとんどの服は処分する。

「次の子供のためにとっておこうかとも思うけど、女の子かもしれないし。お下がりも考えて買う、という気持ちはないですね」

 二人目のために、と物置に保管している衣類は段ボール箱でわずか三箱。中身はほとんど、赤ちゃんものだ。

「これは着ている期間も短かったし、男女の別がありませんから」

 滋賀県大津市のフリーの音楽ディレクター、橋本由香(31)には長女の侑里(6つ)、長男の一志(2つ)の二人の子供がいる。女の子と男の子なので多くの洋服は着回せないが、「一志の服は買ったことがないんちゃうかな」。節約を可能にしているのは友人の輪だ。

「うちの子はもう着られへんから、使ってもらえる? 処分してくれてもいいし」

 こう言って、侑里の洋服は保育所で知り合った友人に渡す。一志のものは、以前住んでいた京都の友人たちから回してもらう。三月上旬にも、男の子用の靴をもらったばかり。一志のタンスにはすでに、少し大きめのトレーナーやズボンが相当入っている。ほとんどが一代限りで数カ月しか着ていないから、くたびれてはいない。

「まだ使えるのに捨てるのはもったいない。でも、着てくれる兄弟はいない。そんな家ばかりだからできることでしょうね」

≪母から娘へ、今や昔≫

 三月三日、役割を終えた雛人形を海に流す「ひな流し」神事を行う和歌山市の淡嶋神社には今年、全国から三万四千体の雛人形が集まった。一昨年より二千五百体も多く、顔をポリ袋で包んだままの真新しいものも。多くは、女性が結婚時に供養しようとする人形、と宮司の前田光穂は言う。

「子供が少ない時代なので、女の子が生まれるとおじいちゃんやおばあちゃんが、新しい雛人形を買ってあげたくなるのでしょうね。だから二、三十年前の一代限りの人形が多い。雛人形は本来、長く大事にするものなんですが」

 母から娘へ、そして孫へと受け継がれる雛人形は今や珍しいのである。

 家庭からお下がりが消えた理由も明白だ。結婚後五-九年の夫婦の子供で、一人っ子は24%、二人兄弟は51%、三人以上は14%(平成十四年、国立社会保障・人口問題研究所調べ)。子供が一人か二人という家庭が四分の三も占めていれば、お下がりが生まれるはずもない。日本らしさが消える。それも人口減少時代の一面である。=敬称略

(人口減少問題取材班)
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by unkotamezou | 2005-03-28 06:30 | 自然 生活 社會 医療
昭和天皇を護った二人のキリスト者(上)
昭和天皇を護った二人のキリスト者(上)

 占領軍司令部の中でフェラーズはただ一人、昭和天皇を戦犯裁判から護らねばならないと考えていた。


1.「ミチ・カワイという女性を探して欲しい」

 昭和20(1945)年8月30日、厚木飛行場に着陸した飛行機から、マッカーサーがコーンパイプをくわえてタラップを降りた。続く幕僚たちの中に49歳のボナー・フェラーズ准将がいた。

 一行は車を連ねて横浜のホテル・ニューグランドに投宿した。フェラーズはさっそくホテル側に、「東京にいるミチ・カワイという女性を探して欲しい」と頼んだ。すると意外なことに、支配人の中山武夫が「ミチ・カワイ」を知っているという。中山は以前、商社の米国駐在員としてニューヨークに長く暮らしたことがあり、その英語力を買われて、占領軍の応接役のマネジャーとして雇われ、今日が出社初日だった。

 不思議な縁に驚きながら「ミチ・カワイとはどういう知り合いかね」とフェラーズが尋ねると、中山は「十年ほど前に河井先生がニューヨークで講演をなさった時に、私の女房がお世話をさせていただきました」と答えた。河井は無事で、恵泉女学園を経営しているという。

 フェラーズが早速、手紙を河井あてに届けさせたのは9月3日。この日はちょうど恵泉女学園の2学期の始業式で、河井は学校にいた。まるで天が後押ししているようなとんとん拍子である。河井はすぐに英文の返事をよこした。
 あの恐ろしい戦争の日々、私たちは何度、あなたのことをうわさし合ったことでしょう。あなたがご無事でご活躍の様子を知って、こんなに嬉しいことはありません。

 あなたにお目にかかりたいのはやまやまですが、お願いですから、いましばらく私たちに会いに来ないでください。私たちはいまは、ただただ疲れきって、たとえお目にかかっても、あなたを喜ばせるような姿をお見せできません。[1,p11]

2.「天皇裕仁はルーズベルト以上の戦争犯罪人ではない」

 しかし、フェラーズにとっては、そんな悠長な事を言ってはいられなかった。やがて始まるであろう戦犯裁判で、彼は昭和天皇を護らねばならないと考えていたからだ。それは極めて困難な仕事だった。

 アメリカのある世論調査では、天皇を死刑にすべきだという意見が33%を占め、それを含めて70%が何らかの処分を求めていた。さらにオーストラリアとソ連が強く天皇訴追を主張していた。マッカーサー司令部の中でも、フェラーズ以外の全員が天皇を起訴すべきだと考えていた。

 その中で、ただ一人、フェラーズは「天皇裕仁はルーズベルト以上の戦争犯罪人ではない」と信じていた。家族への手紙では、こう書いたこともある。
 きょうまで私はルーズベルト大統領がアメリカ国民を戦争に巻き込まないように努力した行動をひとつも見いだすことができない。そうではなくて逆にあらゆる施策がまっすぐ戦争に向けてリードされた。[1,p195]
 これは当時の共和党系の人びとの共通認識だったと言える。[a,b,c] しかし、フェラーズはさらに天皇と日本国民の関係について深い洞察を持っており、そこから日本のためにも、またアメリカのためにも天皇を戦争犯罪者として裁くようなことがあってはならない、と考えていた。そのために協力してくれる日本人として河井道を探していたのである。


3.「教育とはまずよき人間になるために学ぶことです」

 河井道とボナー・フェラーズが初めて会ったのは、大正11(1922)年4月、東京においてであった。河井は44歳、フェラーズは26歳。陸軍中尉だったフェラーズは、赴任地のマニラから休暇を利用して、初めて日本を訪れたのだった。

 おりしも桜が満開で、「日本は魅惑的で美しい。神秘に満ちた心温まる国だ」とフェラーズは記している。そこで出会った何人かの日本人の一人に河井道がいた。「ミチ・カワイは傑出している」というのが、彼の印象だった。

 明治24(1891)年、14歳の河井道が札幌のミッションスクール、スミス塾の5年生だった年に、隣接する札幌農学校(現在の北海道大学)の教授を務めていた新渡戸稲造が出張授業に来るようになった。やがて河井は毎週土曜日の夜に新渡戸の自宅に食事に呼ばれ、その後、新渡戸が英語で口述する日記を筆記するようになった。河井は新渡戸を終世の師と仰ぐ。新渡戸はよくこう説いた。
 あなた方は良妻賢母となる前に、一人のよい人間とならなければ困る。教育とはまずよき人間になるために学ぶことです。[1,p40]
 明治31(1898)年、病気療養のために妻の故国・米国に渡る新渡戸に同道する形で、21歳の河井はアメリカに渡り、奨学金を得て、ブリンマー女子大に学んだ。帰国後、女子英学塾(現在の津田塾大学)の教授となり、英語、歴史、購読を受け持った。同時に、日本YWCAの設立に奔走し、初代総幹事となった。その関係で、32歳から1年半も欧米を回った。

 こうして当時の日本人女性としては異例の経歴と行動力を持った河井に、フェラーズは出会ったのである。「ミチ・カワイは傑出している」と思ったのも当然である。


4.ラフカディオ・ハーンに導かれて

 日本に魅惑され、もっと理解を深めたいと思ったフェラーズは、ラフカディオ・ハーン[d]の著作を見つけた。その後、数年で「ハーンの本はすべて読んだ」というほど魅了された。フェラーズは日本を再訪した際には、ハーンの未亡人を訪れ、遺児の面倒まで見るようになる。

 フェラーズは後にアメリカ陸軍きっての日本通となり、各種の論文や報告書を書くが、その一つ、対日戦のテキストとして広く読まれた「日本兵の心理」ではおおよそ次のように述べている。まさにハーンの日本観に基づいた見解である。
 日本人は祖先は神であると考える。死者に対する尊敬や親に対する孝道が日本人の特色である。
 欧米では天皇は現人神としてゴッド・エンペラーなどと訳されおり、「人間をゴッドのように崇める狂信」として反感や警戒心を与えていた。フェラーズは「ゴッド」と日本の「カミ」とは違うことに気がついていた。そこから天皇についても、こう理解した。
 天皇は権威の象徴である。明治時代以前は天皇は実際には国を治めていなかった。最強の武家が天皇の上にいて国を統治していた。各武家は天皇を自らの味方につけようと戦った。だがたとえどの武家が天皇を味方につけようとも、国民が最大の敬意を払うのは天皇であり、天皇以上に国民から愛着を持たれる者はこの国には存在しない。[1,p49]
 太平洋戦争中、フェラーズは対日心理作戦の責任者となる。そして日本国民に空からビラを撒く作戦を展開するが、そのビラの一つにはこんな文句があった。
 今日4月29日は御目出度い天長節であります。・・・戦争の責任者である軍首脳者はこの陛下の御誕生日の日に戦捷(せんしょう、戦勝)を御報告申し上げる事も出来ず、むしろ自身の無能の暴露を恐れてゐるのでせう。軍首脳部は果たして何時まで陛下を欺(あざむ)き奉る事が出来るでせうか。[1,p144]
 国民の天皇への敬意を尊重しつつ、軍首脳部を攻撃するビラは、その戦意を挫く上で多大の効果があった、と東条英機・首相も認めている。


5.日米戦争を避けるために

 河井は昭和4(1929)年4月に恵泉女学園を創設した。米国留学までした河井は当時の女性としては傑出した存在だったが、「女が少しばかり学問に励んだからといって家事ができないなどというのは恥です」と、学生寮では炊事、洗濯からトイレ掃除、風呂焚きまで教えた。教室の窓ガラスを生徒と一緒にせっせと磨き、雑巾を拭いた後が残ると見苦しいと叱って、やり直しを命じた。

 第一期生を送り出した昭和9(1934)年4月7日、一通の手紙がアメリカから届いた。アメリカ・キリスト教連合婦人会から、「私たちの国の戦争の風説に反対するために、あなたのメッセージが必要です」との講演の依頼だった。アメリカでの日系移民排斥や日本の満州事変をきっかけに、日米関係は険悪になりつつあった。

 師の新渡戸稲造は2年前に渡米して、全米で約百回の講演をこなした。昭和天皇からもじきじきに、両国の和解に骨折って貰いたい、とも依頼された。新渡戸は知人にこう語っている。
 本当に陛下は御立派な方だよ。私心なんかこれほどもおありにならない。そういう陛下を戴いている日本は本当に幸せなんだ。[1,p100]
 しかし、新渡戸は前年の昭和8年10月にカナダのビクトリアで客死していた。師の志を継ぐべく、河井は8月から12月までの4ヶ月間で全米60余の都市を回り、約2百回の講演を行った。この際に、ニューヨークで世話をしたのが、冒頭、横浜のホテル・ニューグランド支配人の中山武夫夫妻だった。

 カンザス市ではエリート養成学校・陸軍指揮幕僚大学に学んでいたフェラーズが河井を迎え、二人は時の過ぎるのを忘れて語り合った。河井はこの時のフェラーズの態度を「実に公平な議論をして、自国の反省すべき点」を語り、日本兵士の忠誠に敬意を表した、と回想している。

「公平な議論」とは、ルーズベルト大統領が大恐慌以来の経済的危機を避けるために、さまざまな挑
発をしかけている、というフェラーズの認識である。


6.皇室への敬愛

 戦争が始まると、河井はよく生徒たちに「この戦争は間違っている」と語り、憲兵隊に呼び出された事もあった。軍や文部省から御真影(両陛下のお写真)を校内に掲げるよう要請があったが、「校舎があまりにお粗末すぎて、大切なお写真をお預かりするにふさわしい部屋も安全な場所もありません」と、言葉巧みに逃げた。

 しかし宮城遙拝では、頭を上げるのが早い、と生徒たちを叱ったりしている。キリスト教徒として、天皇をゴッドのように礼拝はしないが、国民としての心からの敬意は払う、というのが、河井の立場だった。

 終戦の日に玉音放送を聞いた時の思いを、後にこう自伝に書いている。
 この未曾有の国家的危機に際して、・・・「大道を誤り、信義を世界に失う如き」を戒めよという天皇の父親らしい戒めに対して、国民は孝心を明らかにして従順に従ったのであった。天皇に対する代々の忠誠心は、塵や埃のように一吹の風にあえなく散ってしまいはしない。[1,p179]

7.「私がいの一番に死にます」
 7百万の日本兵が降伏したなんて、まるで奇跡のようだ。日本を占領するために、どれだけの日米の兵士、民間人の命が犠牲になったか考えてみて欲しい。[1,p209]
と、フェラーズは家族への手紙に書いているが、天皇の玉音放送で7百万の将兵がただちに矛を収め、整然と武装解除されつつある姿を見て[e]、フェラーズは「国民が最大の敬意を払うのは天皇」という自分の洞察が正しいという確信を深めた。

 9月11日、東条英機ら39人が逮捕された。天皇を護るために早く手を打たねばならない。9月23日、来日3週間目にようやくフェラーズは河井道と再会できた。

「仮にの話ですが、もし天皇を処刑するということになったら、あなたはどう思いますか」と聞くフェラーズに、河井は答えた。
 日本人はそのような事態を決して受け入れないでしょう。もし陛下の身にそういうことが起これば、私がいの一番に死にます。・・・もし、陛下が殺されるようなことがあったら、血なまぐさい反乱が起きるに違いありません。
 フェラーズは、玉音放送後の整然たる降伏と武装解除を目の当たりにし、さらにこの河井の言葉を聞いて、腹を固めた。もし天皇を処刑したら、日本国内は血なまぐさい反乱で収拾がつかなくなる。占領統治を円滑に進める最善の方法は、天皇を罰することではなく、逆にその力を借りることである。

 フェラーズは、マッカーサーに天皇の処遇に関する意見書を早急にまとめるので、ぜひ力を貸して欲しい、と河井に頼んだ。


8.「陛下にお目にかかれて光栄です」

 4日後、その天皇の姿がフェラーズの目の前にあった。9月27日午前10時、昭和天皇が米国大使館にマッカーサーを訪ねたのだった。出迎えたフェラーズに、天皇はトップハットをとり、日本語で「お会いできてうれしい」と挨拶しながら軽くお辞儀をして、手を差し出した。フェラーズは天皇の手を握り、英語で「陛下にお目にかかれて光栄です」と答えた。

 後のマッカーサーの証言では、この会見で昭和天皇は「戦争の全責任をとる」と発言して、彼の心を揺すぶった[e]。天皇は深く覚悟されて会見に臨まれたのだが、アメリカ大使館で最初に出迎えたフェラーズの応対は、そのお気持ちをなごませた。天皇は後にフェラーズに次のようなお言葉を伝えられている。
 あなたが温かく迎えてくださったときから、私はマッカーサー元帥との関係がうまくいくだろうと思いました。
 昭和天皇は、この「温かく迎えた」相手がアメリカ陸軍きっての親日家、知日家である事など予想だにされなかっただろう。まして、彼が天皇ご自身を戦犯裁判から救わねばならないとの覚悟を内心に秘めていたとは。

(文責:伊勢雅臣)

参考

岡本嗣郎「陛下をお救いなさいまし―河井道とボナー・フェラーズ」ホーム社

国際派日本人養成講座 平成十七年三月二十七日 三百八十八号
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by unkotamezou | 2005-03-27 17:07 | 歴史 傳統 文化
沖ノ鳥島に観測用レーダー
沖ノ鳥島に観測用レーダー、6月設置…接近船舶も把握

 政府は6月、日本最南端の沖ノ鳥島に海象観測用レーダー1基を設置する。島を浸食する波の調査が主たる目的だが、半径約20キロの日本領海内の船舶の動向を把握する能力があり、中国の海洋調査船などの不当な接近をけん制する狙いもある。

 沖ノ鳥島は周囲約11キロのサンゴ環礁。波による浸食を防ぐため、政府は1987年に護岸工事などを始め、直轄管理で保全している。現在は、水中の環礁内に埋め込んだ機材で周辺海域の波の高さや種類などを観測している。さらに、昨年6月、中国の海洋調査活動などにも対応するため、暗視、望遠の機能を強化した最新のカメラを3機設置し、今年2月から本格運用を始めた。

 今回のレーダー新設は、より広い範囲の波のデータ収集が目的で、国土交通省の2005年度予算に3億3000万円を計上した。

 レーダーは、環礁内の水上にある作業用架台に設置。データは、横浜市鶴見区の国交省関東地方整備局京浜河川事務所に送られる。

 レーダー設置後は、接近する船舶の発見や実態把握に役立てる方針。国交省幹部は「排他的経済水域(EEZ)を守る国益の観点からも活用したい」と語る。

2005/3/27/03:03
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by unkotamezou | 2005-03-27 03:03 | 國防 軍事
マータイさん 万博でも「もったいない精神」
マータイさん、万博でも「もったいない精神」強調

 アフリカで緑化運動を進めた功績から昨年ノーベル平和賞を受賞したケニアの女性環境保護活動家、ワンガリ・マータイさん(64)が26日、愛・地球博(愛知万博)会場で、博覧会協会と読売新聞が共催で発行している「読売地球新聞・ジュニア版」のジュニア特派員のインタビューに応じた。

 マータイさんは先月、京都市で開かれた京都議定書の発効記念行事に参加した際に「もったいない」という日本語を覚え、「ものを大切にする精神を象徴的に表した言葉」として、様々な機会をとらえては自ら使っている。この日は、愛知県豊田市立保見(ほみ)中学から参加した特派員6人の取材を受け、「『もったいない』という精神を世界に伝えたい」などと語った。

2005/3/26/21:01
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by unkotamezou | 2005-03-26 21:01 | 自然 生活 社會 医療
大学生の学力底上げを目的とした学会が発足
大学・学生の底上げ 学会発足、補習教育を研究

 学齢期人口の減少による受験競争の緩和や「ゆとり教育」で進む大学生の基礎学力低下を食い止めようと、学術団体「日本リメディアル(補習)教育学会」(小野博理事長)が二十二日、発足した。大学生の学力の底上げを目的とした学会が設立されたのは初めて。都内の清泉女子大学で開かれた発起人大会では、調査・研究が不十分だった補習教育の体系的な研究、教育ノウハウの普及を目指すことを決めた。

 同学会のメンバーは、大学一年生を対象とした「補習教育」を研究する大学教員ら約百四十人。理事長の小野氏は医学博士で、独立行政法人「メディア教育開発センター」(千葉市)の教授(コミュニケーション科学)。同学会発足の背景には「ゆとり教育」の影響で今後も大学生の学力低下が予想され、日本の高等教育のレベルが低下するとの危機感がある。

 小野氏はあいさつで「学生の基礎学力格差をどう評価するか、短期間でどれだけ学力を上げられるかが課題だ」とし、教材の開発や大学側の支援に積極的に取り組んでいく考えを示した。

 大学生の基礎学力をめぐっては最近、「受験戦争」の緩和や、大学が面接などを重視する入試を実施している影響で、大学や学部、学科内での基礎学力格差が顕著になってきたことが社会問題化している。

 小野氏が昨春、全国の国公私立大学などの約一万三千人の新入生を対象に行った調査では、国語力が中学生レベルしかない大学生が国立で6%、私立で20%。また英語力でも英文科を除く私立文系の学生の65%が中三から高一のレベルだった。

 「ゆとり教育」の見直しを進めている文部科学省では、平成十五年度から実施している「特色ある大学教育支援プログラム」で一部に補習教育関連事業への支援をしているが、全国を対象とした体系的な取り組みはまだ行われていない。



≪放置なら格差拡大≫

■小野博メディア教育開発センター教授

 十八歳人口減少や大学入試の多様化で入試の競争が緩和された影響により、大学内で基礎学力の格差が顕著になっている。文部科学省が推進した「ゆとり教育」で今後も学力不足の大学生の増加が予想される。このため、リメディアル(補習)教育学会を設置し組織的な研究と大学の教育現場への支援を行うことが必要と判断した。

 かつては「受験戦争」という歯止めがあり、最低限の学力が確保されていたが、今はそれがなくなりつつある。また、ゆとり教育の影響による高校生以下の学力低下も報告されており、このまま放置すれば日本人の教養の格差も広がるという危機感をもっている。

 「大学全入時代」入りを平成十九年に控え、各大学はリメディアル教育を通じた学生の基礎学力確保と、卒業生の学力に責任をもつ「出口管理」が必要になってくるだろう。


大学・学生の底上げ 初の外部評価、34校中2校保留

 大学の外部評価を行う「大学基準協会」(清成忠男会長)は二十二日、三十四の公私立大学に対する認証評価の結果を初めて公表した。日大、立命館大、立教大など三十二大学が「基準に適合している」とされたが、奥羽大(福島県)、那須大(栃木県)は「保留」とされた。不合格に相当する「基準に適合しない」とされた大学はなかった。

 大学が客観的な評価を受けることで質の向上をはかることが目的で、今回評価を受けたのは公立六校、私立二十八校。国立大はゼロだった。

 教育、研究、財務などの相互評価で「基準に適合している」のは十七校、相互評価より基準の緩い加盟判定審査で「基準に適合している」が十五校だった。今後七年間で、全大学が評価を受けることを義務付けられている。

 保留となった奥羽大は「国家試験合格に偏重しすぎた教育となっており、改善の方向性が分かりにくい」とされた。那須大は「定員に比べて学生数が著しく少なく、財務上も支出超過が続いている」と指摘された。両校は、今後三年間に指摘された点を整備すれば合格となる。協会では「厳しく判定した。保留は不合格ではないので、指摘事項をきちんとなおしてほしい」としている。

 一方で「基準に適合」とされた三十二校のうち二十三校には、学生の過剰や不足、専任教員の不足、消極的な財務公開などについて「勧告」が付され、早急な改善が求められた。合格校でも大半は問題点があることが浮き彫りになった。同協会の大西有三・判定委員長は「目的は合否判定ではなく、大学の改善を支援すること。各大学にはさらなる質の向上に努力してほしい」と大学側の奮起を促した。

 また、初年度に評価を申請した大学が、全国七百九校のうちわずか4・8%の三十四校だったことについて、清成会長は「多い数ではないが、初年度なので不確定要素が多く、こんなものかなと思う」と話した。各校とも一年目は模様眺めを決め込んだためとみられる。

 認証評価機関には大学基準協会を含め四団体が認められており、来年度以降は複数の機関がそれぞれの基準で評価を行う。



【大学の認証評価】

平成16年度に導入された、大学の教育や研究内容、財務状況を外部機関が総合的に評価する制度。大学の質を確保し、教育内容などを改善するため始まった。大学基準協会や大学評価・学位授与機構など、文部科学相が認めた第三者機関が、独自の基準をもとに判定する。国公私立の全大学は、16年度から22年度までの7年間に、初回の認証評価を受ける義務がある。
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by unkotamezou | 2005-03-23 08:30 | 教育 學問 書籍
日本の常任理事国入り 安保理拡大なら確実
日本の常任理事国入り 「安保理拡大なら確実」国連総長、異例の言及

【ニューヨーク=長戸雅子】国連のアナン事務総長は二十一日、国連改革の勧告に関する記者会見で、焦点の安全保障理事会の改革について加盟国が常任理事国の六カ国増加で合意した場合として「アジアに予定されている二議席のうち一つは日本へ行くだろう」と述べた。報道官室は後に発言を打ち消す文書を配布し、発言には特別な意図はないとしたが、加盟国の利害が直接対立する安保理拡大問題で事務総長が特定の国名に言及するのは異例。

 発言は「欧州に一議席増やす常任理事国拡大案は開発途上国に不公平ではないか」との記者の質問に答えたもので、事務総長は「もし、拒否権なしの新常任理事国六カ国増加に加盟国が合意したら、六カ国のうち五カ国は代表性が低いとみられている地域から選ばれる」とし、「アジアのなかで、一つ(の議席)はもちろん、日本へ行くだろう」と述べた。一連の改革論議のなかで特定国の常任議席獲得の可能性に関する事務総長の発言は「初めて」(国連筋)で、報道官室は「欧州に有利になるとの主張に反論しようとしただけで加盟国の決定権を無視する意図はなかった」と“特定の意図”を否定した。

 なぜ日本の名前が出たのかは不明だが、ある国連筋は「日本の積極的な活動を知っているのでつい国名が出てしまったのではないか」と話している。

 一方、新常任理事国が実現した場合、拒否権を付与するかどうかについて事務総長は「拒否権の追加は加盟国にとって受け入れ難いというのが一般的な見解だ」と述べ、否定的な見方を示した。

 そのうえで「拒否権なしの常任理事国を作ることは可能で、それでも安保理の民主性、代表性は高まり、より広い正当性を持つようになる」と指摘した。
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by unkotamezou | 2005-03-23 08:30 | 政治 行政 立法
皇位は「男系男子」神社本庁が基本姿勢
典範改正 皇位は「男系男子」 神社本庁が基本姿勢

 全国約八万社の神社で組織する神社本庁は二十日までに、小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が皇位継承のあり方について検討していることを受けて、本庁としての見解を示した「皇室典範改正に関する神社本庁の基本的な姿勢」をまとめた。父方に天皇の血統を持つ「男系男子」による伝統的な皇位継承の重視などを明確にしたもので、十八日付で各都道府県の神社庁に送付した。

 見解は「歴史的に、皇位は男系男子によって継承された」と指摘。政府や有識者会議には「男系男子による継承の歴史的な意義と重みを明確にした上で、将来にわたって安定的に皇統を護持するための具体的な論議がなされるべきだ」と求めている。

 また、天皇、皇族は憲法の基本的人権の「例外」とされることから、男女平等の観点から女性天皇を論じるのは不適切と主張。皇位継承のあり方に関し「海外の例を安易に取り入れることは、国柄の変更をもたらす恐れがある」とした。
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by unkotamezou | 2005-03-21 08:30 | 皇室
紀宮さま 納采の儀
紀宮さま・黒田さん お互いの思い育まれ 納采の儀

 紀宮さまと黒田慶樹よしきさん(39)との「納采の儀」が十九日、皇居・宮殿で、厳かに滞りなく終了した。お互いの思いを静かにはぐくまれて、晴れて正式に婚約者同士となったお二人。秋以降の結婚式へ向けて本格的な準備を進められることになる。

 晴天に恵まれたこの日。午前九時四十分ごろ、紀宮さまは御所から車で宮殿に到着された。枝垂れ桜をあしらった白いロングドレス姿で、報道陣からの「おめでとうございます」の言葉に軽くうなずかれた。

 続いて黒田家の使者、黒田直志なおゆきさん(53)が宮内庁差し回しの車で到着した。

 側近によると、この日朝、紀宮さまは午前七時ごろ朝食をとり、御所の庭で今年初めてのツクシ摘みをされた。晴れやかなご様子で、両陛下もたいそううれしそうにされていたという。

 紀宮さまは両陛下と一緒に「鳳凰の間」で、湯浅利夫宮内庁長官から、婚約する旨の使者の口上と、鮮鯛(一対)、清酒(三本)、絹服地(二着分)の納采の品々を受け取られた。両陛下の脇でたたずみ、陛下が納采をお受けになる旨述べられたのを聞かれた紀宮さま。

 側近によると、黒田さんとのご婚約内定が決まってからも、紀宮さまは以前と変わらぬ生活を送られていたという。非常勤研究員を務めている山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)に週二回通っているほか、日本舞踊の稽古も続けられている。外国大使らとのご接見などの公務も果たされている。黒田さんとは御所でたびたび会い、ご結婚に向けての準備や結婚後の生活について話しあわれているご様子という。時にはお手製の料理を両陛下と黒田さんにふるまわれることも。

 一方の黒田さんは婚約内定後も都庁で建設事業者への相談や指導の窓口業務を行っている。デスク業務に加え、カウンターや電話での対応もしており、月末などには来庁する客が多くなるが、一人一人丁寧に対応しているという。



■納采の品…洋服地・清酒・鯛

 「納采のうさい」は中国の四書五経の五経の一つ「礼記」に由来する。一般の結納にあたるもので、「采」には良縁を採るとの意味がある。お二人の婚約が、これで正式に調った。

 この日、黒田さんから紀宮さまに贈られた納采の品物は、絹の洋服地二巻(二着分)と、清酒一・八リットル入り瓶三本、雌雄の鮮鯛一対。

 布地はいずれも紀宮さまのドレスに仕立てられるが、結婚式で着用されるかは、現在のところ不明という。一巻は淡いピンク地に銀糸が入ったもので、もう一巻は青緑色の布地。

 一方、天皇、皇后両陛下から黒田家に届けられた納采の品物は、ウールの背広地二巻(二着分)と、清酒一・八リットル入り瓶三本、雌雄の鮮鯛一対。背広地は黒田さんの希望を取り入れ、いずれも無地に近い濃紺の国産布地という。



 紀宮さま「両陛下のおぼしめしを頂き、滞りなく納采の儀を終えることができましたことを、深く感謝申し上げます。残り少ない内親王としての日々を、大切に過ごして参りたいと存じます」

 黒田慶樹さん「本日、両陛下のおぼしめしを頂き、納采の儀が行われましたことを大変ありがたく存じております。これからの日々を、心して過ごして参りたいと存じます」



■儀式経て、秋以降ご結婚/式場は民間施設有力

 「納采の儀」を終えた紀宮さまと黒田さんには、ご結婚までさまざまな儀式や行事が待っている。

 黒田家の使者が御所で結婚式の日取りを伝えるのが「告期こっきの儀」。

 さらに皇室を離れる女性皇族に贈られる一時金を話し合う皇室経済会議が開催される。同会議は小泉純一郎首相を議長とする八人で構成。元皇族としての品位を保つために国から支出される。

 結婚式の二、三日前に皇族を離れることを先祖に報告するのが、「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」。そして紀宮さまから両陛下に感謝の意を伝える「朝見ちょうけんの儀」が行われる。

 結婚式当日には、黒田家側から紀宮さまを皇居に迎えに来る「入第じゅだいの儀」のあと、お二人は結婚式に臨まれる。先例から民間の施設で行われるとみられている。



 ■昨年、プロポーズ/内定発表2度延期

 紀宮さまと黒田さんは、黒田さんが秋篠宮さまのご学友であることから、幼いころからの顔見知りだった。昨年十二月三十日の記者会見によると、お二人は一昨年の一月に秋篠宮邸で開かれた懇親会で再会、会話を重ねていく中で、結婚を意識するようになったという。昨年初め、黒田さんから紀宮さまにプロポーズし、紀宮さまはすぐに承諾された。

 当初、婚約の内定は昨年十一月初めにも発表される予定だったが、新潟県中越地震による被災者を思われ、お二人の意思で延期。さらに十二月十八日にも発表の予定だったが、高松宮妃喜久子さまの逝去で再び延期された経緯がある。
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by unkotamezou | 2005-03-20 06:30 | 皇室