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カテゴリ:皇室( 177 )
秋篠宮さま誕生日会見
≪秋篠宮さま誕生日会見(11/29)全文≫

--両殿下におうかがいいたします。12年ぶりとなったご出産は、部分前置胎盤のために帝王切開となるなど、大変なご心配、ご苦労があったことと思います。悠仁さまが無事誕生された際、どのようなことを思われたのか、またご懐妊を知られたときや前置胎盤であるとお知りになった時のお気持ち、ご入院中に天皇、皇后両陛下や眞子さま、佳子さまがお見舞いに来られた際のことなど、ご出産にまつわるご感想を、エピソードを交えてお聞かせ下さい。また出産を終えられたいま、4人目のお子さまについて思われることなどを、あわせてお聞かせください。

秋篠宮さま

 9月6日にですね、長男、悠仁が生まれたわけですけれども、まずは無事に生まれて良かったということ、そして、そうですね、12年ぶりになりますので、私にとっては、私たちですね、久しぶりの赤ちゃんということなわけですけれども、大変その意味で新鮮な印象を受けました。部分前置胎盤ということで、早い、比較的早い時期から入院をしたわけですけれども、近年は医療が非常に発達しておりますので、その意味でですね、必要以上に心配することはなかったと思います。入院中のエピソードなどについてはそちらから。

紀子さま

 入院中には両陛下のお見舞いをたまわり、心和む時間を過ごすことができまして、大変幸せでございました。娘2人が誕生した、2人のときと同じように、折々に身重の私をお優しく、お気遣いくださり、また、前置胎盤であることをお知りになられ、ご心配いただき、いたわっていただきましたことに深く感謝申し上げます。

 また、宮さまも私が入院している間、また、入院する前、久しぶりに経験する出産、そしてそれに加えて前置胎盤であること、そのような中で不安を持っている私を、冷静にまた優しく支えてくださり、必要な医学的な事柄をわかりやすく話してくださり、大変うれしゅうございました。

 また、娘たちの見舞いについてですけれども、ちょうど私が病院に入院していたときは、学校が夏休みだったこともあり、宮さまと一緒に、あるいは、それぞれ都合の良い折に、よく来てくれました。眞子は、私が楽しみにしていたオーストリアの滞在の話を、生き生きと話してくれ、鑑賞した音楽会のパンフレットをみせたり、オーストリアで求めた音楽のCDを一緒に聴いたりしました。佳子はほぼ毎日こちらを訪ね、私の傍らで、学校の夏休みの宿題をしたり、留守にしていた家で、私がいなかったときの家の様子やスケートの練習について、楽しそうに話してくれました。

秋篠宮さま

 子供たちのなかでも、とくに下の、今は下のっていってはいけないのですね、二女の佳子にとってはですね、母親と長く一緒にいられる時間がとてもうれしかったみたいですね。ですから、足繁く通って、それで病院で宿題していたんでしょうね。

紀子さま

 はい。

秋篠宮さま

 それで、上の眞子につきましては、佳子ほど長く、頻繁に行くということはなかったと思いますけれども、その分ですね、私との会話の時間が多くなりまして、その意味でいい親子交流ができたと思っております。そんなところでしょうかね。

紀子さま

 子供が無事に誕生したとき、ほっといたしました。あわせて両陛下をはじめ、今年の春から出産まで励まし支えてくださった多くの方々、医療関係者や家族に感謝の気持ちでいっぱいになりました。2人の娘たちのときの誕生を思い出しながら、家族に新たに1人を迎える喜びと、誕生する幼子への愛しさと、あっ、誕生したですね、誕生した幼子への愛しさと、命をはぐくむことの重さを再び感じました。3番目の子供を授かったことを知らされたとき、娘2人のときと同じように、うれしい気持ちと無事の誕生を祈る気持ちを抱きました。

 お見舞いについては、先ほどお話しいたしましたので、最後に、入院中、手厚い医療と看護を受けながら、心穏やかな時間を家族と持つことができました。そのことにより、前置胎盤の気がかりを自分一人で抱えるのではなく、家族とともに、不安な気持ちも新しい命を迎える喜びも家族とともに一緒にあることと思い、無事に一日一日が出産日に近づいていくことを感謝しつつ、過ごすことができました。

秋篠宮さま

 第4子についてですけれども、それについては今は考えておりません。

--両殿下にお尋ねします。ご一家に新たに加わられた悠仁さまは、両殿下にとって初めての男のお子さまであるとともに、天皇、皇后両陛下にとっても、初めての男のお孫さまであります。初めての経験となる男の子の教育と、男子皇族としての悠仁さまの今後のご成長について思われることを、悠仁さまのご様子とあわせて、お聞かせください。

秋篠宮さま

 私たちにとって、男の子は今まで経験がないことですので、どのような経緯をたどって成長するのか、わかりません。ただ、基本的にはですね、長女、二女と同じように接するつもりでおります。今の段階で、言えますのは、そうですね、元気に育ってくれることを願っているということです。最近の悠仁の様子ですけれども、よく眠って、よく泣いて、よく笑っている、といったところです。よくあれね、お乳も飲んでますね。

紀子さま

 悠仁は来月の上旬には3カ月になります。よく眠っていた、眠ることが多かった悠仁も、日に日にめざましく成長し、宮さまや娘たちが抱いて話しかけると、それに応えるようにほほえみ、かわいい声や元気な声を立てるようになってまいりました。また、部屋の様子、遊ぶものをじっとみたり、動くものに関心を示し、目で追うことができるようになってきました。宮さまが弾かれるギターの音色を聴きながら、満ち足りた表情でうとうとしていることもあります。

 また、夕方、学校から帰宅した娘たちが、悠仁の様子を見に来て、目を見つめて、「かわいい」と喜び、それぞれにできる世話をしてくれるので大変助かります。悠仁を囲みながら、家族でにぎやかに過ごしているとき、10年以上も前、幼い娘たちを夢中になって育てながら、仕事をしていた若いころを思い出します。中学生と小学生になりましても、宮さまと私に多くの楽しみと喜びを与えてくれます。

 そして、今、家族5人の日々が始まっていることに感慨を覚えます。これからのことについてでございますが、悠仁は誕生してからまだ2カ月しかたっていなく、今は心身ともに健やかに成長していけるように見守っていきたいと思います。以前にもお話しいたしましたが、小さいときから基本的な生活習慣を学ぶことは非常に大切であると思います。たとえば、あいさつや感謝の心などでしょうか。また、両陛下をはじめ、周りの方々のご意見をうかがいながら、必要なことは追って、時を追って、私たちもともに学びたいと考えております。

 一つちょっと忘れてしまった、先ほどの1番目の質問で、ちょっと答えるのを忘れてしまったんですけれども、よろしいでしょうか。

秋篠宮さま

 よろしいんじゃないですか。

紀子さま

 申しわけございません。あの確か、前置胎盤ということを知らされたときはという質問をちょっと答えるのを忘れてしまいましたので。

 前置胎盤であるとの診断を医師より受けたとき、出産の経験が2回ありながらも、前置胎盤をはじめ、妊娠、出産に伴う、ほかのさまざまな医学的な心配事について、一般向けの医学書を読んで得た情報しか持っていないこと、知らないことに気がつきました。前置胎盤は安静にしながら経過を見ていくことが大事であること、安静にしていても母子ともにリスクの心配があること、しかし、医学の進歩により以前に比べてはるかにリスクが低くなっていることなど、くわしい説明を宮さまと一緒にうかがい、それらのことをしっかりと心にとめられるよう努めました。

秋篠宮さま

 だから割とあれですね、先ほど私も申しましたけれども、安心した気分でいられたんだと思います。

紀子さま

 ありがたいことだと思っております。

--両殿下におうかがいします。眞子さまは今年、秋篠宮さまのご公務に何度か同行され、夏にはオーストリアで初めてのホームステイを経験されました。佳子さまは学校生活のかたわら、フィギュアスケートに熱心に取り組まれています。お二人のご成長ぶりや、将来女性皇族としてどのような役割を期待されているのか、お聞かせください。

秋篠宮さま

 長女の眞子につきましては、先月ですね、15歳になったわけですけれども、いわゆる子供という時期から大人になる、ちょうど移行している時期ではないかなというふうに思います。私と話をしていても、私が話したことについて、自分で考えて意見を言うようになってきたなというふうに思っております。

 今年は沖縄とかですね、それから伊勢とかに連れて行きましたし、それからまた、夏にはオーストリアでホームステイ、1人で行くのは初めてなわけですけれども、経験して非常に楽しいときを過ごしたようですけれども、それらのこともですね、眞子にとって非常によい経験になったのではないかと思います。

 一方、二女の佳子については、フィギュアスケートを一生懸命する一方で、もともとあれなんていうのかな、手芸かな。

紀子さま

 手芸、はい。

秋篠宮さま

 手芸が好きなんですね。よく夜とか、部屋をのぞいてみると、何を作っているの。

紀子さま

 フェルトでものを作ったり。

秋篠宮さま

 何か工作をしているのですけれども、生まれてくる子供のためにも、何だったんでしょうかね。何か一生懸命作っているようでしたね。

 それから、その次の質問にありました女性皇族の役割についてですけれども、私は、私たちと同じで、社会の要請を受けて、それがよいものであれば、その務めを果たしていく。そういうことだと思うんですね。これにつきましては、私は女性皇族、男性皇族という違いはまったくないと思っております。ですから、そうですね。役割という、女性皇族だから何かという、そういう役割というのは、私は、少なくとも公的な活動においては思い当たりません。

紀子さま

 出産を控え、医師の勧めによって、安静に心がけていた私は、宮邸で長く過ごしていましたが、そのような中で、娘たちとの語らいの時間も例年より多く持てました。

 娘たちは毎日、私の体調を優しく案じてくれながら、学校などのことをいろいろと話してくれました。私からは、娘たちに、日ごろ感じていることや考えていることなどを伝えました。それに対して、それぞれ自分の思いを話してくれました。だんだん、私の良き話し相手となり、ときには、私が相談しているような場合もあり、そのような成長をうれしく思います。

 娘たちに話したことは、たとえば、今年、母子保健や地域医療などの仕事に携わっている方々から、多くの話をうかがいまして、そのような中で、たとえば、発展途上国には妊産婦や乳幼児をめぐる医療環境が非常に厳しいこと、日本で産婦人科医や小児科医のなり手が少なくなっていることなどについてです。

 それに続いて、私は娘たちに、「もし私が医療関係者から遠く離れて暮らしていたら、そして、前置胎盤であることを知らないでいたら、リスクが非常に高く、今、このようにして過ごすことが難しかったかもしれない」との思いを、それから、医師、助産師、看護師、そのほかの多くの方々のおかげで無事に出産し、元気に子供を育てることができることへの感謝の気持ちを伝えました。娘たちはそれぞれ、私の話にじっと耳を傾けてくれ、私の気持ちを受け止めたように思います。

 先ほど、宮さまも話されましたように、眞子は今年の夏休み、学校の夏休みを利用して、オーストリアのウィーン郊外にある知人宅に約2週間過ごしました。家を離れて、言葉、食事、そのほか、さまざまな生活慣習が異なる中で過ごすことは、戸惑う場面もあったかもしれませんが、滞在先のご家族には大変よくしていただき、ありがたく思っています。この機会に、眞子は出合ったさまざまな出来事を自分なりにとらえ、新鮮な発見と喜びを携えて帰国し、貴重な経験ができたと思います。

 佳子は小学生として最後の年にあたり、春の入学式には1年生を迎える受付係をしたり、夏には臨海学校で1キロの遠泳をしたり、9月には奈良へ修学旅行に出かけたりするなど、6年生として充実した日々を送っております。また、今までと変わらずフィギュアスケートの練習にも励んでおります。また、9月に誕生する子供のために、一緒に準備や支度を助けてくれました。佳子が誕生する子供のことをこまやかに思いながら、迎えようとする優しさをうれしく思いました。

 これから先のことについては、娘たちがさまざまな経験をする中で、次第に社会から何を期待されているかを感じ、求められているものに応えることができるようになってくれればと願っています。娘たちは内親王としての紀宮さまが、結婚されるまでのお姿を近くで見ておりました。紀宮さまが一つ一つのお仕事を大切に、ていねいにされていたことを学びながら、娘たちが少しずつ担う役割に対して理解を深めていってくれればと思っております。

--殿下にお尋ねします。ご出産という大きな出来事があった今年、宮さまはパラグアイに初めて訪問されるなど、数々のご公務も果たされました。殿下にとってのこの1年を振り返り、ご感想を、パラグアイでのエピソードなどを交えてお聞かせください。

秋篠宮さま

 私にとっての1年ということですけれども、2月に子供の懐妊がわかり、そして9月に出産がありました。それからまた、日本の各地を訪れたときに、さまざまな人と会って話をする機会を得ました。

 そして、パラグアイを初めて公式訪問しました。パラグアイの日本人移住の70周年の式典にはですね、ちょうど家内の出産のときと重なったということがありまして、それに出ることはできませんでしたけれども、70周年の記念の年にですね、ぜひとも訪問したいと思っており、それが実現したことは私にとりまして、大変うれしいことでありました。

 今回、3泊4日だったわけですけれども、その間に比較的ゆっくりと時間をとって、日系人の人たちと話をする機会がありました。その中には1世の人たちも、かなり多くおられたわけですけれども。それで話をする中で、パラグアイに入植して、それで土地を開墾するわけなんですけれども、私などが想像していたよりも実際に話を聞いてみると、はるかにですね、土地を耕すということが大変だったということがよくわかりました。

 今はもう本当に普通の、人が住むような場所になっているところも、入ったころは結局、原生林で大木があるわけですね。その大木を切り倒して、それでそこを焼き畑というか、火をつけて焼いて、耕作地にするわけですけれども、切り倒したときにその木の下に入ってしまって、体が不自由になった人とも会いましたし、また、これも初めて聞いた言葉でしたけれども、「焼き過ぎ3年、不焼け3年」ということをいわれた人がいましてですね、どういうことなんでしょうと聞いてみましたら、火をつけて焼いて焼き過ぎてしまうと、土壌が非常に硬くなって、カチカチになって、そこからまた耕作するというのは非常に大変だと、一方、今度はあまり強く焼かないでいると、根が深く入っているわけですけれども、根が残ってしまって、そこからまた木が再生したり、害虫がついたりしてですね、それをまたそこからもう一度起こしていくというのは大変な作業で、つまり火加減が非常に難しくて、そのいずれの場合でもさらに3年ぐらいしないといい土地にできないという話でした。

 そのようなことはやはり、実際にそれに携わった人に会って話を聞かなければなかなかわからないことでありますし、私にとりましては大変貴重な機会だったと思います。そのようなことがあった1年でしたけども、私にとって、私というか、私たち家族ですね、にとっては、いい1年だったのかなというふうに思っております。

--それでは最後の質問です。殿下にお尋ねします。天皇、皇后両陛下は6月、東南アジア3カ国を訪問されました。夏には皇太子ご一家が初めての海外でのご静養をオランダで過ごされ、オランダ王室とのご交流を一層深められるなど、天皇ご一家全体でもさまざまな出来事があった1年でした。天皇ご一家にとってのこの1年をふりかえり、いろいろな出来事について、ご感想をお聞かせください。

秋篠宮さま

 全体をまとめてというのが、少し難しいかなと思いますけれども、まず、天皇、皇后両陛下のことに関しましては、今年も、例年、毎年そうなんですけれども、いわゆる外に出てのお務め以外にも、宮殿の中で行われている行事というのが極めて多いなという印象があります。

 たとえば、近年、国が増えた、多くなったことによるですね、賓客の来日も多くなりましたし、大使、日本の在京の大使と会われる機会も非常に多くなっていると思います。そしてまた、各省庁などからの願いによって、長い年月、社会の中で地道に活動してきた人たちの労をねぎらうという、そういうお仕事もかなり多くあります。

 そのような普段報道されないような行事が、やっぱり非常に多いなということ、そしてその一方、たとえば地方に行かれたときには、その中心になる行事のほかに地方事情の視察というのがありますけれども、それについてもできる限りですね、今まで訪れていないところに行こうという気持ちを強く持たれています。

 たとえば、今年の9月の北海道にしても、かなりの長距離の移動になるわけですね、そういう日々を、それらのお仕事を元気に務められていますし、それらの中にはですね、やはり天皇という立場でないとできないものも数多く含まれていると、私は感じます。しかし、やはりですね、年齢的にいっても、それらの多くのお務めをされるのは、非常に大変なのではないかなと、そういうことを感じた1年でした。

 また、皇太子両殿下のことにつきましては、先ほどもいわれたオランダの訪問、そしてオランダ王室の方々との交流を深めるなど、そのオランダの旅行も無事に終わりましたし、また、ついせんだっては、愛子内親王の着袴の儀ですか、これも滞りなく終了し、私たちも喜ばしいことだと思っております。もちろん両殿下もとても喜んでおられることだろうと思います。

 そして妹についてですけれども、昨年の11月に結婚しまして、それで1年たったわけですけれども、結婚するまでの生活から非常に大きい変化があったと思いますけれども、どうなんでしょうね、少し慣れてきたのかな。だんだんに慣れていってくれればいいなと、そのようなことを感じた1年といっていいと思います。

【関連質問】

--殿下はギターでどのような曲を弾いておられるか、眞子さま、佳子さまはどのようなお世話をされているか、お聞かせください。

秋篠宮さま

 あまり上手ではないんですけれどもね。もっと若いころに好きだったもので、それでその名残みたいな形で、今でも時々弾き語りとかするんですけども、最近は、この前パラグアイ、ラテンアメリカのほうに行きましたのでね、なんとなくそれが頭にあるのか、たとえば有名な曲ですけど、「エル・コンドル・パサ」とかですね、なんか鼻歌交じりにあれしたりする、ねっ。どうでしょうね。

紀子さま

 ほかに花祭り。

秋篠宮さま

 花祭りね。あと、どうでしょうね。

紀子さま

 娘たちが毎日これだっていうことで決まっているわけではなく、それぞれに日々予定がありますので、あいたときに私が足りないところで助けてくれて、たとえば、洋服を替えたりとか、もちろん遊んだりするときも一緒になって、一緒にということはなくて、抱いてほしいときには、あやしながら何かお互いに顔を見つめ合って、いい雰囲気で過ごしていることもあります。

 今はどうしてもやはり眠る時間が長いものですから、眠っているときはなるべく、みんなで静かにしてましょうと、でも起きているときは、先ほどもちょっと話しましたけれども、にぎやかにお互いの1日の様子を話したりしていると、それに悠仁も耳を傾けてますし、私たちが少しなんとなく、私たちの動きをよく見ることが多くなってきまして、おそらくこれからまた、ひと月ひと月たつごとに、私も娘たちに頼む世話も増えるかもしれません。

--佳子さまが悠仁さまのために工作で何をお作りになりましたか。

秋篠宮さま

 何を作っていたんでしょう。私も作っているところはみたんだけれど。

紀子さま

 そうですね。何か佳子はこれから先、一緒になって遊べる、ちょっとしたものを。

秋篠宮さま

 おもちゃ。

紀子さま

 おもちゃでしょうか。ちょっとフェルトで作ったり、触っても大丈夫なものを、一緒にいるときは眞子も一緒になって作ってました。

(11/30 08:07)
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by unkotamezou | 2006-11-30 08:07 | 皇室
皇居・宮殿で初の国賓歓迎 インドネシア大統領
皇居・宮殿で初の国賓歓迎 インドネシア大統領

2006-11-27 18:40

 天皇、皇后両陛下は27日午前、皇居・宮殿で、国賓として来日したインドネシアのユドヨノ大統領夫妻と会見された。

 宮内庁によると、今年5月のジャワ島地震が話題にのぼり、陛下が、平成3年のインドネシア訪問時に立ち寄ったプランバラン寺院が被害を受けたことなどに触れられると、大統領は「温かいお見舞いの気持ちを早速地元に伝えたいと思います」と応じたという。

 これに先立ち、両陛下、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻ご出席のもと、宮殿で歓迎行事を開催。

 通常、国賓の歓迎行事は宿泊先の迎賓館(東京・元赤坂)で行われるが、改修のため初めて宮殿で行われた。

 迎賓館は昭和49年に完成。同年の米フォード大統領の来日以来、国賓の宿泊先に利用されてきたが、老朽化で茶室などのある和風別館を増改築することになり、今年1月から休館している。ユドヨノ大統領夫妻は帝国ホテル(東京・内幸町)に宿泊する。
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by unkotamezou | 2006-11-27 18:40 | 皇室
杜の都、祝賀一色 悠仁親王殿下のご誕生、宮城県民大会
杜の都、祝賀一色 悠仁親王殿下のご誕生、宮城県民大会

 秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さまのご誕生を祝う宮城県民大会が25日、仙台市青葉区内で開催された。記念式典や奉祝アトラクションなどが催され、皇室の慶事を盛大に祝った。

 ホテル仙台プラザで開かれた記念式典では、丸森仲吾同大会会長が「皇室の存続にはわが国の伝統や文化をはぐくむ重要な意味がある」とあいさつ。記念講演では、評論家の金美齢氏が悠仁さまのご誕生を「神風」になぞらえて皇室伝統の大切さを説き、参列した約300人の聴衆が熱心に聞き入っていた。

 さらに同区の錦町公園では奉祝アトラクションを実施。祝い太鼓やYOSAKOIソーランなどが催され、屋台の出店もあって大勢の市民でにぎわった。また御輿(みこし)を先頭にした慶祝パレードが街を練り歩き、祝賀ムードを盛り上げた。

(11/26 09:33)
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by unkotamezou | 2006-11-26 09:33 | 皇室
悠仁さま“お宮参り”
悠仁さま“お宮参り”

 秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さまのお宮参りにあたる儀式「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」が14日午前、皇居・賢所仮殿で行われた。

 悠仁さまは秋篠宮邸で身を清めた後、天皇、皇后両陛下から贈られた白い「御初召(おうぶめし)」に着替え、ご夫妻と一緒に皇居に向かわれた。

 賢所仮殿では、宮内庁楽部が神楽歌を奏で、掌典長が祝詞を読み上げた後、松田慶文宮内庁御用掛に抱かれた悠仁さまが拝礼をされた。秋篠宮ご夫妻も見守られた。

 この後、両陛下にあいさつするため、悠仁さまは皇居・御所を初めてご訪問。悠仁さまは目を開けて、あくびをされるなど元気な様子で、報道陣から「何と呼んでいますか」と質問されると、秋篠宮さまは「悠仁の悠をそのまま読んで『ゆうちゃん』」と笑顔で答えられた。

 悠仁さまはご誕生から70日目。儀式は生後50日目で行われるのが慣例だが、秋篠宮さまの外国ご訪問などで時期が延びていた。

 宮内庁によると、13日現在の身長は58.5センチ、体重は5244グラム。これまでに病気もなく、天気のいい日は紀子さまに抱かれて、宮邸の庭や赤坂御用地内を散歩されている。姉の眞子さま、佳子さまも喜んで世話をされているという。

(11/14 11:44)
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by unkotamezou | 2006-11-14 11:44 | 皇室
皇后陛下 お誕生日
皇后陛下のお誕生日(平成18年10月20日)に際して宮内記者会の質問に対する文書ご回答とこの1年のご動静

【宮内記者会の質問に対する文書ご回答】

問一

 秋篠宮ご夫妻に四十一年ぶりの親王となる悠仁さまが誕生されました。紀子さまにとりましては「部分前置胎盤」を乗り越え帝王切開による出産となりました。皇后さまは母として、祖母としてどのようなお気持ちでご一家を見守られたのか、具体的なエピソードも交えお聞かせください。悠仁さまのご成長への願いや皇位継承者としての教育のあり方についても合わせてお聞かせください。

皇后陛下

 懐妊のしらせを喜ぶとともに、十一年振りに身重となる秋篠宮妃の上を思い、無事の経過を願わずにはいられませんでした。出産までの過程には、部分前置胎盤という予想外の事態もありましたが、関係者の手厚い保護のもと、危険を避けることができたことは幸せなことでした。

 私が初めて子どもを授かった四十数年前、前置胎盤は非常に恐れられていた状態でした。特に当時まだ二十代半ばであった私は、お産は太古も今もそう変わるはずはないという思いから、その頃より更に一時代前、母が読んだという、安井修平先生の書かれたお産関係の本一冊を唯一の参考書にしておりましたので、その本で読んだ前置胎盤の怖い記述が思いだされ、大層心配いたしました。

 現在も危険の可能性こそ変わりませんが、その後の医学の進歩により、安全なお産に導いていただけることを知らされ、安堵あんどいたしました。私が秋篠宮妃を「気丈」と評したのは本当?と、最近よく尋ねられるのですが、もし私がそう思い、周囲の人にもらしたとすれば、それは懐妊のしらせを受けた時ではなく、この前置胎盤と、それに伴う帝王切開のことを、宮妃が穏やかに、むしろのんびりとした口調で電話で伝えてきた時のことであったと思います。

 「悠仁の成長への願いは」という質問ですが、悠仁はまだ本当に小さいのですから、今はただ、両親や姉たち、周囲の人々の保護と愛情を受け、健やかに日々を送ってほしいと願うばかりです。「教育のあり方」についての質問ですが、敬宮の生まれた時にもお答えしたと同様、まず両親の意向を聞き、それを私も大切にしつつ、見守っていきたいと考えています。

 なお、教育ということに関し、時々引用される「ナルちゃん憲法」ですが、これは私が外国や国内を旅行する前などに、長い留守を預かる当時の若い看護婦さんたちに頼まれ、毎回大急ぎで書き残したメモのたまったものに過ぎず、「帝王学」などという言葉と並べられるようなものでは決してありません。

 小児科医であった佐藤久東宮侍医長が記した「浩宮さま」という本により、このメモのことが知れたと思われますが、本来は家庭の中にとどまっているべきものでした。たしか佐藤医師もこの本のどこかで、このようなメモは別とし、私が浩宮の教育に関し最も大切に考えていたのは、昭和天皇と今上陛下のお姿に学ぶことであったと述べていたのではないかと思います。

註 ご回答の中の「長い留守」

 当時の東宮両殿下のご旅行は、一回ごとが非常に長く、浩宮さまご出産の年に行われた海外旅行は、一回目が二週間、二回目が約一か月、その翌々年の九州三県のご旅行は十三日間となっている。(侍従職)

問二

 皇太子ご一家が雅子さまの療養を兼ねオランダを訪問されました。今回の静養をどのように受け止められましたでしょうか。公務への復帰を目指す雅子さまを見守るお気持ちとともに、愛子さまのご成長ぶりをどのように感じておられるかもお聞かせください。

皇后陛下

 この度のオランダ訪問は、東宮東宮妃共にこれをよしと考え、さらに治療に当たる専門医の薦めがあって実現いたしました。東宮職、本庁の幹部も、皆この計画を真剣にとり進める意向で一致いたしましたので、陛下と私もこれを支持し、一家、わけても東宮妃が、この滞在を元気に過ごすことを念じ旅立ちを送りました。

 帰国後、東宮と妃より、感謝の言葉と共に、滞在が素晴らしいものであったことを聞き、また、多くの方が、この旅行後、東宮妃の健康状態に改善が見られるように思う、と語られるのを耳にし、安堵あんどし、嬉しく思いました。ベアトリックス女王陛下が、ご家族と共に東宮の三人をあのように温かく迎えてくださったことを、深く感謝しております。

 東宮妃の公務復帰については、専門医の診断を仰ぎながら、妃自身が一番安心できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく、しかし、その日が必ず来ることに希望をもって、東宮妃も、また東宮も、それまでの日々、自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています。

 敬宮は、背もすくすくと伸び、おさげ髪のよく似合う女の子になりました。今年はもう着袴ちゃっこの儀を迎えます。男の子の着袴ちゃっこ姿もそうですが、女児の裳着もぎの姿も本当に愛らしく、清子、眞子、佳子のそれぞれの裳着もぎの姿や所作は、今も目に残っています。

 今年四月、幼稚園の服装で訪ねて来た日には、肩かけカバンや手さげの中から、一つ一つハンカチや出席ノートなど出して見せてくれました。この次に会う時には、きっと運動会や遠足の話をしてくれるでしょう。楽しみにしています。

問三

 天皇陛下は昨年の記者会見で女性皇族の役割の重要性に触れられ、皇后さまをはじめ各妃殿下方もそれぞれの役割を担ってこられました。現在のところ二十代以下の若い皇族は悠仁さまを除きみな女性皇族になりますが、そうした次々代を担う女性皇族にどのような役割や位置付けを期待されますでしょうか。お聞かせください。

皇后陛下

 皇室典範をめぐり、様々に論議が行われている時であり、この問に答えることは、むずかしいことです。特に「次々代を担う女性皇族の位置付けをどのように期待するか」ということは、皇位継承の問題に直接関係することであり、私が今このことにつき、何らかの期待を述べる立場にあるとは考えておりません。「役割」についても、個人一人一人が置かれる「位置」と分かち難くあるものですので、このことについてもこの度これに触れることは控えます。

【この一年のご動静】

 皇后さまは、昨年のお誕生日の翌日、十月二十一日から岡山県への行幸啓に四日間お出ましになったことに始まり、この一年間、皇居内外で、また、国の内外で様々なお務めを果たされました。皇后さまが公的なお立場でお務めになったお仕事は三百四十一件に上り、その他にも、宮中祭祀十五回、献穀者及び賢所奉仕者の拝謁や皇居勤労奉仕団へのご会釈が五十八回ありました。

 皇后さまはこれらのお務めの多くを陛下のお側でなさいましたが、皇后さまご単独でのお務めもありました。日本赤十字社名誉総裁としては、全国赤十字大会にご臨席になりお言葉を述べられ、また、八月に日本赤十字社をご訪問になり、殉職救護員慰霊祭にご臨席になり慰霊碑にご供花になったほか、ジャワ島中部地震災害における日本赤十字社の活動状況をご聴取になるとともに国際救援派遣救護員を励まされました。

 年間を通じて、チャリティー・コンサートを始め各種の公演、展覧会などにお出ましになり、社会貢献活動や文化、芸術に携わっている人々を励まされました。一昨年、皇后さまの古希をお祝いしてチェロ奏者のロストロポーヴィチ氏が東京で開催したコンサートの収益金が思召しにより日本オーケストラ連盟に贈られましたが、二月、その資金をもとに行われたワークショップとコンサート「子どもたちのためのオーケストラ入門」にご臨席になりました。

 七月には、長野で開催された「スペシャルオリンピックス第八回冬季世界大会」について、主催団体の理事長からご報告をお受けになるとともに、その活動を支援するチャリティーコンサートにお出ましになりました。

 御所では恒例の肢体不自由児関係の「ねむの木賞」受賞者のご接見や日本赤十字社社長及び副社長からの活動状況のご報告があったほか、高齢化の進むハンセン病患者について、駿河療養所の所長及び東北新生園の園長から、それぞれ、療養所の現状と今後についてお聴き取りになりました。

 皇后さまは、かねて、ハンセン病患者に心を寄せられ、昭和四十三年以来、地方行幸啓の際などに全国各地のハンセン病国立療養所をご訪問になってきました。昨年十月にご訪問になった岡山県の長島愛生園と邑久光明園を含め、これまでに十か所の療養所をご訪問になっており、ご訪問がかなわなかった三か所の療養所についても、本年でその全てについて園長にお会いになり、状況のご聴取をなさったことになります。

 自然災害の被災者には常々お心を寄せていらっしゃいますが、両陛下は、四年半にわたる全島避難を経て帰島した三宅島の島民についても引き続き心にお掛けになり、三月、帰島後一年を迎えた三宅島をヘリコプターにより日帰りでご訪問になりました。復興状況をご聴取になり、村役場の臨時庁舎、漁港などをご視察になるとともに、帰島した多くの島民や復興尽力者とご懇談になり、励まされました。また、四月には、阪神・淡路震災復興支援十年委員会の解散に当たり、実行委員長からお話を聞かれました。

 この一年間の公的な地方行幸啓は五道県(岡山、神奈川、岐阜、北海道、兵庫)にわたりました。国民体育大会、全国豊かな海づくり大会、全国植樹祭、国際顕微鏡学会議の開会式等にご臨席になったほか、地方の文化、福祉を始めとする諸施設をご訪問になるとともに、多くの市町村を回られ、大勢の人々の歓迎にお応えになりました。北海道では、長年にわたり関心を持ち続けてこられたえりも緑化事業をご視察になりましたが、札幌から襟裳岬を経て帯広まで、お車による五日間の道内走行距離は約五百三十キロに達しました。

 八月には、中一日という短いご日程でしたが、群馬県で行われた草津国際音楽アカデミー&フェスティバルにご出席になり、この間五時間にわたるワークショップで、国内外の音楽家と四重奏、五重奏など室内楽の練習に励まれました。また、「高松宮殿下記念世界文化賞若手芸術家奨励制度」により招かれた「ソウル・シンフォニエッタ」によるコンサートや学生代表の演奏をご鑑賞になるなど、内外から集った音楽家及び関係者と和やかな夏休みの一時をお過ごしになりました。

 六月八日から十五日まで、両陛下は、シンガポール国及びタイ国を公式にご訪問になり、その間にはマレーシア国にお立ち寄りになりました。国賓としてご訪問になったシンガポールでは公式行事のほか市民とのご交流に努められ、タイでは国王陛下御即位六十年慶祝儀式を始め多くの行事に臨まれるとともに、各国王族とのご親交を深められました。

 タイ国最大の新聞は、世論調査の結果として、「祝賀行事に出席した王族皇族のうち、最も感銘を受け、最も洗練されていたのは日本の両陛下であった」と報じましたが、お心を込めてお務めをなさる両陛下のお姿が、タイ国民にも強く印象づけられたものと思われます。マレーシアでは、十五年前にご訪問の直前になって中止を余儀なくされたペラ州へのご訪問を果たされ、現地の人々から大きな歓迎を受けられました。

 今年のご養蚕は、四月下旬のわら蔟づくりから始まり、五月一日にはお掃き立て、天蚕の山つけ(卵を付した紙を枝につける作業)をされました。皇后さまは定例のご給桑(二回)、上蔟、初繭掻きの行事の他にも、桑の葉摘み、給桑、わら蔟づくり、除沙、小石丸のこもぬき及び種繭の両端切り、収繭作業、毛羽取り作業、天蚕の繭取りなど、幾度か桑園、御養蚕所、さらに、今春に吹上西通りに更新された野蚕室においでになり、蚕の飼育に当たられました。

 今年は、次期式年遷宮に際し、新しく作製するご神宝の絹織物のためにも小石丸の糸を使わせていただければとの伊勢神宮大宮司からの願い出を受けられて、収穫量の総繭百八十キロ中百二十九キロを小石丸とされ、そのうち八十キロを神宮に下賜されました。これまで皇后さまが十一年に渡り宝物復元にお力を貸してこられた正倉院からも、更にその制作を継続するための小石丸ご下賜の願い出があり、今年もそれにお応えになり、三十キロをお渡しになりました。

 宮中祭祀は、恒例の十三回の祭祀すべてに列せられ、その他に、外国ご訪問につき宮中三殿に謁するの儀と桓武天皇千二百年式年祭に列せられました。また、大正天皇崩御八十年に当たり、三月に多摩陵、多摩東陵にご参拝になりました。

 昨年十一月十五日には、紀宮殿下が黒田慶樹氏とご結婚になりました。皇后さまは、三十六年間にわたって両陛下のお傍で内親王としての務めを果たしてこられた紀宮殿下の新しいご生活が幸せなものであるよう、ご結婚に先だって、お心を尽くしてその準備をされ、当日は、ご結婚式とご披露宴にご出席になって心からのお祝いをなさり、ご結婚後もあたたかく見守っていらっしゃいます。

 二月には、秋篠宮妃殿下のご懐妊が発表され、それ以来、無事なご出産を願われて様々にお気遣いをなさっていらっしゃいましたが、九月六日に悠仁親王殿下がご誕生になりました。四人目となられる皇孫が無事にご誕生になり、母子ともにお元気であることをお喜びでいらっしゃいます。

 皇后さまは、週日のほぼ連日のご公務に加え、土日や祝日にも多くの公的な行事や祭祀をお務めになっておられます。二月にはやや強いめまいをお感じになったことから葉山御用邸への行幸啓をお取り止めになったほか、六月の外国ご訪問直前に、お風邪と口唇ヘルペスのため、記者会見を延期なさいましたが、この一年、予定されていたご公務は、その全てをお務めになりました。

 ご健康には日ごろからお気を付けになっており、特に、陛下のご健康をお案じになり、早朝の散策やご公務のない週末のテニス等を努めて陛下と共になさるように心掛けておられます。ご自由になるわずかのお時間をお使いになってピアノの練習を続けておられ、内外の音楽家のお誘いには、感謝なさりつつアンサンブルに加わっていらっしゃいます。

 十月二十日、皇后さまは七十二回目のお誕生日をお迎えになります。
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by unkotamezou | 2006-10-20 00:00 | 皇室
男系維持派の議員連盟発足 皇室典範改正案策定へ
男系維持派の議員連盟発足 皇室典範改正案策定へ

 男系による伝統的かつ安定的な皇位継承を目指す超党派の議員連盟「皇室の伝統を守る国会議員の会」が17日、発足した。会長には自民党の島村宜伸元農水相が就任。旧皇族の皇籍復帰などを念頭に皇室典範改正案の策定などを目指す方針。

 議連の呼びかけ人は、無所属の平沼赳夫元経済産業相、民主党の渡部恒三前国対委員長、国民新党の綿貫民輔代表ら34人、メンバーには青木幹雄参院議員会長ら201人が名を連ねた。

 国会内で開かれた設立総会には約60人が出席。皇室への敬愛をはぐくむ学校教育の充実や、不備の多い皇室経済法の改正を求める運動方針を採択した。

 島村氏は「万世一系の天皇がどういう形で守られるか英知を結集し、天皇制の維持、将来の展望を開くことがわれわれの責務だ」と述べた。

 皇室典範改正をめぐっては、安倍晋三首相が9月の就任会見で「国民に納得されるものでなくてはならない。慎重に議論を重ねる必要がある」と述べ、女系天皇を容認した皇室典範有識者会議の報告書にとらわれない考えを示している。

(10/17 11:28)
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by unkotamezou | 2006-10-17 11:28 | 皇室
紀子さま退院後初の外出 両陛下にごあいさつ
紀子さま退院後初の外出 両陛下にごあいさつ

 秋篠宮ご夫妻は13日、皇居・御所に天皇、皇后両陛下を訪問された。紀子さまにとって、9月15日の退院後初の外出。半蔵門から皇居に車で入る際、水色のドレス姿の紀子さまは報道陣に笑顔で軽く会釈をされた。

 紀子さまはこの日、東京・元赤坂の秋篠宮邸で、出産後30日以降にけがれを取る「御小忌明(おんみあけ)」のおはらいを受けられた。ご夫妻は儀式の終了を報告し、入院中や出産後の両陛下のお見舞いに対して感謝のあいさつをされたという。

 今月6日には愛育病院の担当医が宮邸で、紀子さまと悠仁さまの1カ月健診を行った。悠仁さまは順調に成長されているという。悠仁さまは11月中旬、秋篠宮ご夫妻に付き添われて皇居・賢所仮殿を訪れ、一般のお宮参りに当たる「宮中三殿に謁するの儀」に臨まれる予定。

(10/13 11:55)
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by unkotamezou | 2006-10-13 11:55 | 皇室
「皇室の伝統を守る国会議員の会」十七日発足
「皇室の伝統を守る国会議員の会」17日発足

 伝統的な皇位継承を尊重し、不備の多い皇室経済法改正を目指す超党派の議員連盟「皇室の伝統を守る国会議員の会」(仮称)が来月17日に発足することが27日、分かった。会長には、天皇陛下の同窓生である自民党の島村宜伸・元農水相が内定。民主党の渡部恒三・前国対委員長、無所属の平沼赳夫・元経済産業相ら30人以上が設立呼びかけ人になっている。

 同会は、これまで例外なく受け継がれてきた父方に天皇を持つ「男系」による皇位継承を将来にわたって安定的に続けるための皇室典範改正案策定や特別立法の検討を行う方向で調整している。

 具体的には、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で昭和22年に皇籍離脱した旧皇族やその子孫の一部について、皇籍復帰・皇籍取得などの方策を検討。このほか、(1)基本的人権や私的経済行為を制限されている皇族は、一般国民と同様に住民税や相続税を支払うなどの義務を課せられている(2)皇位継承儀礼や皇室祭祀などに根拠法がなく、予算措置も不十分-などの諸問題に関しても議論を進める。

 また、今月30日に東京・日比谷公会堂で開かれる「悠仁親王殿下のご誕生をお祝いする集い」についても、同会準備委員会が共催者として参加する。

 皇室典範改正のあり方に関しては、安倍晋三首相も今月15日、フジテレビの番組で「ずっと男系できたこの伝統をすぐ変えるかどうか、慎重になるのは当然ではないか」と強調。男系維持の方法として、旧宮家の皇籍復帰や旧皇族による現在の宮家継承などを挙げている。

(09/28 02:23)
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by unkotamezou | 2006-09-28 02:23 | 皇室
天皇陛下がお稲刈り
天皇陛下がお稲刈り

2006年9月27日(水)

 天皇陛下は二十五日午後、皇居内の「生物学御研究所」脇の水田で、毎年恒例の稲刈りをされた。

 春に自ら種もみをまき、田植えをして育てたもので、収穫した米は秋の新嘗祭(にいなめさい)など皇室の神事に使われる。

 涼やかな秋風の吹く中、天皇陛下は右手にかまを持ってしゃがみ、うるち米のニホンマサリともち米のマンゲツモチ計百株をしっかりとした手つきで刈り取った。

 宮内庁によると、今年の作柄は平年並み。水田は約二百四十平方メートルあり、約百キロの収穫が見込めるという。
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by unkotamezou | 2006-09-27 00:20 | 皇室
悠仁さま、皇統譜に登録される
悠仁さま、皇統譜に登録される

 6日に誕生された秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さまが21日、天皇や皇族の戸籍にあたる「皇統譜」に登録された。

 皇統譜は皇室の名前などを記載した簿冊で、天皇や皇后に関する事項を記録する「大統譜」と、その他の皇族を記載する「皇族譜」がある。正本は宮内庁書陵部、副本は法務省に保管されている。新たに登録する場合、書家や宮内庁職員が名前や誕生日などを毛筆で記入し、宮内庁長官らが署名して終了。その後は成年式など節目の事項が書き加えられる。

 この日は、皇居・東御苑の宮内庁書陵部庁舎で悠仁さまが職員の手により皇族譜に記載され、羽毛田信吾宮内庁長官が署名した。

 悠仁さまは15日に紀子さまと一緒に愛育病院(東京)を退院し、秋篠宮邸で過ごされている。

(09/21 19:31)
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by unkotamezou | 2006-09-21 19:31 | 皇室