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カテゴリ:皇室( 177 )
「美智子さまの恋文」刊行 皇室への決意と苦悩つづる

 「静かに騒がれずに、一つの自分の席をつくりたい」-。天皇陛下にあてて皇后さまが昭和34年と35年にお書きになったとされる長文の手紙を掲載した「美智子さまの恋文」(新潮社)が20日、刊行された。この手紙の公開は初めて。皇后陛下の決意と苦悩が生々しく伝えられている。

 本書は天皇陛下のご学友で、共同通信記者として活躍した橋本明氏が執筆した。紹介される手紙は2通。ひとつは皇后さまがご成婚前の昭和34年3月ごろに書かれた。初めて民間から皇室に入る皇后さまの静かな決意がにじむ一方で、「“伝統と進歩”というむずかしい課題の前で、いつも私は引き止められ立ち止まって考えてしまいます」という一節も。

 また、皇太子殿下をご懐妊中の35年1月に書かれた手紙には、「私はさしあたって赤ちゃんのことが心がかりでなりません。手元で育てさせていただくとすれば、それはもう皇后さまのお時代と違う形をとることになってしまいますし、それから乳人の問題も-」と揺れるお気持ちを記したうえで、「私自身は、心のどこかで、犠牲という言葉は、むしろある意味において幸福につながるニュアンスを持つのではないかと考えてまいりました」といった哲学的な省察がつづられている。

 橋本氏によると、「手紙」は作家の北條誠氏から預かった「美智子さまの手紙」と称する文書がもとになった。橋本氏はそのまま保管していたが、昨秋、この文書を検証し、文書の元になった資料の存在を確認した。発行元の新潮社は「検証の経緯を明かせませんが、この文書が皇后さまの手になるものであることは疑いないと判断しています」としている。

 この時期に皇后さまの手紙が公表されることについて、学習院大学名誉教授の篠沢秀夫氏は「宮内庁が出版を把握しているとすれば、皇室典範をめぐる論議や適応障害に苦しまれる雅子さまへの思いがあったのかもしれません」と推測している。

(19/03/20 20:30)

「美智子さまの恋文」刊行 皇室への決意と苦悩つづる
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by unkotamezou | 2007-03-20 20:30 | 皇室
こいのぼり出荷ピーク 悠仁さま効果「皇族柄」人気
こいのぼり出荷ピーク 悠仁さま効果? 「皇族柄」人気

19/03/15-12:52

 こいのぼりの国内一の製造量を誇る和気郡和気町藤野の「徳永こいのぼり」(徳永深二社長)で、「端午の節句」に向けて出荷作業がピークを迎えている。

 同社の年間製造量は通常のこいのぼりで約6万セット。売れ筋はマゴイで5~7メートルのセットで価格的には8万~20万円。同社では「京錦鯉」(6メートルサイズの親ゴイで約17万円)が主力商品だが、今年は〝皇族柄〟の入った最高級の「吉兆」(同25万円)の注文が例年以上に多いという。

 同社の徳永黄二専務は「秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまも初節句を迎えられることで、それにあやかりたいという人が多いようだ」と話している。
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by unkotamezou | 2007-03-15 12:52 | 皇室
「支那事変やり度くなかつた」昭和天皇侍従の日記発見
「支那事変やり度くなかつた」昭和天皇侍従の日記発見

 太平洋戦争の開戦前から終戦にかけて昭和天皇の侍従を務めた故小倉庫次(くらじ)氏が、昭和天皇の“肉声”を記録した日記が見つかった。

 「支那事変はやり度(た)くなかつた」という戦争への思いや、当時4歳だった義宮(よしのみや)(常陸宮さま)を青山御所に移す方針に「宮城(きゅうじょう)(皇居)の方がよくはないか」など手元での養育にこだわったことが記され、昭和天皇の素顔がうかがえる。

 日記は、10日発売の月刊「文芸春秋」4月号に掲載される。当時の宮内省の用紙約600枚に、1939年(昭和14年)5月から終戦の45年(同20年)8月までの日記が、旧仮名遣い、カタカナで書かれていた。

 それによると、関東軍がノモンハンを攻撃して敗退した直後の39年7月5日には「板垣(征四郎)陸軍大臣、拝謁(はいえつ)上奏(じょうそう)す。陸軍人事を持ち御前に出でたる所、『跡始末は何(ど)うするのだ』等、大声で御独語遊ばされつつあり。容易に御決裁遊ばされず」と書かれ、陸軍への不信をあらわにしたことがわかる。

 40年10月12日には「支那が案外に強く、事変の見透しは皆があやまり、専門の陸軍すら観測を誤れり」、41年1月9日には「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明なるべき」との発言が記されていた。

 興味深いのは42年12月11日の記述。天皇は伊勢神宮参拝で立ち寄った京都御所で、「戦争は一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満州事変で苦い経験を嘗(な)めて居る。戦を始めるときは、余程深重に考へなければならぬ。戦争はどこで止めるかが大事なことだ」「支那事変はやり度くなかつた。ソヴィエトがこわいからである」などと語っていた。

 一方、親の思いがにじむのは39年12月5日。当時のお子さまは親元から離して育てるしきたりで、昭和天皇は義宮を移す方針に「東宮と同居と云(い)ふことを考へてゐたが、同居になれぬ位なら宮城の方がよくはないか」「青山御所は、修理を加へても陰気だ。絶対反対」「淋しい」としぶり、承諾後も「英国は宮中にて皇子傅育(ふいく)をしてゐるが、日本では何故出来ぬか」とただすなど、手元での養育にこだわっていた。

平成19年3月9日13時34分
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by unkotamezou | 2007-03-09 13:34 | 皇室
昭和天皇侍従の日記発見 戦時下の率直な思い
昭和天皇侍従の日記発見 戦時下の率直な思い

 日中戦争中の昭和14年5月から終戦の20年8月までの昭和天皇の肉声がつづられた当時の侍従、故小倉庫次元東京都立大法経学部長の日記が関係先から見つかったことが9日分かった。10日発売の月刊誌「文芸春秋」4月号に掲載される。「戦争はやる迄は深重に」「戦争はどこで止めるかが大事なことだ」と昭和天皇が側近に語られた戦時下の率直な思いがつづられている。

 日記は、宮内省(当時)の用紙約600枚分に及ぶ。

 14年7月5日、満州事変を主導した石原莞爾陸軍少将らを栄転させる人事を説明するため、板垣征四郎陸相が天皇に面会。その直後の様子が「陸軍人事を持ち御前に出でたる所、『跡始末(あとしまつ)は何(ど)うするのだ』等、大声で御独語遊ばされつつあり。人事上奏(じょうそう)、容易に御決裁遊ばされず」と記述されており、陸軍への強い不満が吐露されている。

 日中戦争への思いも赤裸々だ。「支那が案外に強く、事変の見透しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(15年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止(や)めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明」(16年1月9日)。

 日米開戦直後の16年12月25日には「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処(ところ)なれば支障なからむ」と語り、戦況の優勢に気を良くされている様子がうかがえる。

 戦争に対する思いが最も表現された“肉声”は、17年12月、伊勢神宮参拝後に京都に立ち寄られた際のもの。

 「(戦争は)一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満州事変で苦い経験を嘗(な)めて居る。(中略)戦争はどこで止めるかが大事なことだ」「支那事変はやり度(た)くなかった。それは、ソヴィエトがこわいからである」「戦争はやる迄は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」と戦争へのさまざまな悩みへのご言及が書かれている。

 また、葉山御用邸(神奈川県)で水泳をした際、「時局柄、水泳しても宜(よろ)しきやとの御訊(おたず)ねあり」と、戦時下に自身の贅沢を慎まれていた様子もつづられている。

 宮内庁によると、小倉元侍従は9年3月、宮内省に入省。日記が始まる14年5月から20年6月まで侍従を務め、宮内省庶務課長などを経て、22年4月に退官した。

 昭和史に詳しい秦郁彦・元千葉大教授(日本現代史)の話「昭和天皇の非戦・平和志向はこれまで明らかになった史料と同様で、終戦直前に侍従を離れたため、その時期の記述があまりないのは残念だが、天皇がふともらした片言隻句を丹念に拾っていて興味深い内容だ。側近のこのような証言が集まれば精彩ある昭和史像が浮かび上がってくるだろう」

(2007/03/09 11:28)
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by unkotamezou | 2007-03-09 11:28 | 皇室
悠仁さま「お箸初」体重六千六百五十八グラム、順調にご成長
悠仁さま「お箸初」 体重6658g、順調にご成長

 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの健やかなご成長と丈夫な歯が生えることを願う「お箸初(はしぞめ)の儀」が、ご誕生130日目の13日、東京・元赤坂の秋篠宮邸で行われた。一般のお食い初めにあたる儀式で、ご誕生に伴う行事の締めくくり。

 白木の三方(さんぼう)のおぜん上に小豆粥(あずきがゆ)や丈夫な歯がはえてくるようにという願いをこめて、金頭(かながしら)という魚と青石が供えられ、秋篠宮付侍女長が小豆粥に浸した楊箸(やなぎばし)を、紀子さまに抱かれた悠仁さまの口につけた。

 悠仁さまは12日現在で身長64.5センチ、体重6658グラム。首がだいぶ据わり、手足を元気に動かしたり、感情表現が豊かになるなど順調に成長されている。ご夫妻や姉の眞子さま、佳子さまがあやされると、声を立てて喜ばれるという。年末年始には御所で行われたもちつきやこま回しにも参加された。

(2007/01/13 13:15)
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by unkotamezou | 2007-01-13 13:15 | 皇室
安倍首相、女系天皇容認白紙へ 典範改正視野に議論
安倍首相、女系天皇容認白紙へ 典範改正視野に議論

 安倍晋三首相は、政府の「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大総長)が平成17年にまとめた、象徴天皇制の維持を目的に女系皇族にも皇位継承権を認めるとの内容の報告書を白紙に戻す方針を決めた。秋篠宮家に悠仁(ひさひと)さまが皇室の約40年ぶりの男子として誕生され、報告書の前提条件が変わったと判断した。ただ、皇位の安定的継承は依然、課題として残っており、男系による皇位継承維持の方策について、皇室典範改正や特別措置法制定を視野に、政府部内で議論を始める。

 男系継承は、125代の現天皇陛下まで一度の例外もなく続いており、現行の皇室典範も、1条で「皇位は男系の男子が継承する」と定めている。しかし、平成17年11月に、首相の私的諮問機関である有識者会議が父方ではなく母方の系統に天皇をもつ女系天皇をも容認する報告書をまとめた。これをもとに、政府は皇室典範改正案を国会に提出する方針だったが、昨年2月の秋篠宮妃紀子さまのご懐妊により国会提出が見送られた経緯がある。

 これに関連、安倍首相は官房長官時代の昨年9月、フジテレビの番組で有識者会議の報告書について、「ずっと男系で来た伝統をすぐ変えるかどうか、慎重になるのは当然ではないか」と発言していた。男系維持の方法としては、昭和22年に連合国軍総司令部(GHQ)の意向で皇籍離脱した旧宮家の皇籍復帰や、現在の宮家の継承などを挙げていた。

 ただ、皇室典範では、旧皇族の皇籍復帰や、皇族が養子をとることは認めていない。皇太子さま、秋篠宮さまに次ぐ皇位継承権3位の悠仁さまのご誕生で、現行法下でも当面の皇室存続のめどはついたものの、将来にわたって安定的な皇位継承が確保されたわけではなく、何らかの法改正が求められていた。

 このため、首相は、昨年9月の官房長官としての記者会見では、「皇位の安定的な継承のためには、皇室典範の見直しを含めた検討が必要だと考えている」と指摘。また、下村博文官房副長官も9月に、悠仁さまのご誕生を祝う集会で、政府として「新たな法律改正をどう考えていくのか、大切な時期だ」と表明していた。

 ただ、女系継承容認を打ち出した有識者会議は現在、形式的にまだ存続している。このため、首相は有識者会議のメンバー入れ替えや改廃についても検討する考えだ。

(2007/01/03 06:38)
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by unkotamezou | 2007-01-03 06:38 | 皇室
両陛下に皇族や首相ら祝賀 「新年祝賀の儀」
両陛下に皇族や首相ら祝賀 「新年祝賀の儀」

2007-01-01 13:59

 天皇、皇后両陛下が皇族や三権の長らから新年のお祝いを受ける恒例の「新年祝賀の儀」が1日、皇居で開かれた。

 天皇陛下は「新しい年を共に祝うことを誠に喜ばしく思います。年頭に当たり、国の発展と国民の幸せを祈ります」とあいさつされた。

 午前10時から宮殿で皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻らが両陛下に祝賀。両陛下は皇族方とともに宮殿内を巡られ、安倍晋三首相や閣僚、衆参両院議長、最高裁長官らからお祝いの言葉を受けられた。午後は各国駐日大使らの祝賀を受けられる。

 皇太子妃雅子さまは両陛下への祝賀には参列されたが、その後の行事は欠席した。

 2日は一般参賀が行われる。
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by unkotamezou | 2007-01-01 13:59 | 皇室
平成十九年の新年に当たり天皇陛下のご感想
平成十九年の新年に当たり天皇陛下のご感想

 昨年も,大雪や豪雨,台風,竜巻などの自然災害で,百五十人もの人命が失われたことは痛ましいことでした。新潟県や福岡県では,地震災害のため,この冬も仮設住宅で暮らしている人々のことが心にかかっています。

 また,台風による潮風害などで稲作などに大きな被害を受けた地域もあり,農家の人々の心痛が察せられます。

 新しい年の始めに当たり,我が国と世界の人々の幸せを祈り,皆が,互いに信頼し合って暮らせる社会を目指し,力を合わせていくよう,心から願っています。
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by unkotamezou | 2007-01-01 00:00 | 皇室
天皇誕生日 二万人祝福
天皇陛下、73歳のお誕生日

 天皇陛下の73歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居・宮殿で行われ、記帳者を含め2万152人(宮内庁発表)が訪れた。参賀者数は平成5年を12人上回り、即位以来、最多となった。

 天皇陛下は午前中に3回、皇后さま、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻とともに宮殿・長和殿のベランダに立ち、参賀者に手を振って応えられた。病気療養中の雅子さまは昨年は1回目だけの出席だったが、今年は2回目まで出て、皇太子さまの隣で笑顔を見せられた。

 陛下は誕生日のお祝いに感謝した上で「来る年がみなさんにとり、明るく幸せな年となることを期待しています」と述べられた。午後には宮殿で皇族方、安倍晋三首相、閣僚らを招いた祝宴や外国大使との茶会に臨み、祝福を受けられた。

(2006/12/23 11:42)
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by unkotamezou | 2006-12-23 11:42 | 皇室
天皇陛下、七十三歳のお誕生日
天皇陛下、73歳のお誕生日

 天皇陛下は23日、73歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち記者会見を行い、今年全国で相次いだいじめや自殺の問題について、「子供を失った親の気持ち、いじめにあった子供の気持ちを察すると、誠に心が痛みます」と沈痛な表情で述べられた。

 一方、9月に誕生された秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの最近のご様子では、「目に浮かぶのは、私の近くでじっとこちらを見つめているときの顔です」と笑顔で語り、目を細められた。

 また皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまが、雅子さまの誕生日に行われた夕食会の後、「皇后と秋篠宮妃と相撲のすごろくで遊び、とても楽しそうで、生き生きとしていた」とのエピソードをご披露。幼い孫たちのご成長を優しく見守っている気持ちを明かされた。

(2006/12/23 07:37)
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by unkotamezou | 2006-12-23 07:37 | 皇室