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カテゴリ:皇室( 177 )
天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの一年のご動静

会見年月日:平成十九年十二月二十日
会見場所 :宮殿 石橋の間

問一 今年は、食品の虚偽表示を発端とする「食」への不安、年金や社会格差の問題など、暮らしの安全が脅かされた一年でした。こうした様々な社会情勢について、陛下の思いをお聞かせください。

天皇陛下

 生活の基本である食と住に関して一昨年から今年にかけて国民に不安をもたらすような事情が明らかになったことは残念なことです。

 年金の問題については、戦後の復興と、その後の国の発展を目指し、一生懸命まじめに働いてきた人々が、高齢になって不安を持つことがないように、この問題が解決の方向に向かっていくことを願っています。

 社会格差の問題については、格差が少ない方が望ましいことですが、自由競争によりある程度の格差が出ることは避けられないとしても、その場合、健康の面などで弱い立場にある人々が取り残されてしまうことなく社会に参加していく環境をつくることが大切です。また、心の中に人に対する差別感を持つことがないような教育が行われることが必要と思います。

 過去を振り返り、公害によって健康の被害を受けた人々のことを考えるとき、当時はこのような問題に対する安全の問題が国民の間に十分に理解されず、被害者を苦しめてきたことが思い起こされます。多くの国民にこのような事態が少しでも早く知らされていたならば、被害を受けないで済んだ人も多かったのではないかと返す返すも残念に思っています。

 近年、生活の安全性に関し、国民が深い関心を抱くようになったことが、耐震構造の不備なども含め、安全性への危険を明らかにする上に寄与したことと思います。国民の安全を守るため、関係者の努力を望むことはもちろんのこと、国民全体がこの問題に関心を持ち、皆の協力の中で安心して生活を営むことができるよう願っています。

問二 ご家族についてお聞きします。病気療養四年目の皇太子妃雅子さまは地方への泊まりがけ公務を再開するなど活動の幅を大きく広げられました。四人のお孫さまも健やかに成長されているようです。嫁がれた黒田清子さんも幸せな結婚生活を送られているものとお聞きしています。それぞれのご様子について、陛下はどのように見守っていらっしゃいますか。具体的なエピソードを交えてお聞かせください。

天皇陛下

 私は、家族が、それぞれに、幸せであってほしいと願っており、それを見守っていきたいと思っています。

 今年の欧州訪問前の記者会見で、私は皇太子時代の外国訪問に触れ、「名代という立場が各国から受け入れられるように自分自身を厳しく律してきたつもりです。このような理由から、私どもは私的に外国を訪問したことは一度もありません。現在、皇太子夫妻は名代の立場で訪問することはありませんから、皇太子夫妻の立場で、本人、政府、そして国民が望ましいと考える在り方で、外国訪問を含めた交流に携わっていくことができると思います。」という話をしましたが、一部に、これを皇太子一家のオランダでの静養に対して苦言を呈したものと解釈されました。これは、私の意図したところと全く違っています。

 国賓に対する昭和天皇の名代としての私どもの答訪は、私どもの二十代のときに始まり、昭和天皇、香淳皇后の欧州と米国ご訪問を除き、昭和の時代は続けられていました。名代としての答訪の場合、相手国は天皇が答訪するものと考えているところを私が訪問するわけですから、自分自身を厳しく律する必要がありました。しかしながら、平成になってからは、名代による答訪は行われなくなったので、皇太子夫妻は、様々な形で外国訪問を含む国際交流にかかわっていくことができるようになったわけです。私は、このようなことを、記者会見で述べたのであって、決して皇太子一家のオランダ静養に苦言を呈したのではありません。なお、私は去年の誕生日の記者会見で、オランダでの静養について質問を受け、医師団がそれを評価しており、皇太子夫妻もそれを喜んでいたので、良かったと思っている旨答えています。

 このように私の意図と全く違ったような解釈が行われるとなると、この度の質問にこれ以上お答えしても、また私の意図と違ったように解釈される心配を払拭することができません。したがってこの質問へのこれ以上の答えは控えたく思います。

問三 生物学者でもある陛下は、外国賓客との懇談で温暖化を話題にされることも多いようですが、自然・環境をめぐる諸問題をどう見ておられますでしょうか。今年は陛下の国民と自然を分かち合いたいとのご意向で、皇居・吹上御苑で初めて自然観察会が開かれたほか、那須御用邸の一部が環境省に所管替えされることが決まりました。一方、十一月の式典のお言葉で、陛下はブルーギルの異常繁殖に触れられました。こうした自然財産の共有、式典でブルーギルに触れた発言をされるにいたった思いもお聞かせください。

天皇陛下

 地球温暖化について最近アジア・太平洋水サミットへ参加されたミクロネシア大統領、ツバル首相からは海面上昇の問題、タジキスタン大統領からはパミール高原の氷河の後退の話がありました。今年の東京は暖冬で、初めて雪が観測されたのは三月十六日ということでした。明治十年の統計開始以来最も遅い初雪とのことです。このように世界各地で温暖化の問題が起こっており、今後人々の生活に様々な影響を与えていくことが心配されます。現在世界各地で環境に対する関心が高まり、良好な環境の下で人々が暮らせるよう、国境を越え、また様々な分野の人々が協力し合う状況が作られつつあることは誠に心強いことです。世界の国々が協力して地球環境を少しでも良い方向に進めていくことを願っています。

 吹上御苑の自然観察会は吹上御苑を中心とした皇居の生物相を平成十二年の時点で記録するという科学博物館の生物相調査の結果に基づいて行われました。この調査は動物では八年から十二年まで、植物では九年から十二年まで行われ、動物群の中には十八年まで続けられたものもありました。自然観察会ではこの調査をされた研究者が解説に当たられ、調査のときに見いだした知見を観察会の参加者に伝えられました。このことは参加者にとって意義深いものであったのではないかと思います。

 那須御用邸附属地の調査は栃木県立博物館により九年から十三年にかけて行われ、その翌年に「那須御用邸の動植物相」という報告書が出版されました。この度の環境省への移管はこの調査を踏まえた上で行われました。環境省へ移管された地域が国立公園の一部として訪れた人々の自然への理解や関心を深める上に意義あるものとなればうれしいことです。この地域には炭焼きによる伐採を免れたブナが林になっており、調査した研究者と見に行ったことが印象に残っています。

 ブルーギルのことですが、ちょうど三十年前の昭和五十二年、淡水魚を専門にしておられた国立科学博物館の中村守純博士と淡水魚保護協会の木村英造氏とお話したことが、淡水魚保護協会の雑誌「淡水魚」に載せられ、その中でブルーギルのことにも触れています。琵琶湖にブルーギルが入ったのは、淡水真珠をつくるイケチョウガイの養殖のために貝の幼生が寄生する寄主としてブルーギルを使いたいということで、水産庁淡水区水産研究所から滋賀県水産試験場に移されたものが琵琶湖に逃げ出したことに始まります。当時ブルーギルを滋賀県水産試験場に移すという話を聞いた時に、淡水真珠養殖業者の役に立てばという気持ちも働き、琵琶湖にブルーギルが入らないようにという程度のことしか言わなかったことを残念に思っています。

 三十年前には釣った魚は食べることが普通でした。したがってブラック・バスやブルーギルを釣る人が多ければ、繁殖は抑えられ、地域の淡水魚相に変化をもたらすことはないと考えていましたが、現在は釣り人の間にキャッチ・アンド・リリースの習慣が浸透し、釣った獲物を食べるのではなく、そのまま放すことになったため、ブラック・バスやブルーギルが著しく繁殖するようになってしまいました。キャッチ・アンド・リリースということがこのように一般化するとは、考えてもいませんでした。ブラック・バスもブルーギルもおいしく食べられる魚と思いますので、食材として利用することにより、繁殖を抑え、何万年もの間、日本で生活してきた魚が安全に育つことができる環境が整えられることを願っています。この目的に沿う釣り人のボランティア活動にも大きな期待が寄せられます。

 なお、豊かな海づくり大会の式典で、琵琶湖水系でニッポンバラタナゴが絶滅したことを述べましたが、ニッポンバラタナゴは日本の淡水魚の中で最も絶滅の危機にあるものと思います。それは、中国から移入された体の大きいタイリクバラタナゴとの生存競争において、ニッポンバラタナゴは弱い立場にあることと、ニッポンバラタナゴとタイリクバラタナゴとの間では雑種ができるからです。したがってニッポンバラタナゴのいる池に一尾でもタイリクバラタナゴが入れば、その池のニッポンバラタナゴの純粋性は保てません。現在純粋なニッポンバラタナゴが住んでいるところは、タイリクバラタナゴのいない閉鎖水域だけになってしまいました。誠に厳しい状況にあると言わなければなりません。タイリクバラタナゴは美しい魚ですので、水槽で飼い、その後池や川に放したことにより、各地にタイリクバラタナゴが繁殖するようになったのではないかと思われます。ニッポンバラタナゴはこのような危険な状態にあるので、タイリクバラタナゴが放される心配のないところで飼育することが必要と考え、大阪府八尾市産のニッポンバラタナゴは赤坂御用地内の池で、福岡県多々良川産のニッポンバラタナゴは常陸宮に頼み、常陸宮邸内の池で、それぞれ昭和五十八年以来飼育され、ニッポンバラタナゴ研究会が随時調査をし、また研究に用いています。

 日本は大陸と離れていた期間が長く、日本の中には琵琶湖のような古い湖、本州などと長い間隔離されていた島々があり、非常に多くの固有の生物が住んでいます。このような生物が今後とも安全に過ごせるよう日本人皆で守っていきたいものと思います。

関連質問 この二年ほどの間に昭和天皇の側近の日記などが相次いで世に出ております。昨年の富田日記に続きまして、今年は卜部侍従日記が公表されました。この富田日記と卜部日記の中に、昭和天皇が当時の入江侍従長に書き取らせた拝聴録の話が出ております。入江侍従長自身も日記の中で、再三拝聴録について触れております。拝聴録、確かに存在したと見られるのですが、陛下はこれを御覧になったことがございますでしょうか。また現在お手元にあるとも言われておりますが、それについてはいかがでございましょうか。

天皇陛下

 それは見たことがありません。

記者 現在、お手元にもないということでございましょうか。

天皇陛下

 無いと思います。少なくとも私が知っているところには無いということです。


この1年のご動静

 天皇陛下はこの一年、ほぼ毎週二回国事行為にかかわるご執務として、内閣よりの上奏書類等に署名や押印をなさり、その数は千五十一件に上りました。宮殿では、恒例の講書始の儀及び歌会始の儀にご臨席になり、親任式(内閣総理大臣)、認証官任命式(百二十六名)、信任状捧呈式(二十九名)、勲章親授式、また、勲章・褒章受章者、医療功労者、矯正職員、自衛隊統合幕僚幹部等の拝謁、内閣、最高裁判所長官、検事総長、会計検査院長、知事等との午餐、文化勲章受章者・文化功労者、新認定重要無形文化財保持者等とのお茶、日本青年海外派遣団員、人事院総裁賞受賞者等のご接見などを含む多くの行事に臨まれたほか、日本銀行総裁、各省事務次官等のご進講をお受けになりました。

 本年は三月にスウェーデン国王王妃両陛下が、十一月にはベトナム主席夫妻が国賓として来日され、両国賓を宮殿にお迎えになり、歓迎式典に臨まれ、宮中晩餐を催されました。また、公式実務訪問で来日したチリ大統領及びモザンビーク、チェコ、モンゴル、ナミビア、スリランカの大統領夫妻のために午餐を催されたほか、キリバス大統領夫妻等訪日した外国の元首や、首相、国会議長、最高裁判所長官等の賓客を宮殿にてご接遇になりました。そのほか新任の外国大使夫妻を招かれてのお茶、日本滞在が三年を超える外国大使夫妻のための午餐、離任する外国大使夫妻のご引見を行われました。

 御所では、恒例の日本学士院会員、日本芸術院会員、青年海外協力隊帰国隊員・日系社会青年ボランティア、シニア海外ボランティア・日系社会シニアボランティア、国際交流基金賞及び同奨励賞受賞者等とのお茶やご接見があり、外国から帰国した大使の帰朝報告、外務省総合外交政策局長によるご進講、各種の行事に関する事前のご説明等をお受けになりました。自然災害との関係では、石川県知事による能登半島地震被災状況についてのご説明、新潟県知事による新潟県中越沖地震被災状況についてのご説明をお受けになりました。

 また、ブルネイ国王陛下及びモナコ大公アルベール二世殿下を始め外国の王族の方々をおもてなしになりました。

 都内では、例年のごとく、国会開会式に臨まれ、また、両陛下にて全国戦没者追悼式を始め、日本国際賞、国際生物学賞、日本学士院賞及び日本芸術院賞の授賞式に臨まれたほか、第一回みどりの式典、原子核物理学国際会議INPC2007開会式、民生委員制度創設九十周年記念全国民生委員児童委員大会、地方自治法施行六十周年記念式典、日本遺族会創立六十周年記念式典にご臨席になりました。また、第三十九回日展へのお出まし、国際連合大学ご視察など各種のお出ましがありました。

 こどもの日、敬老の日、障害者週間に当たっては、本年も、両陛下にてそれぞれの関係施設をご訪問になり、入所者及び関係者をお励ましになりました。また、天皇陛下は例年どおり企業をご視察になりました。

 地方行幸啓は、一道一府八県にわたり、この一年間にご訪問になった市町村は十七市八町一村でした。両陛下は、第五十八回全国植樹祭(北海道)、第六十二回国民体育大会(秋田県)、第二十七回全国豊かな海づくり大会(滋賀県)にご臨席になり、天皇陛下は夏に開催された第十一回IAAF世界陸上競技選手権大阪大会において開会宣言をなさいました。また、これらの機会に各地で福祉、文化施設をご訪問になりました。本年八月、両陛下はヘリコプターを利用して九月に発生した新潟県中越沖地震被災地を視察され、現地において被災者をお見舞いになり、復興尽力者をおねぎらいになりました。また、十月には、平成十七年に発生した福岡県西方沖地震の被災者ご訪問と災害復興状況ご視察のため福岡市を訪問され、市内に設けられた応急仮設住宅前で被災住民とご懇談になったほか、船で玄界島に渡られて現地の被災住民ともご懇談になり、復興尽力者をおねぎらいになりました。

 両陛下はかねてから、へき地における医療のことを心にかけてこられましたが、今月、地域医療に責任を持つ全国の都道府県が共同で設立した自治医科大学(栃木県)をご視察になり、へき地医療を経験した卒業生をねぎらい、教員、学生等とご懇談になりました。

 天皇陛下は本年五月、皇后陛下とご一緒に、今年がリンネの生誕三百年に当たることから、リンネと関係の深いスウェーデンと英国からのご招待により、それぞれの国での記念行事にご出席のため、両国を公式訪問され、また、この機会に、エストニア、ラトビア、リトアニアを公式訪問されました。特に英国では、ロンドン・リンネ協会主催のリンネ生誕三百年記念行事において「リンネと日本の分類学」と題する基調講演を英語でなさいました。この講演の要旨は英国の科学専門誌「ネイチャー」に掲載され、また、日本語は、「日本学士院紀要」に掲載されました。なお、天皇陛下は昭和五十五年にロンドン・リンネ協会より五十名を定員とする外国会員に選ばれ、昭和六十一年からは名誉会員になっておられます。

 天皇陛下は例年のとおり、生物学御研究所の田で稲の種籾のお手まき、お田植え、お手刈りをなさいました。神嘗祭に際しては、お手植えになった根付きの稲を神宮にお供えになり、また、新嘗祭には、お手刈りになった水稲及び粟を神嘉殿の儀にお供えになりました。

 宮中祭祀は、新嘗祭及び四方拝を除き本年は賢所仮殿にて行われましたが、恒例の祭典のほか、武烈天皇千五百年式年祭、文武天皇千三百年式年祭、堀河天皇九百年式年祭など祭祀三十八回にお出ましになりました。

 本年の皇居勤労奉仕団、賢所勤労奉仕団、献穀者ご会釈は五十五回ありました。

 天皇陛下は、お忙しいご公務の合間にハゼのご研究をなさっています。

 天皇陛下は、前立腺摘出手術後、引き続きホルモン療法を受けておられますが、毎日早朝には皇后陛下とご一緒にご散策をされ、日曜日には陛下のご運転で東御苑にお出ましになり本丸や二の丸などをお歩きになっています。ご公務のない週末や休日には両陛下にてテニスなどのご運動をなさっておられます。

 天皇陛下は十二月二十三日、七十四歳のお誕生日をお迎えになります。

 当日は、午前九時に賢所仮殿における天長祭の儀のご拝礼をお済ませの後、午前は皇族方を始めとし、六回にわたり祝賀をお受けになり、また皇族方とお祝酒を共にされます。なお、この間三回にわたり長和殿ベランダに立たれ国民の参賀におこたえになります。午後は、三権の長の祝賀、三権の長、閣僚、各界の代表等との宴会に臨まれ、その後、元側近奉仕者等との茶会、次いで外交団を招かれての茶会の後、御所に戻られ侍従職職員から祝賀を受けられます。

 夕方には、非公式に未就学のお孫様のご挨拶を受けられ、この日の最後の行事であるご進講者、ご関係者との茶会に臨まれた後、皇后様、お子様方とのお祝御膳をおとりになります。

天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの一年のご動静
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by unkotamezou | 2007-12-23 08:00 | 皇室
天皇誕生日の一般参賀要領

 宮内庁は30日付で、12月23日の天皇誕生日に皇居・宮殿東庭で行われる一般参賀の要領を発表した。

 天皇、皇后両陛下は午前10時20分、同11時5分、同11時40分の3回、皇族方とともに長和殿ベランダに姿を見せ、参賀を受ける予定。受付時間は午前9時半から同11時20分までで、皇居正門(二重橋)から入り、坂下門や大手門などから退出する。

 午後は宮殿での祝賀行事のため、両陛下のお出ましはないが、午後零時半から同3時半まで、宮内庁庁舎前の特設記帳所でお祝いの記帳を受け付ける。希望者は坂下門から入門できる。

19/11/30 05:27

天皇誕生日の一般参賀要領=宮内庁
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by unkotamezou | 2007-11-30 05:27 | 皇室
天皇陛下、捕鯨フィルムを寄贈

 宮内庁は26日、天皇陛下が、手元で保管してきた日本の捕鯨に関するフィルムを国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に寄贈されたと発表した。

 フィルムは「南氷洋に於ける我捕鯨業」と題した記録映画で16ミリ全5巻。昭和10年秋から翌11年春にかけての南極海での日本の捕鯨船の活動が収められている。日本捕鯨(後の日本水産)から昭和11年に昭和天皇に贈られ、天皇陛下も学習院初等科時代に見たことがあるという。

19/10/26 19:46

天皇陛下、捕鯨フィルムを寄贈
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by unkotamezou | 2007-10-26 19:46 | 皇室
秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さま、一歳に

 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは6日、1歳の誕生日を迎えられた。宮内庁によると、発育は順調で、3日時点の身長は75センチ、体重は9285グラムとほぼ標準のご体格。上下に数本ずつ歯が生え始め、伝い歩きもできるようになられたという。

 悠仁さまは41年ぶりの男子皇族として昨年9月6日午前8時27分、身長48・8センチ、体重2558グラムで誕生された。皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次ぐ第3位のお立場にある。



 6日に1歳の誕生日を迎えられた秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さま。ご夫妻は悠仁さまの養育について、長女の眞子さまや二女、佳子さまのときと同じように、子供らしい生活のリズムを大切にしながら、心身ともに健康に過ごされるよう心がけられているという。

 宮内庁によると、悠仁さまは離乳食も進み、ハイハイで階段を上るなど活発なご様子で、運動量はこの1カ月で格段に増えている。また自分の気持ちをさまざまな表情や動作でしっかりと伝えるようになられた。

 例えばご家族や周囲の人から話しかけられたりあいさつをされると、その様子をじっくりと見つめ、それに応えるように元気な声で笑ったり、相手の動きを少しまねたりされるという。

 遊び方も多様になっており、音の出るものに興味を示し、眞子さま、佳子さまと一緒にピアノの鍵盤に触れたり、太鼓や木琴を鳴らされることもある。この夏には、音楽にあわせて手をたたかれる場面もあった。

 絵本も好きで、自分でページをめくり、終わりまでくると裏表紙まで眺め、また同じように何度も開いて楽しまれている。8月下旬には、皇居で宮内庁職員の乗馬の練習風景や、馬の手入れをしている様子をごらんになった。馬車にも乗り、御者の動きを興味深く観察されていたという。

 また宮内庁が誕生日に合わせて公開した悠仁さまの最近の写真や映像には、眞子さま、佳子さまとおもちゃで遊ぶご様子なども収められている。

 悠仁さまは6日午前、天皇、皇后両陛下に誕生日のあいさつをするため、紀子さまとともに皇居・御所を訪問される。

(19/09/06 08:36)

秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さま、1歳に
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by unkotamezou | 2007-09-06 08:36 | 皇室
支那の陰謀 北京五輪に天皇陛下を招待

 平成20年北京五輪組織委員会の蒋効愚執行副会長は9日午前(日本時間同)、日本の記者団のインタビューに答え、来年の五輪開会式への天皇陛下のご出席について、「天皇陛下が貴賓として(中国政府から)招かれて出席されるなら、心から歓迎する。準備も含め、全力を挙げてお迎えしたい」と述べ、期待感を示した。

 天皇陛下の開会式ご出席をめぐっては、中国の温家宝首相が4月の来日時に天皇陛下と会見した際、直接招請した経緯がある。これに対し、日本政府はまだ回答をしていない。

 蒋副会長は「前回アテネ五輪の時には各国の指導者、元首の出席者は60数人だった。北京はこれを超えると思う」との見通しを明らかにした。【北京=飯塚恵子】

19年7月9日13時30分 読売新聞

北京五輪委執行副会長、天皇陛下の開会式ご出席に期待感
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by unkotamezou | 2007-07-09 13:30 | 皇室
三笠宮ご夫妻、母・貞明皇后の思い出や終戦秘話を語る

 三笠宮ご夫妻が母、貞明(ていめい)皇后の思い出を語られた「母宮貞明皇后とその時代」(工藤美代子著)が、中央公論新社から10日に出版される。

 終戦時に陸軍少佐だった三笠宮さま(91)は戦争の秘話をいろいろと明かし、百合子さま(84)と共に皇后の人柄を率直に語られている。

 御前会議でポツダム宣言の受諾が決まった1945年8月14日の夕、三笠宮さまは宮邸に阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相の訪問を受け、「陛下が降伏の決意を翻(ひるがえ)し、戦争を継続していただくよう申し上げて」と懇願された。

 三笠宮さまはその時のことを「温厚な顔つきや話し方を聞きながら、陸相が侍従武官をしていたことを思い出してね。陛下をかわいいわが子のように思っているのではないかという印象を受けたものでした。要請は受け入れるわけにはいきませんでした」と振り返られている。

 阿南陸相が「一死以て大罪を謝し奉る」と書き残して自決したのは数時間後。百合子さまは「なんともお寂しそうな後ろ姿で、こちらまで感傷的になったのを忘れられません」と語り、昭和天皇の元を訪ねようとする三笠宮さまを御附(おつき)武官が止め、玉音盤争奪騒動に巻き込まれずに済んだことを明かされている。

 また、三笠宮さまは兄の昭和天皇について「公的には君臣であり、大元帥と一少佐。公私の区別を峻別(しゅんべつ)される方でしたから、結果的には孤独で、寂しかったと推察します」と話されている。

 三笠宮さまの終戦秘話などは10日発売の「中央公論」8月号でも紹介されている。

19年7月8日11時46分 読売新聞

三笠宮ご夫妻、母・貞明皇后の思い出や終戦秘話を語る
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by unkotamezou | 2007-07-08 11:46 | 皇室
両陛下、リトアニアで杉原千畝記念碑を訪問

 両陛下は歓迎式典などに臨んだあと、1991年1月、独立を守ろうとテレビ塔などにバリケードを張り、旧ソ連軍に制圧された「血の日曜日事件」の犠牲者14人が眠るアンタカルニス墓地を訪ねて供花、天皇陛下は遺族に「残念なことでしたね」と声をかけられた。

 この後、第2次世界大戦のころにリトアニアの首都だったカウナスに領事代理として滞在、ナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人難民に日本通過のビザを発行し、6000人の命を救った故・杉原千畝(ちうね)の記念碑に立ち寄られた。

 記念碑は2001年に母校の早稲田大が生誕100年を記念して建てたもので、両陛下は碑に埋め込まれたビザのプレートなどを間近でながめられていた。

 この日の昼食会でアダムクス大統領は「リトアニアと日本との間には、条約や外交を超えた特別な架け橋ができました。その架け橋を作った日本の外交官、杉原千畝は、人道的な功績を残したことで、常にリトアニア国民の尊敬を集めています」とリトアニア語で述べた。

 両陛下はまた、リトアニアの民俗祭を訪れ、市民と交流もされた。

19年5月27日1時36分 読売新聞

両陛下、リトアニアで杉原千畝記念碑を訪問
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by unkotamezou | 2007-05-27 01:36 | 皇室
天皇皇后両陛下の外国ご訪問前の記者会見の内容 宮内記者会代表質問

一 ご訪問国 : スウェーデン、エストニア、ラトビア、リトアニア、英国
二 ご訪問期間: 平成十九年五月二十一日~五月三十日
三 会見年月日: 平成十九年五月十四日
四 会見場所 : 宮殿 石橋の間

(宮内記者会代表質問)

問一 天皇皇后両陛下に伺います。今回のご訪問は、長年にわたって交流を重ねてこられたスウェーデン、英国への再訪と、旧ソ連圏のエストニア、ラトビア、リトアニアへの初めての訪問、生物学者リンネの生誕三百年記念行事という三つの側面を持っています。それぞれの国に寄せる思いや抱負、ご研究を通じてリンネの業績から学ばれたことなどをお聞かせください。

天皇陛下 三年前、英国のロンドン・リンネ協会から、平成十九年にリンネ生誕三百年を祝うこととなるので、ロンドンのリンネ協会の記念行事に参加できないかとの打診があり、その後、英国政府からの招待がありました。また、昨年に入ってスウェーデン政府からも、やはりリンネ生誕三百年の記念行事が行われるとして招待があり、今回、これらの招待にこたえて、両国を訪れることになりました。

 私は皇太子であった昭和五十五年にロンドン・リンネ協会から魚類学への貢献ということで、外国会員に選ばれました。外国会員の名簿を見ると、会員は五十人で、日本人では植物学の原東京大学名誉教授がおられるだけでした。私にとっては誠に過分のこととは思いましたが、それを励みに研究に努力してきたつもりです。ロンドン・リンネ協会には、会員に選ばれた翌年、当時の皇太子妃と共に英国皇太子殿下の結婚式典参列の機会に訪れました。昭和六十一年名誉会員に選ばれ今日に至っています。この度、このような関係にあったロンドン・リンネ協会のリンネ生誕三百年の記念行事に出席することをうれしく思っております。

 リンネの今日に残る業績は二名法の学名を創始したことだと思います。学名は属名と種名の結合で成り立っていますが、二名法の学名が創設される以前の学名の種名は、属内の他種から区別される特徴を記述する部分でありました。したがって同一属内に数種があり、幾つかの特徴で他種から区別しなければならない場合には種名の語数が長くなりました。リンネはこのように属名と長短定まらない種名との結合の代わりに、属名と特徴を示すとは限らない一語の種名を結合した二名法の学名を創設しました。そして特徴を示す記述は別項にして、学名から切り離されました。この措置により学名は二語の簡便なものとなり、今日、世界共通の動植物の名称として、学界はもとより多くの人々によって使われています。二語であれば覚えやすく、動植物の話をするとき、学名を使って話をすることもできます。皇居の東御苑にはかなりの数の外国人が訪れています。外国人で植物を見て楽しむ人々のことを考え、和名のほかに学名を付けるようにしています。

 スウェーデンでは、三月に国賓として日本にお迎えした国王王妃両陛下に再びお目にかかるのを楽しみにしております。また到着の翌々日にはリンネが教授であったウプサラ大学で行われるリンネ生誕三百年の記念行事に国王王妃両陛下と参列し、リンネの業績をしのびたく思います。この前ウプサラ大学を訪問したのは二十年以上前のことで、スウェーデン国王王妃両陛下の国賓としてのご訪日に対する昭和天皇の名代としての答訪で、皇太子妃と共にスウェーデンを訪問したときのことです。ここにはリンネの弟子で、長崎出島のオランダ商館の医師を務めていたツュンベリーも教授として務めていました。ツュンベリーは鎖国の日本へ足を踏み入れましたが、ツュンベリー来日の前年には杉田玄白らでオランダ語から訳した「解体新書」が刊行されるなど蘭学が盛んになり、欧州の医学への関心も高まっているときでした。「解体新書」の訳に加わった医師の中にはツュンベリー帰国後もツュンベリーあてに手紙を出した人もおり、ウプサラ大学でその手紙を見ることができたことはうれしいことでした。ツュンベリーの日本滞在記を読むと、異なった文化の中で育った人々を理解しようとするツュンベリーの温かい人柄が感じられます。

 スウェーデンと英国で行われるリンネ生誕三百年の記念行事の間に、エストニア、ラトビア、リトアニアの大統領閣下からのご招待により、この三か国を訪れます。帝政ロシア領であったこれら三か国は、ロシア革命を受けて大正七年に独立を宣言しましたが、昭和三十五年にはソ連に併合されて独立を失い、第二次世界大戦中は独ソ戦の戦場となって多くの人命が失われました。平成三年、ソ連邦の崩壊の過程で、ようやく独立を回復することとなりました。ソ連邦はその後十五の独立国になりましたが、これら三か国はソ連邦内からの初めての独立で、当時私どもも大きな関心を持って見守ったことでした。リトアニアが厳しい状況下で独立を果たした翌年、ランズベルギス最高会議議長ご夫妻が日本をお訪ねになり、皇居で皇后と共にお会いしたことが思い起こされます。リトアニアの画家であり音楽家であるチュルリョーニスの展覧会が東京で開かれるに当たり、議長はチュルリョーニスの研究者である立場から訪日されたものでした。私どもも後にその展覧会を見に行きました。

 今回の訪問に当たっては、それぞれの国の苦難の歴史に思いを致し、それぞれの文化に対する理解を深め、我が国とこれら三国との相互理解と友好関係の増進に尽くしたいと思っています。

 研究を通じてリンネの業績から学んだことについての質問ですが、お答えが適切ではないかもしれませんが、分類学の研究を通じて標本を保管することの重要性を学んだということがあります。動植物それぞれの命名規約に、同一種に複数の学名が付けられている場合、古い方の学名を採用することが規定されています。その関係から古い学名を調べるに当たり、文政十一年(西暦千八百二十八年)に採集された標本を調べましたが、そのように長く保管された古い標本でも色彩の特徴が確認できました。これはリンネの標本がロンドン・リンネ協会に大切に保管されているように、欧米の博物館が研究に役立てるために、標本を大切に保管してきたからです。今日、日本の博物館も標本の保管に関して十分な配慮がなされるようになりましたが、かつては博物館は教育機関としての役割のみが強調され、標本は展示のために利用されていました。国立科学博物館も明治十年に教育博物館として建てられ、標本を含む教育機材が展示されていました。当時、産業の振興は国にとって大変大切なことでしたが、もう少し自然史や分類学に関心が寄せられていれば、例えば田沢湖のクニマスのような絶滅を防げた動物もいたのではないかと残念に思っています。

皇后陛下 カール・フォン・リンネの生誕三百年に当たり、リンネ協会の所在する英国と、リンネの母国であるスウェーデンの両国からご招待を頂きました。陛下の長年にわたる生物学ご研究と深くかかわるこの度のご訪問であり、うれしく同行させていただきます。

 また、この度、この二か国と共に、バルト海に面する三つの共和国、エストニア、ラトビア、リトアニアからも招待を頂き、訪問いたすこととなりました。平成三年、この三か国の独立回復の報に接したときのことは今も記憶に新しく、この度の訪問により、それぞれの国の人々と接する機会を持つことを心より楽しみにしております。

 スウェーデンの博物学者リンネにつき、私は深い知識を持つ者ではございませんが、分類学をご研究の陛下との生活の中で、リンネは全く無縁の人ではありませんでした。まだ婚約したばかりのころ、陛下は時々私にご専門の魚類につきお話しをしてくださいましたが、そのようなとき、ティラピア・モサンビカ、オクシエレオトリス・マルモラータというように、いつも正確に個体の名を二名法でおっしゃっており、私はびっくりし、大変なところにお嫁に来ることになったと少し心配いたしました。

 ここ五六年、皇居東御苑の木や草には、庭園課の人たちの手で名札が付けられるようになりましたが、外国の来園者も多いことと、その一つ一つに陛下のご希望で日本名に加え学名も付されています。リンネの考案を基にしてできた命名規約により、世界中の人が共通の名前で自然界のものを名指せることを、すばらしいことと思います。

 エストニア、ラトビア、リトアニアについての知識は、長いこと、この地域の幾つかの地名を、ハンザ同盟と関連して知るという程のものでしたが、昭和六十年に「バルト海のほとりにて」という一冊の書籍を贈られ、一口にバルト三国と呼ばれながら、それぞれ固有の民族から成り、固有の言語を持つこれらの国々が、二つの大戦の間(はざま)の時代を独立国として自由と繁栄に向かって歩む姿と、その後に経ることになる、長い苦しみの歴史に触れる機会を得ました。

 これら三か国の独立は、平成三年のことでしたから、私がこの本を読んでから、約六年後のことになります。独立後程なく、リトアニアのランズベルギス最高会議議長が来日され、かつて本の中で知るようになったこれらの国々が、そのとき急に現実味を帯びて感じられたことを記憶いたします。この度、短時日とはいえ、この三か国を訪問することができますことは大きな喜びであり、この機会にこれらの国の人々が、過去に味わった多くの苦しみを少しでも理解するよう努めるとともに、苦しみ多い時代にも、人々が決して捨てることの無かった民族の誇りと、それを支えたであろうこの地域の伝承文化への理解を深めたいと思います。

 今回最後の訪問地英国では、リンネ協会の行事に臨むほか、思いがけず世界最初の小児ホスピスであるへレン・ハウスの創立二十五周年の行事にお招きを頂き、参列することとなりました。二年前、このハウスの数名の患者方が、両親やスタッフに付き添われて来日された折にお会いしておりました。ちょうど施設の二十五周年の年に、陛下とご一緒に英国におりますという偶然があって、お招きに応じることが可能となりました。二年前に出会った子どもたちや付添いの方たち、そしてこのホスピスの創立者であるシスター・フランセスのお顔を懐かしく思い出しつつ、再会の日を待っております。

 ヘレン・ハウスと、その後に加えられたダグラス・ハウスを訪問し、力を尽くして今を生きる子どもたちと、その子らに寄り添う方たちにお会いするこの日は、私にとっても生きるということ、友として人が人に寄り添うということにつき、深く考える一日になるのではないかと思っております。

問二 両陛下に伺います。十日間で五か国を巡る今回のご訪問は移動も多く、過密な日程での長旅となります。陛下は治療を続けられ、皇后さまは先月、精神的なお疲れからとみられる腸壁の出血などにより静養を取られるなど、体調に不安を抱えての旅路となりますが、今回皇后さまが体調を崩されたきっかけやその後の経過を陛下はどのように見守られ、皇后さまご自身はどのように向き合われたのか、ご訪問にあたっての現在のご体調とあわせてお聞かせください。

天皇陛下 皇后は、長年にわたって様々な苦労を乗り越え、私を支え、国内外の多くの公務を果たしてきました。四年前の私の手術のときには病院に泊まって看病を手伝い、入院中も毎日のように見舞いに訪れ、記帳簿を私に見せて国民の快癒を願う気持ちを伝えてくれました。私の健康面での心配に加え、皇太子妃の健康や、前置胎盤で懐妊中の秋篠宮妃のことを気遣うなど、今思うと、随分心配の多い日々を送ってきたのだと思います。この度の病気は、予兆無しに突然に起こり、心配しましたが、幸い病気は週末や祝日も含めて二回にわたる短期間の休養で、公務を休むことなく、健康を回復したことを喜んでいます。

 今回の外国訪問は、それぞれの国での滞在が短く、日程も忙しいものになっていますが、二人とも健康に気を付けながら、訪問の目的を果たしたいと思っています。

皇后陛下 体の変調を公表することには、常にためらいを感じますが、理由を伏せて休むことで実際以上に悪いような憶測を呼ぶようではいけないと思い、この度も発表に同意いたしました。

 心配をおかけいたしましたが、良い経過をたどり、今は元気にしております。医師が発表いたしましたように、この度の病気は痛みや苦痛を伴うものではなく、休養と投薬により軽快するとのことで、三月末の九日間ほどを静養に充てさせていただきました。

 過去に体験したことのない病気で、症状のとれるまで少し不安もありましたが、十分な静養のときを頂き、元の健康に戻ることができました。この間、大勢の方々からお見舞いと励ましを頂きましたことに対し、厚くお礼を申し上げます。

 今回の外国訪問は、五か国を回る忙しいものとなりそうですが、何よりも陛下がご旅行の全行程にわたり、お元気でいらっしゃいますよう念じております。私も陛下のお側で支障なく務めを果たせますよう、体に気を付けて、お供させていただきます。

問三 両陛下に伺います。両陛下は、皇太子同妃時代から多くの国々を訪問し友好を深められ、即位後も外国訪問や外国賓客を迎えることで年輪を重ねられました。外国訪問を含めた国際交流について、次代を担う皇太子ご夫妻に今後どのようなことを期待されますでしょうか。

天皇陛下 私どもが結婚したころはまだ国事行為の臨時代行に関する法律が無く、天皇が皇太子に国事行為を委任して、外国を訪問することはできませんでした。そのようなわけで、元首である国賓を我が国にお迎えすると、しばらく後に、私が昭和天皇の名代として、それぞれの国を皇太子妃と共に答訪することになっていました。

 私どもの結婚の翌年、昭和三十五年九月の日米修好条約百周年に当たっての米国訪問は、皇太子の立場で皇太子妃と共にこれを行いましたが、二か月後の十一月に、皇太子妃と共にイラン、エチオピア、インド、ネパールを、それぞれの元首の我が国訪問への答礼として行ったときは、昭和天皇の名代として、これを行いました。この四か国訪問が昭和の時代に私が昭和天皇の名代として皇太子妃と共に各国を訪問した始まりでした。この名代としての外国訪問は、国事行為の臨時代行に関する法律が昭和三十九年に施行された後も続けられ、昭和四十六年になってようやく昭和天皇、香淳皇后のヨーロッパ諸国御訪問が実現する運びになりました。このご訪問は昭和天皇、香淳皇后にとってもお喜びだったと思いますが、私どもにとっても喜ばしいことでした。天皇の名代ということは、相手国にそれに準ずる接遇を求めることになり、私には相手国に礼を欠くように思われ、心の重いことでした。各国とも寛容に日本政府の申出を受け入れ、私どもを温かく迎えてくれたことに、深く感謝しています。

 昭和五十年の昭和天皇、香淳皇后の米国ご訪問以降は、ご高齢の関係で、再び私が名代として皇太子妃と共に外国を訪問するようになりました。その後国際間の交流が盛んになるにつれ、国賓の数も増え、極力答礼に努めたものの、そのすべてに答礼を果たすことが不可能な状態の中で昭和の終わりを迎えました。

 平成に入ってからは、私どもの外国訪問は国賓に対する答訪という形ではなく、政府が訪問国を検討し、決定するということになっています。

 私どもの外国訪問を振り返ってみますと、国賓に対する名代としての答訪という立場から多くの国々を訪問する機会に恵まれたことは、国内の行事も同時に行い、特に皇后は三人の子どもの育児も行いながらのことで、大変なことであったと思いますが、私どもにとっては、多くの経験を得る機会となり、幸せなことであったと思います。それと同時に名代という立場が各国から受け入れられるように、自分自身を厳しく律してきたつもりで、このような理由から、私どもが私的に外国を訪問したことは一度もありません。

 現在、皇太子夫妻は名代の立場で外国を訪問することはありませんから、皇太子夫妻の立場で、本人、政府、そして国民が望ましいと考える在り方で、外国訪問を含めた国際交流に携わっていくことができると思います。選択肢が広いだけに、一層的確な判断が求められてくると思われますが、国際交流に関心と意欲を持っていることを聞いていますので、関係者の意見を徴し、二人でよく考えて進めていくことを願っています。

皇后陛下 私が御所に上がりましたのは、昭和三十四年のことで、そのころには既に戦後の国交回復により日本に各国の大公使が滞在されており、結婚後そうした方たちとの接触のあろうことは知らされておりましたが、海外の訪問については何も伺っておらず、嫁いで数か月後、急に翌年五月訪米の案がもたらされたときには、本当に驚き、困惑いたしました。そのとき私は皇太子を身ごもっており、出産は三月初旬と言われておりました。私も同行を求められており、もし五月の旅行となりますと、母乳保育は二か月足らずで打ち切らねばならず、またホノルルを含め、米国の八都市を二週間で訪問ということで、産後間もない体がこれに耐えられず、皆様にご迷惑をかけることにならないか不安でもございました。自分の申出が勝手なものではないかと随分思案いたしましたが、当時の東宮大夫と参与に話し理解を求め、米国側も寛容に訪問時期を九月に延ばしてくれ、ほっといたしました。

 このときに始まり、これまで陛下とご一緒に五十二か国を公式に訪問してまいりましたが、そのうち十六か国を訪問するころまでは、出産があったり、子どもが小さかったりで、国内の公務の間を縫うようにして執り行われるこのような旅は、もう自分には続けられないのではないかと心細く思ったこともありました。ともあれ、陛下とご一緒に一回一回経験を重ね、その都度経験したことに思いを巡らせ、また心を込めて次の旅に臨むということを繰り返してまいりました。これらの訪問を通じ、私の自国への認識と、言葉では表し得ない日本への愛情が深まり、この気持ちを基盤として、他の国の人々の母国に対する愛情を推し測っていくようになったと思います。今、どの旅も、させていただけたことを本当に幸せであったと思っております。

 外国訪問を含む今後の国際交流につき、皇太子夫妻に何を期待するかという質問ですが、この問題については、きっと皇太子や皇太子妃にこのようにしたいという希望や思い描いている交流の形があると思いますので、それが一番大切なことであり、それに先んじて私の期待や希望を述べることは控えます。

 今は皇太子と皇太子妃が、これまでに積んだ経験をいかし、二人して様々な面で皇室の良い未来を築いていってくれることを信じ、期待しているとのみ申すにとどめ、これからの二人を見守っていきたいと思います。

天皇皇后両陛下の外国ご訪問前の記者会見の内容
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by unkotamezou | 2007-05-14 17:00 | 皇室
天皇皇后両陛下の外国ご訪問前の記者会見の内容 在日外国報道協会代表質問

一 ご訪問国 : スウェーデン、エストニア、ラトビア、リトアニア、英国
二 ご訪問期間: 平成十九年五月二十一日~五月三十日
三 会見年月日: 平成十九年五月十四日
四 会見場所 : 宮殿 石橋の間

(在日外国報道協会代表質問)

問四 天皇皇后両陛下にお伺いします。世界各国の王室に対するマスコミや世間のプレッシャーや期待感が大きいのですが、特に日本の皇室に対してはそうだと思います。振り返ってみて、今まで直面した最も厳しい挑戦や期待はどのようなものでしたか。また、これらの挑戦や期待にどのように対応してきましたか。

天皇陛下 振り返ると、即位の時期が最も厳しい時期であったかと思います。日本国憲法の下で行われた初めての即位にかかわる諸行事で、様々な議論が行われました。即位の礼は、皇居で各国元首を始めとする多くの賓客の参列の下に行われ、大嘗祭も皇居の東御苑で滞りなく行われました。これらの諸行事に携わった多くの人々に深く感謝しています。また皇后が、この時期にいつも明るく私を支えてくれたことはうれしいことでした。

 私は、国民の幸せを願ってきた昭和天皇を始め歴代天皇の伝統や、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるという憲法の規定を念頭に置きながら、国や国民のために尽くすことが、国民の期待にこたえる道であると思っています。

 今日、大勢の人々に励まされながら、このような天皇の務めを果たしていることを、幸せなことと思っています。

皇后陛下 まだ学生であった一時期、セリエ博士のストレス学説が日本でも盛んに取り上げられていた記憶がありますが、私の若いころ、「プレッシャー」という言葉が社会で語られるのを聞くことはまだ余りありませんでした。戦争で多くを失った日本が、復興への道をいちずに歩んでいたころであり、もしかすると当時の日本人全体が強いプレッシャーの下で生きていたのかもしれず、ある意味で社会がプレッシャーを共有し、これを当たり前に感じていた時代であったのかもしれません。

 このような時代の続きであったためか、結婚後新しい生活に入り、多くの要求や期待の中で、一つの立場にある厳しさをことごとく感じる日々にあっても、私がそれをプレッシャーという一つの言葉で認識したことは無かったように思います。ただ人々の期待や要求になかなかこたえきれない自分を、悲しく申し訳なく思う気持ちはいつも私の中にあり、それは当時ばかりでなく、現在も変わることはありません。

 また事に当たっての自分の判断になかなか自信が持てず、これで良いのかしらと迷うことも多く、ある時のある事件が自分にとり大きな挑戦であったという以上に、自分の心の中にある悲しみや不安と折り合って生きていく毎日毎日が、私にとってはかなり大きな挑戦であったと言えるかもしれません。

 心が悲しんでいたり不安がっているときには、対応のしようもなく、祈ったり、時に子どもっぽいおまじないの言葉をつぶやいてみたりすることもあります。不思議に悲しみと不安の中で、多くの人々と無言のうちにつながっているような感覚を持つこともあります。この連帯の感覚は、本当に漠然としたもので、錯覚にすぎないのかもしれませんが、私には生きてきたことのご褒美のように思え、慰めと励ましを感じています。

問五 天皇皇后両陛下に伺います。ウィリアム・シェークスピアの作品「ヘンリー五世」の中で、国王が普通の人に成りすまして、市民の考えや感情を理解するために、その中に入っていくという有名な場面があります。もし、両陛下が、お供の方も、警護の方もなしに、ご身分を隠して一日を過ごす事ができるとしましたら、それぞれどちらにお出かけになろうと思われますか、また、何をなさりたいですか。

天皇陛下 シェークスピアの「ヘンリー五世」については、昔、映画で見た記憶があります。まだ平和条約が発効する前のことで、英国の対日連絡事務所の大使に当たるガスコイン政治顧問の招きで、この映画を見ました。フランス国王がヘンリー五世にテニスボールをおくる場面や、重武装のフランスの騎士が体を釣り上げられて馬に乗り、一団となって柵を巡らせた英国軍の陣地に向かっていく場面など記憶に残っていますが、質問の場面の記憶はありません。

 平和条約が発効した翌年英国女王陛下の戴冠式に参列し、その前後に欧米諸国を訪れました。戴冠式や関連する諸行事では大勢の参列者の一人という立場で参列者と接し、身分を隠していたわけではありませんが、大変自由で楽しいときを過ごしました。あるレセプションでは、米国の代表マーシャル元国務長官が私への紹介をルクセンブルクの皇太子に頼み、その結果、ご自身も私とは初対面のルクセンブルクの皇太子からマーシャル元国務長官を紹介されるという面白いこともありました。戴冠式には外国元首は参列しませんが、後に国王になった方は何人か参列されました。先のルクセンブルクの皇太子も後に大公となられました。戴冠式で私の隣に座った方はつい最近亡くなられたサウジアラビアのファハド国王であり、当時十九歳であった私と最も年齢の近かった参列者は、今のベルギー国王でした。

 身分を隠して何かをするということで、今、私の頭に浮かんでくることはありません。

 私は自然に触れたり、研究をしたりすることに楽しみを覚えていますので、そうした時間がもう少しあれば非常にうれしいと思っています。今度の外国訪問でも、もう少し時間があれば、田園地帯を専門家の人と動植物を見ながら歩いてみたいと思いますが、忙しい日程の旅行ですし、帰るとすぐ東京で行事がありますので、そのような計画はしていません。皇后は東京に戻った翌日、国際看護師協会のレセプションがあり、週明けには皇后と私の出席する原子核物理学国際会議の開会式とレセプションがあります。

 その後葉山で数日休養を取るつもりです。葉山では浜辺をよく歩くのですが、地元の人やたまたまその日に遠出して来た他の地域の人々など、様々な人々と出会います。今年の冬に訪れた葉山でのことでしたが、夕日が富士山に映えて美しく、その美しさを大勢の人々と分け合うように見ていたときの皇后は本当に楽しそうでした。私どもはまた浜とは反対の、川に沿った山道もしばしば訪ねますが、その道にはサンコウチョウが巣をつくっているところがあり、それを見に来る鳥の好きな人々とよく出会います。巣から尾だけ出しているサンコウチョウ、杉林の間を長い尾を引いて飛ぶサンコウチョウなどを眺め、見に来た人々と楽しい一時を過ごしたこともありました。

 皇后も私も身分を隠すのではなく、私たち自身として人々に受け入れられているときに、最も幸せを感じているのではないかと感じています。

皇后陛下 記憶に誤りがあってはと思い、大学の図書館から本をお借りして久しぶりに読みました。

 ヘンリー五世が英軍の陣営内で、身分を明かさずに、通りすがる兵士たちと話を交わし、そこから人々が彼らの王に対して持っている気持ちを知ろうとする場面が質問の導入部のところだと思います。

 質問の本体である、身分を隠し好きな所で一日を過ごすとしたらどこで何をしたいか、ということに対しては、意外と想像がわきません。以前、都内のある美術館で良い展覧会があり、是非見たいと思ったのですが、大きな駅の構内を横切ってエレベーターの所まで行くため、かなりの交通整理をしなくてはならないと聞き、大勢の人の足を止めてはとあきらめたことがありました。このときは、そこを歩く間だけ透明人間のようになれたらなあ、と思いましたが、これは質問にあった「身分を隠して」ということとも少し違うことかもしれません。

 そこで思い出したのですが、以前東京子ども図書館の会合にお招き頂いたときに、当日の出席者を代表して、館長さんから「かくれみの」を頂きました。日本の物語に時々出てくるもので、いったんこれを着ると他人から自分が見えなくなる便利なコートのようなもので、これでしたら変装したり、偽名を考えたりする面倒もなく、楽しく使えそうです。皇宮警察や警視庁の人たちも、少し心配するかもしれませんが、まあ気を付けていっていらっしゃいと言ってくれるのではないでしょうか。まず次の展覧会に備え、混雑する駅の構内をスイスイと歩く練習をし、その後、学生のころよく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もう一度長い時間をかけて本の立ち読みをしてみたいと思います。

天皇皇后両陛下の外国ご訪問前の記者会見の内容
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by unkotamezou | 2007-05-14 17:00 | 皇室
悠仁さまの初節句祝い“端午の飾り” 沼津御用邸記念公園

 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの初節句をお祝いし、子供たちの健やかな成長を願う端午の節句飾りの展覧会が5月27日まで、沼津市下香貫の沼津御用邸記念公園で開かれている。

 同公園の呼び掛けで市民から寄せられたよろいかぶとの段飾りや、市内の趣味の会によるこいのぼりをかたどったつるし飾りなど約50点を、園内の西付属邸に展示している。

 芝生広場にはこいのぼりも登場した。初日は強い風が吹く中、青空と松林を背景に勢いよく泳ぐ雄姿に、歓声を上げる子供の姿も見られた。

 期間中は、園児のこいのぼり絵画展(5月1―27日)や一般の人も参加できるたこ揚げ(5月5日)なども予定されている。

19/04/17

悠仁さまの初節句祝い“端午の飾り” 沼津御用邸記念公園
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by unkotamezou | 2007-04-17 22:33 | 皇室