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国立公文書館拡充へ有識者会議設置 「歴史資料の宝庫」次世代に

 国立公文書館の機能を拡充しようという機運が高まっている。博物館や図書館と違って一般には少し縁遠いが、お役所の文書を集めた公文書館は歴史資料の宝庫。年金記録、薬害肝炎リスト、古くは戦時中の慰安婦問題…。過去の公文書の散逸は、国民に不利益を招いてきた。政府はようやく「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」を設置し、公文書館の再整備に腰を上げた。(文化部 牛田久美)

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 「(裁判の)実状が記録として判然と姿をあらわして来た」

 現在公開中の映画「明日への遺言」の原作小説『ながい旅』の作者、大岡昇平は、物語の執筆を一度はあきらめていた。しかし昭和56年、取材を再開する。きっかけは米国立公文書館の機密解除だった。

 「無差別爆撃が立証されたとき、裁判長も検察官も言葉がなく、しーんとなった」という軍事法廷の詳細などが、30年を経て明らかとなった。おかげで私たちはいま、敵対していた日米が心を一つにした歴史的場面を知ることができる。

 占領研究の名著といわれる、江藤淳の『閉された言語空間』も、米保管文書をひもといて書かれた。この2月には、当時の軍事資料を検討し、米核実験を論じた『封印されたヒロシマ・ナガサキ』が刊行された。米国立公文書館の玄関にはこう記されているという。

 「過去の遺産は将来の実りをもたらす種子である」

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 欧州の公文書館も長い歴史を持つ。専門職が各省庁の文書を管理し、文書館へ移管する。市民の出生届から、閣僚の指示メモまで扱う。

 明治期に欧米を視察した岩倉具視は、イタリアで、300年前に当地を訪れた支倉常長の手紙を発見し、その驚きを記している。公文書館は、図書館、博物館と並ぶ3大文化施設だ。しかし、明治期、なぜか公文書館だけが日本に導入されなかった。

 国立公文書館が東京・北の丸公園にできたのは昭和46年。現在の職員数は42人で、平成23年までに39人に削減される。米国2500人、カナダ660人、中国620人、英国580人、仏460人と比べると、あまりにも貧弱だ。

 公文書の移管率も0・5%。移管の判断が各省庁に委ねられているのが大きな原因だ。情報公開制度の導入後、霞が関では「疑わしきは捨てよ」とさえ言われているとか。機密に属さない文書もやたらに(秘)印が押される。統一したルールづくりは急務だが、適正な保存のためには、まず同館の“法的位置づけ”をどうするかが重要だという。

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 同館は13年から独立行政法人となった。「官僚が独法の言うことを聞くだろうか」と有識者からはため息が漏れる。

 12日に官邸で初会合を開いた有識者会議の尾崎護座長は「公文書館の権限をそぎ落としたことが過ちと気付いたら、正す気概も大事だ」と語る。「公文書館推進議員懇談会」の河村建夫議員も、「新しい役割を担うには、位置づけも施設もあまりに不十分」と強化を求める考えだ。

 電子記録をどう扱うか、文書管理の専門職をどう養成するかなど、課題は山積。未来を見渡すグランドデザインが必要だろう。菊池光興・国立公文書館長は「公文書保管は、民主主義の成熟度を示す。明日へ向かって胸を張る国になるために、整備を進めたい」と話している。

20/03/21 13:19 産經新聞

国立公文書館拡充へ有識者会議設置 「歴史資料の宝庫」次世代に
by unkotamezou | 2008-03-21 13:19 | 歴史 傳統 文化