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女性天皇論は日本解体に他ならず
■【正論】明治大学教授・入江隆則 女性天皇論は日本解体に他ならず

皇統の権威守る意味に思い致せ

《第一章に置くべき「天皇」》

 今日、日本の皇室をめぐって二つの危険がある、と私は考えている。その第一は、現憲法で第一章に置かれている天皇が、やがて制定されるはずの新憲法では、第二章に格下げされる危険である。

 読売新聞社が十年前に公表した、いわゆる新憲法の読売試案では、国民主権が第一章に登場し、天皇は哀れにも第二章に格下げされていた。昨年手が加えられた改正試案でも、この点は全く変わっていない。昨年の十一月に発表された自民党の憲法改正草案大綱でも、前文の次に第一章・総則という文章が来て、それに続く第二章に象徴天皇制が置かれている。

 また、中曽根元首相が会長を務める世界平和研究所が、今年の一月に発表した憲法改正試案では、前文に続く第一条で天皇を元首とすると書かれてはいるものの、読売試案と同様に第一章としては国民主権についての長い文章が来て、天皇についての詳細な記述は、やっとその後の第二章第六条から始まるに過ぎない。

 つまり天皇に関する記述が、第一条と第六条以下に分裂しているわけで、なぜこんな小細工をするのだろうか。

 国民主権という概念は、民主主義の根幹をなすものだから、誰も反対しないと思われるかもしれないが、近代の歴史を見ればフランス革命以来、国民主権が暴走した例は何度もある。また国民主権の名の下に圧政が行われたことも、世界各地でこれまた何度もあった。したがって国民主権はしばしば間違いを犯すものだというのが常識であって、あまり絶対視してはならない。

《感情論で判断してならず》

 一方、わが国の天皇は、日本歴史の中では朝廷と幕府という形で、権力に対する権威として位置づけられてきており、明治憲法下においても各省大臣の輔弼ほひつ輔翼ほよくという形で、その考えが生きていた。だからこそ幕末に徳川幕府が権能を失ったり、敗戦時に内閣が機能を喪失したりしたときにも、それに代わって天皇が機能したからこそ、国家は滅亡を免れたのである。

 将来もそういうことは起こり得るはずである。その場合、権威としての天皇が、名ばかりではなく真の権威として存在してこそ、国民主権を安定させ、これを制御かつ補完する機能が果たせる。そのためには、新憲法で天皇を国民主権の上位にあるものとして、第一章に位置づける必要がある。

 第二の危険はいうまでもなく、最近巷間こうかんかまびすしい女性天皇の問題である。聞くところでは、世論調査では八割近くが女性天皇に賛成という結果が出ているという。しかし、これは国民主権と同様に、世論もまた間違うものだという好例である。女性天皇容認論の背景には、現皇太子妃殿下や内親王殿下のお立場への、同情があると考えられる。しかし皇統とは、そういう感情論で判断するものではない。

 一つの王朝にとって何よりも恐るべきものは、在位している君主の正統性が疑われる事態である。フランス革命以来の近代ヨーロッパの王朝滅亡の歴史を見れば、君主の正統性への一片の疑念、わずかひとかけらの軽蔑けいべつから、一見華やかで堅固に見えた王朝が、もろくも崩壊しているのが分かる。

《正統性疑われる事の危険》

 かりに現内親王殿下が、過去に何度か例があったように緊急避難的に女性天皇として、次々世代の皇位を継がれ、民間人と結婚されてお子さまが生まれ、その方が次の皇位を継承されるような事態になれば、史上初めての女系天皇の誕生となる。

 これは残念ながら、男系で一貫してきた万世一系の皇統の中での、正統性が疑われて十分なケースとなる。この場合に問題なのは、男女同権の世の中で不合理だというような、口当たりの良い理屈にあるのではなくて、千数百年続いてきた皇統が、どんな理由にせよ切断されたという、疑い得ない事実そのものの中にある。これはやがて日本解体への道ではないだろうか。

 権威としての天皇が、権力としての幕府と共存するという権・権分離の伝統は、古代の律令で神祇官が太政官より上位にあるとされて以来のもので、戦後のマッカーサー憲法においてさえ、滅亡せずに継承されてきた。

 われわれが直面しているのは、この奇跡のような正統が切断される危険である。昭和二十二年に皇籍離脱された旧皇族の復活によって、それを防ぐ方策が今ならまだあるのだとすれば、次世代に難題を残すよりも、この際それを選ぶべきときだと言っておきたいと思う。

(いりえ たかのり)

http://www.sankei.co.jp/news/050221/morning/seiron.htm
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by unkotamezou | 2005-02-21 06:00 | 皇室