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天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの一年のご動静

会見年月日:平成十九年十二月二十日
会見場所 :宮殿 石橋の間

問一 今年は、食品の虚偽表示を発端とする「食」への不安、年金や社会格差の問題など、暮らしの安全が脅かされた一年でした。こうした様々な社会情勢について、陛下の思いをお聞かせください。

天皇陛下

 生活の基本である食と住に関して一昨年から今年にかけて国民に不安をもたらすような事情が明らかになったことは残念なことです。

 年金の問題については、戦後の復興と、その後の国の発展を目指し、一生懸命まじめに働いてきた人々が、高齢になって不安を持つことがないように、この問題が解決の方向に向かっていくことを願っています。

 社会格差の問題については、格差が少ない方が望ましいことですが、自由競争によりある程度の格差が出ることは避けられないとしても、その場合、健康の面などで弱い立場にある人々が取り残されてしまうことなく社会に参加していく環境をつくることが大切です。また、心の中に人に対する差別感を持つことがないような教育が行われることが必要と思います。

 過去を振り返り、公害によって健康の被害を受けた人々のことを考えるとき、当時はこのような問題に対する安全の問題が国民の間に十分に理解されず、被害者を苦しめてきたことが思い起こされます。多くの国民にこのような事態が少しでも早く知らされていたならば、被害を受けないで済んだ人も多かったのではないかと返す返すも残念に思っています。

 近年、生活の安全性に関し、国民が深い関心を抱くようになったことが、耐震構造の不備なども含め、安全性への危険を明らかにする上に寄与したことと思います。国民の安全を守るため、関係者の努力を望むことはもちろんのこと、国民全体がこの問題に関心を持ち、皆の協力の中で安心して生活を営むことができるよう願っています。

問二 ご家族についてお聞きします。病気療養四年目の皇太子妃雅子さまは地方への泊まりがけ公務を再開するなど活動の幅を大きく広げられました。四人のお孫さまも健やかに成長されているようです。嫁がれた黒田清子さんも幸せな結婚生活を送られているものとお聞きしています。それぞれのご様子について、陛下はどのように見守っていらっしゃいますか。具体的なエピソードを交えてお聞かせください。

天皇陛下

 私は、家族が、それぞれに、幸せであってほしいと願っており、それを見守っていきたいと思っています。

 今年の欧州訪問前の記者会見で、私は皇太子時代の外国訪問に触れ、「名代という立場が各国から受け入れられるように自分自身を厳しく律してきたつもりです。このような理由から、私どもは私的に外国を訪問したことは一度もありません。現在、皇太子夫妻は名代の立場で訪問することはありませんから、皇太子夫妻の立場で、本人、政府、そして国民が望ましいと考える在り方で、外国訪問を含めた交流に携わっていくことができると思います。」という話をしましたが、一部に、これを皇太子一家のオランダでの静養に対して苦言を呈したものと解釈されました。これは、私の意図したところと全く違っています。

 国賓に対する昭和天皇の名代としての私どもの答訪は、私どもの二十代のときに始まり、昭和天皇、香淳皇后の欧州と米国ご訪問を除き、昭和の時代は続けられていました。名代としての答訪の場合、相手国は天皇が答訪するものと考えているところを私が訪問するわけですから、自分自身を厳しく律する必要がありました。しかしながら、平成になってからは、名代による答訪は行われなくなったので、皇太子夫妻は、様々な形で外国訪問を含む国際交流にかかわっていくことができるようになったわけです。私は、このようなことを、記者会見で述べたのであって、決して皇太子一家のオランダ静養に苦言を呈したのではありません。なお、私は去年の誕生日の記者会見で、オランダでの静養について質問を受け、医師団がそれを評価しており、皇太子夫妻もそれを喜んでいたので、良かったと思っている旨答えています。

 このように私の意図と全く違ったような解釈が行われるとなると、この度の質問にこれ以上お答えしても、また私の意図と違ったように解釈される心配を払拭することができません。したがってこの質問へのこれ以上の答えは控えたく思います。

問三 生物学者でもある陛下は、外国賓客との懇談で温暖化を話題にされることも多いようですが、自然・環境をめぐる諸問題をどう見ておられますでしょうか。今年は陛下の国民と自然を分かち合いたいとのご意向で、皇居・吹上御苑で初めて自然観察会が開かれたほか、那須御用邸の一部が環境省に所管替えされることが決まりました。一方、十一月の式典のお言葉で、陛下はブルーギルの異常繁殖に触れられました。こうした自然財産の共有、式典でブルーギルに触れた発言をされるにいたった思いもお聞かせください。

天皇陛下

 地球温暖化について最近アジア・太平洋水サミットへ参加されたミクロネシア大統領、ツバル首相からは海面上昇の問題、タジキスタン大統領からはパミール高原の氷河の後退の話がありました。今年の東京は暖冬で、初めて雪が観測されたのは三月十六日ということでした。明治十年の統計開始以来最も遅い初雪とのことです。このように世界各地で温暖化の問題が起こっており、今後人々の生活に様々な影響を与えていくことが心配されます。現在世界各地で環境に対する関心が高まり、良好な環境の下で人々が暮らせるよう、国境を越え、また様々な分野の人々が協力し合う状況が作られつつあることは誠に心強いことです。世界の国々が協力して地球環境を少しでも良い方向に進めていくことを願っています。

 吹上御苑の自然観察会は吹上御苑を中心とした皇居の生物相を平成十二年の時点で記録するという科学博物館の生物相調査の結果に基づいて行われました。この調査は動物では八年から十二年まで、植物では九年から十二年まで行われ、動物群の中には十八年まで続けられたものもありました。自然観察会ではこの調査をされた研究者が解説に当たられ、調査のときに見いだした知見を観察会の参加者に伝えられました。このことは参加者にとって意義深いものであったのではないかと思います。

 那須御用邸附属地の調査は栃木県立博物館により九年から十三年にかけて行われ、その翌年に「那須御用邸の動植物相」という報告書が出版されました。この度の環境省への移管はこの調査を踏まえた上で行われました。環境省へ移管された地域が国立公園の一部として訪れた人々の自然への理解や関心を深める上に意義あるものとなればうれしいことです。この地域には炭焼きによる伐採を免れたブナが林になっており、調査した研究者と見に行ったことが印象に残っています。

 ブルーギルのことですが、ちょうど三十年前の昭和五十二年、淡水魚を専門にしておられた国立科学博物館の中村守純博士と淡水魚保護協会の木村英造氏とお話したことが、淡水魚保護協会の雑誌「淡水魚」に載せられ、その中でブルーギルのことにも触れています。琵琶湖にブルーギルが入ったのは、淡水真珠をつくるイケチョウガイの養殖のために貝の幼生が寄生する寄主としてブルーギルを使いたいということで、水産庁淡水区水産研究所から滋賀県水産試験場に移されたものが琵琶湖に逃げ出したことに始まります。当時ブルーギルを滋賀県水産試験場に移すという話を聞いた時に、淡水真珠養殖業者の役に立てばという気持ちも働き、琵琶湖にブルーギルが入らないようにという程度のことしか言わなかったことを残念に思っています。

 三十年前には釣った魚は食べることが普通でした。したがってブラック・バスやブルーギルを釣る人が多ければ、繁殖は抑えられ、地域の淡水魚相に変化をもたらすことはないと考えていましたが、現在は釣り人の間にキャッチ・アンド・リリースの習慣が浸透し、釣った獲物を食べるのではなく、そのまま放すことになったため、ブラック・バスやブルーギルが著しく繁殖するようになってしまいました。キャッチ・アンド・リリースということがこのように一般化するとは、考えてもいませんでした。ブラック・バスもブルーギルもおいしく食べられる魚と思いますので、食材として利用することにより、繁殖を抑え、何万年もの間、日本で生活してきた魚が安全に育つことができる環境が整えられることを願っています。この目的に沿う釣り人のボランティア活動にも大きな期待が寄せられます。

 なお、豊かな海づくり大会の式典で、琵琶湖水系でニッポンバラタナゴが絶滅したことを述べましたが、ニッポンバラタナゴは日本の淡水魚の中で最も絶滅の危機にあるものと思います。それは、中国から移入された体の大きいタイリクバラタナゴとの生存競争において、ニッポンバラタナゴは弱い立場にあることと、ニッポンバラタナゴとタイリクバラタナゴとの間では雑種ができるからです。したがってニッポンバラタナゴのいる池に一尾でもタイリクバラタナゴが入れば、その池のニッポンバラタナゴの純粋性は保てません。現在純粋なニッポンバラタナゴが住んでいるところは、タイリクバラタナゴのいない閉鎖水域だけになってしまいました。誠に厳しい状況にあると言わなければなりません。タイリクバラタナゴは美しい魚ですので、水槽で飼い、その後池や川に放したことにより、各地にタイリクバラタナゴが繁殖するようになったのではないかと思われます。ニッポンバラタナゴはこのような危険な状態にあるので、タイリクバラタナゴが放される心配のないところで飼育することが必要と考え、大阪府八尾市産のニッポンバラタナゴは赤坂御用地内の池で、福岡県多々良川産のニッポンバラタナゴは常陸宮に頼み、常陸宮邸内の池で、それぞれ昭和五十八年以来飼育され、ニッポンバラタナゴ研究会が随時調査をし、また研究に用いています。

 日本は大陸と離れていた期間が長く、日本の中には琵琶湖のような古い湖、本州などと長い間隔離されていた島々があり、非常に多くの固有の生物が住んでいます。このような生物が今後とも安全に過ごせるよう日本人皆で守っていきたいものと思います。

関連質問 この二年ほどの間に昭和天皇の側近の日記などが相次いで世に出ております。昨年の富田日記に続きまして、今年は卜部侍従日記が公表されました。この富田日記と卜部日記の中に、昭和天皇が当時の入江侍従長に書き取らせた拝聴録の話が出ております。入江侍従長自身も日記の中で、再三拝聴録について触れております。拝聴録、確かに存在したと見られるのですが、陛下はこれを御覧になったことがございますでしょうか。また現在お手元にあるとも言われておりますが、それについてはいかがでございましょうか。

天皇陛下

 それは見たことがありません。

記者 現在、お手元にもないということでございましょうか。

天皇陛下

 無いと思います。少なくとも私が知っているところには無いということです。


この1年のご動静

 天皇陛下はこの一年、ほぼ毎週二回国事行為にかかわるご執務として、内閣よりの上奏書類等に署名や押印をなさり、その数は千五十一件に上りました。宮殿では、恒例の講書始の儀及び歌会始の儀にご臨席になり、親任式(内閣総理大臣)、認証官任命式(百二十六名)、信任状捧呈式(二十九名)、勲章親授式、また、勲章・褒章受章者、医療功労者、矯正職員、自衛隊統合幕僚幹部等の拝謁、内閣、最高裁判所長官、検事総長、会計検査院長、知事等との午餐、文化勲章受章者・文化功労者、新認定重要無形文化財保持者等とのお茶、日本青年海外派遣団員、人事院総裁賞受賞者等のご接見などを含む多くの行事に臨まれたほか、日本銀行総裁、各省事務次官等のご進講をお受けになりました。

 本年は三月にスウェーデン国王王妃両陛下が、十一月にはベトナム主席夫妻が国賓として来日され、両国賓を宮殿にお迎えになり、歓迎式典に臨まれ、宮中晩餐を催されました。また、公式実務訪問で来日したチリ大統領及びモザンビーク、チェコ、モンゴル、ナミビア、スリランカの大統領夫妻のために午餐を催されたほか、キリバス大統領夫妻等訪日した外国の元首や、首相、国会議長、最高裁判所長官等の賓客を宮殿にてご接遇になりました。そのほか新任の外国大使夫妻を招かれてのお茶、日本滞在が三年を超える外国大使夫妻のための午餐、離任する外国大使夫妻のご引見を行われました。

 御所では、恒例の日本学士院会員、日本芸術院会員、青年海外協力隊帰国隊員・日系社会青年ボランティア、シニア海外ボランティア・日系社会シニアボランティア、国際交流基金賞及び同奨励賞受賞者等とのお茶やご接見があり、外国から帰国した大使の帰朝報告、外務省総合外交政策局長によるご進講、各種の行事に関する事前のご説明等をお受けになりました。自然災害との関係では、石川県知事による能登半島地震被災状況についてのご説明、新潟県知事による新潟県中越沖地震被災状況についてのご説明をお受けになりました。

 また、ブルネイ国王陛下及びモナコ大公アルベール二世殿下を始め外国の王族の方々をおもてなしになりました。

 都内では、例年のごとく、国会開会式に臨まれ、また、両陛下にて全国戦没者追悼式を始め、日本国際賞、国際生物学賞、日本学士院賞及び日本芸術院賞の授賞式に臨まれたほか、第一回みどりの式典、原子核物理学国際会議INPC2007開会式、民生委員制度創設九十周年記念全国民生委員児童委員大会、地方自治法施行六十周年記念式典、日本遺族会創立六十周年記念式典にご臨席になりました。また、第三十九回日展へのお出まし、国際連合大学ご視察など各種のお出ましがありました。

 こどもの日、敬老の日、障害者週間に当たっては、本年も、両陛下にてそれぞれの関係施設をご訪問になり、入所者及び関係者をお励ましになりました。また、天皇陛下は例年どおり企業をご視察になりました。

 地方行幸啓は、一道一府八県にわたり、この一年間にご訪問になった市町村は十七市八町一村でした。両陛下は、第五十八回全国植樹祭(北海道)、第六十二回国民体育大会(秋田県)、第二十七回全国豊かな海づくり大会(滋賀県)にご臨席になり、天皇陛下は夏に開催された第十一回IAAF世界陸上競技選手権大阪大会において開会宣言をなさいました。また、これらの機会に各地で福祉、文化施設をご訪問になりました。本年八月、両陛下はヘリコプターを利用して九月に発生した新潟県中越沖地震被災地を視察され、現地において被災者をお見舞いになり、復興尽力者をおねぎらいになりました。また、十月には、平成十七年に発生した福岡県西方沖地震の被災者ご訪問と災害復興状況ご視察のため福岡市を訪問され、市内に設けられた応急仮設住宅前で被災住民とご懇談になったほか、船で玄界島に渡られて現地の被災住民ともご懇談になり、復興尽力者をおねぎらいになりました。

 両陛下はかねてから、へき地における医療のことを心にかけてこられましたが、今月、地域医療に責任を持つ全国の都道府県が共同で設立した自治医科大学(栃木県)をご視察になり、へき地医療を経験した卒業生をねぎらい、教員、学生等とご懇談になりました。

 天皇陛下は本年五月、皇后陛下とご一緒に、今年がリンネの生誕三百年に当たることから、リンネと関係の深いスウェーデンと英国からのご招待により、それぞれの国での記念行事にご出席のため、両国を公式訪問され、また、この機会に、エストニア、ラトビア、リトアニアを公式訪問されました。特に英国では、ロンドン・リンネ協会主催のリンネ生誕三百年記念行事において「リンネと日本の分類学」と題する基調講演を英語でなさいました。この講演の要旨は英国の科学専門誌「ネイチャー」に掲載され、また、日本語は、「日本学士院紀要」に掲載されました。なお、天皇陛下は昭和五十五年にロンドン・リンネ協会より五十名を定員とする外国会員に選ばれ、昭和六十一年からは名誉会員になっておられます。

 天皇陛下は例年のとおり、生物学御研究所の田で稲の種籾のお手まき、お田植え、お手刈りをなさいました。神嘗祭に際しては、お手植えになった根付きの稲を神宮にお供えになり、また、新嘗祭には、お手刈りになった水稲及び粟を神嘉殿の儀にお供えになりました。

 宮中祭祀は、新嘗祭及び四方拝を除き本年は賢所仮殿にて行われましたが、恒例の祭典のほか、武烈天皇千五百年式年祭、文武天皇千三百年式年祭、堀河天皇九百年式年祭など祭祀三十八回にお出ましになりました。

 本年の皇居勤労奉仕団、賢所勤労奉仕団、献穀者ご会釈は五十五回ありました。

 天皇陛下は、お忙しいご公務の合間にハゼのご研究をなさっています。

 天皇陛下は、前立腺摘出手術後、引き続きホルモン療法を受けておられますが、毎日早朝には皇后陛下とご一緒にご散策をされ、日曜日には陛下のご運転で東御苑にお出ましになり本丸や二の丸などをお歩きになっています。ご公務のない週末や休日には両陛下にてテニスなどのご運動をなさっておられます。

 天皇陛下は十二月二十三日、七十四歳のお誕生日をお迎えになります。

 当日は、午前九時に賢所仮殿における天長祭の儀のご拝礼をお済ませの後、午前は皇族方を始めとし、六回にわたり祝賀をお受けになり、また皇族方とお祝酒を共にされます。なお、この間三回にわたり長和殿ベランダに立たれ国民の参賀におこたえになります。午後は、三権の長の祝賀、三権の長、閣僚、各界の代表等との宴会に臨まれ、その後、元側近奉仕者等との茶会、次いで外交団を招かれての茶会の後、御所に戻られ侍従職職員から祝賀を受けられます。

 夕方には、非公式に未就学のお孫様のご挨拶を受けられ、この日の最後の行事であるご進講者、ご関係者との茶会に臨まれた後、皇后様、お子様方とのお祝御膳をおとりになります。

天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの一年のご動静
by unkotamezou | 2007-12-23 08:00 | 皇室