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奈良・河原寺跡で礎石確認
天武天皇の経蔵か 奈良・河原寺跡で礎石確認

 奈良県明日香村の川原寺跡(国史跡)で、7世紀後半(飛鳥時代)とされる創建時の礎石が新たに見つかり、奈良文化財研究所が20日、発表した。

 既に確認した中金堂、講堂の2棟に挟まれ、文献などから経蔵と鐘楼が東西に並んでいたと想定される位置で、673年に天武天皇が写経を始めさせたと日本書紀にある一切経などを納めた経蔵の可能性がある。

 法隆寺(同県斑鳩町)に8世紀の経蔵が現存するが、経蔵や鐘楼の遺構としては最古といい、同研究所は「飛鳥寺など7世紀の官寺で、経蔵や鐘楼の遺構を確認したのは初めて。古代寺院の伽藍(がらん)建築を考える上で重要な発見」としている。

 コの字形に6個並び最大の石が縦1.4メートル、横1.6メートル。柱を据える中央部を直径約1メートルの円形に削り出していた。

 配置などから建物の東半分で全体は東西4.2メートル、南北6.3メートルあったと判断。建物を囲むように凝灰岩が埋め込まれているのも判明した。

 同研究所は東西9.6メートル、南北11.7メートルの基壇の縁飾り部分だったと推定し「柱の位置に比べ、基壇が広い。軒が張り出した立派な建物だっただろう」としている。

 現地見学会は22日午前9時から。

≪良質の経典あったはず≫

 和田萃京都教育大教授(古代史)の話 川原寺は飛鳥地域で最も格式のある寺。見つかった遺構が経蔵なら、質の良い経典がずいぶんたくさんあったはずだ。遣隋使小野妹子に従い留学、国博士になった僧旻の死後、孝徳天皇が川原寺に菩薩(ぼさつ)像を安置したと日本書紀にある。旻が持ち帰った経典も納めたのではないか。経蔵の規模から、経典の数などを割り出せたら興味深い。

 ■川原寺 奈良県明日香村川原にあり、斉明天皇の川原宮に、子の天智天皇が母の冥福を祈り創建したとする説が有力。奈良時代まで飛鳥寺などと並ぶ大寺だったが室町時代に全焼、衰退した。跡地を1921年に国史跡に指定。中金堂や講堂、湯屋で使ったとみられる鉄釜の鋳造工房遺構などが見つかっている。現在は真言宗の寺で江戸時代の再建。弘福寺。

http://www.sankei.co.jp/news/050220/bun067.htm
(02/20 18:27)
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by unkotamezou | 2005-02-20 18:27 | 歴史 傳統 文化