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名護屋城の本丸御殿明らかに 大阪城に匹敵

 唐津市鎮西町の国特別史跡・名護屋城跡を発掘調査している県立名護屋城博物館は30日、「本丸御殿」とみられる12棟の大規模な建物群の遺構を確認、ほぼ全容が明らかになったと発表した。本丸御殿は豊臣秀吉が朝鮮出兵などに関する公務を行った同城の中枢部で、桃山時代の御殿の遺構の全体像が解明されたのは全国で初めて。同日開かれた保存整備委員会で、同博物館は「名護屋城が大阪城に匹敵する規模と格式を備えた城だったことが裏付けられた」と報告した。

 本丸御殿の発掘調査は平成8年度から始まり、2年間で2つの建物の遺構を確認。平成16年度に再開した調査で10棟の建物跡を次々に発見した。建物群の広さは南北約65メートル、東西約70メートルで、12棟のうち10棟が廊下などで連結しているのが確認されている。最も南側にある最大の建物は約300畳敷きの広さを持ち、秀吉が各大名と接見した「御対面所」と推測される。

 築城当時の名護屋城を描いたとされる「肥前名護屋城図屏風」には、本丸部分に檜皮(ひわだ)ぶき、入母屋(いりもや)造りの格式高い建物が10棟程度密集して描かれており、大規模な御殿の存在を示す。遺構と現存する大阪城の本丸御殿の図面との類似点が多いことから、同博物館は御殿の南東側が御対面所など公的な施設、天守台に近い北西側が秀吉が日常生活を送った私的な建物だったと推測する。

 また「肥前名護屋城図屏風」には茅ぶきの質素な建物も描かれていることから、同博物館は茶室や庭園など遊興的な空間も存在した可能性があると指摘。「発掘調査を進めれば、新たな遺構が見つかる可能性は高い」と話す。

 元文化庁主任文化財調査官で保存整備委員会長の河原純之氏は「大阪城に匹敵する御殿の構造で、予想以上の成果。秀吉が造った城の中で御殿の遺構が見つかっているのは名護屋城だけで、価値は非常に高い」と評価する。

平成19年12月01日 佐賀新聞

名護屋城の本丸御殿明らかに 大阪城に匹敵
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by unkotamezou | 2007-12-01 21:13 | 歴史 傳統 文化