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ロシア人元スパイ「日本はアジアのソ連化防いだ」
 第二次大戦当時、日本の特務機関で反ソ連謀略活動を行っていたロシア人の元諜報(ちょうほう)員が、産経新聞のインタビューに応じた。「日本のスパイ」は終戦後、ソ連軍に捕まり、強制労働など苦難の人生を歩んだが、日本を心の支えにして生きのびた。「日本軍がいなかったら、東アジアはロシアのものとなっていただろう」。東アジアの“ソ連化”と戦った日本は、老兵にとっていまも誇りだった。(モスクワ 内藤泰朗)

 この元諜報員は、モスクワ南東約400キロのタンボフに住むウラジーミル・ゴリツォフ氏(90)。日本名は「ゴトウ」。同氏を訪れると「ヨクキテクレマシタ」と日本語で出迎えてくれた。日本語を使うのは60年ぶりだという。

 ゴリツォフ氏はロシア革命の前年、極東ウラジオストクでホテルなどを営んでいた企業家の一人息子として生まれたが、ボリシェビキ革命政権による富裕層弾圧が強まった1929年夏、ソ連を脱出し、満州に移民。日本の特務機関に加わり、対ソ連諜報・破壊工作を目的に創設された浅野部隊で反ソ連工作に当たってきた。

 「ロシアが(ソ連の独裁者)スターリンの赤い鉄のくびきから解き放たれ、元に戻ると信じていた」

 そう語るゴリツォフ氏は、ロシア語のラジオ放送や無線を傍受し、ソ連軍の脱走将兵から軍の配置などの情報を収集し日本語に翻訳する任務に当たっていたほか、国境を越え、ソ連で反革命運動の扇動や反ソ連勢力への武器搬入も行った。

 ソ連が1945年8月に対日参戦すると、特務機関は解散し、資料は燃やされた。日本軍は協力していた白軍(帝政ロシア支持派)らロシア人たちを南に逃がそうとしたが、ゴリツォフ氏らを乗せた列車は赤軍(革命軍)に止められ、逮捕後、モスクワに送られた。

 「(当時、関東軍情報部長だった)秋草俊少将は、自分たちより私たち外国人をまず逃がそうとした。その場ですぐに銃殺されなかったのは、白軍の指導者たちが一緒だったため、日本の情報収集に役立つと思われたのかもしれない」。ゴリツォフ氏はこう指摘した。

 しかし、生き残った同氏を待ち受けていたのは、強制収容所(ラーゲリ)だった。シベリアや極北の炭坑などを転々とした。日本軍幹部が戦後、抑留されていたウラジーミルのラーゲリでは、先の秋草氏とも再会した。

 スターリンの死後、ラーゲリから解放。しかし「日本のスパイ」という過去は就職の妨げとなった。肉体労働など、きつい仕事ばかりの苦しい生活だったが「日本」は常に誇りだった。

 「日本がなかったら、極東は完全にソ連化されていただろう。日本のおかげで、アジアはソ連化されなかったと言っても過言ではない。日本はその事実を誇りに思うべきだ」と語った。

 一方、北方領土問題については「4島は、いかなるときもロシアの領土となったことはない。ソ連が北方領土を占拠したのは歴史的な誤りであり、わが国最大の恥辱だ」と強調した。

 半世紀以上を経たいまも、「ロシア国民の敵」のレッテルをはられたままだが、一昨年の戦勝60周年には、タンボフ市から退役軍人を称賛する記念メダルが贈られた。「ブラックユーモアかと思った」と、笑ってみせた。

19/04/09 04:02

ロシア人元日本スパイ「アジアのソ連化防いだ」
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by unkotamezou | 2007-04-09 04:02 | 國防 軍事