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昭和天皇侍従の日記発見 戦時下の率直な思い
昭和天皇侍従の日記発見 戦時下の率直な思い

 日中戦争中の昭和14年5月から終戦の20年8月までの昭和天皇の肉声がつづられた当時の侍従、故小倉庫次元東京都立大法経学部長の日記が関係先から見つかったことが9日分かった。10日発売の月刊誌「文芸春秋」4月号に掲載される。「戦争はやる迄は深重に」「戦争はどこで止めるかが大事なことだ」と昭和天皇が側近に語られた戦時下の率直な思いがつづられている。

 日記は、宮内省(当時)の用紙約600枚分に及ぶ。

 14年7月5日、満州事変を主導した石原莞爾陸軍少将らを栄転させる人事を説明するため、板垣征四郎陸相が天皇に面会。その直後の様子が「陸軍人事を持ち御前に出でたる所、『跡始末(あとしまつ)は何(ど)うするのだ』等、大声で御独語遊ばされつつあり。人事上奏(じょうそう)、容易に御決裁遊ばされず」と記述されており、陸軍への強い不満が吐露されている。

 日中戦争への思いも赤裸々だ。「支那が案外に強く、事変の見透しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(15年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止(や)めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明」(16年1月9日)。

 日米開戦直後の16年12月25日には「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処(ところ)なれば支障なからむ」と語り、戦況の優勢に気を良くされている様子がうかがえる。

 戦争に対する思いが最も表現された“肉声”は、17年12月、伊勢神宮参拝後に京都に立ち寄られた際のもの。

 「(戦争は)一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満州事変で苦い経験を嘗(な)めて居る。(中略)戦争はどこで止めるかが大事なことだ」「支那事変はやり度(た)くなかった。それは、ソヴィエトがこわいからである」「戦争はやる迄は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」と戦争へのさまざまな悩みへのご言及が書かれている。

 また、葉山御用邸(神奈川県)で水泳をした際、「時局柄、水泳しても宜(よろ)しきやとの御訊(おたず)ねあり」と、戦時下に自身の贅沢を慎まれていた様子もつづられている。

 宮内庁によると、小倉元侍従は9年3月、宮内省に入省。日記が始まる14年5月から20年6月まで侍従を務め、宮内省庶務課長などを経て、22年4月に退官した。

 昭和史に詳しい秦郁彦・元千葉大教授(日本現代史)の話「昭和天皇の非戦・平和志向はこれまで明らかになった史料と同様で、終戦直前に侍従を離れたため、その時期の記述があまりないのは残念だが、天皇がふともらした片言隻句を丹念に拾っていて興味深い内容だ。側近のこのような証言が集まれば精彩ある昭和史像が浮かび上がってくるだろう」

(2007/03/09 11:28)
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by unkotamezou | 2007-03-09 11:28 | 皇室