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「運命の日」目前に魂の生還 帝国海軍の潜航艇
「運命の日」目前に魂の生還 旧帝国海軍の潜航艇

2006-12-02 15:03

 今月8日は、わが国が先の大戦に突入してから65年にあたる。「運命の日」を1週間後に控えた1日、オーストラリアで60年以上も行方不明になっていた旧帝国海軍の特殊潜航艇が確認された。もしかしたら、艇内には乗組員の遺体があるかもしれない。長い時をへて発見された潜航艇は、われわれに何を語りかけるのだろうか。

 潜航艇は、シドニー北部沿岸から約5・6キロ離れた深さ約70メートルの海底から見つかった。今年11月半ばに地元のアマチュアダイバーが見つけ、オーストラリアの民間テレビが11月26日、その映像を放映し、オーストラリア海軍が確認作業を行っていた。

 共同通信によると、オーストラリアのキャンベル環境・自然文化遺産相が1日、この潜航艇について、戦争初期のシドニー湾攻撃に参加した旧日本軍の特殊潜航艇と確認されたことを明らかにした。


 この潜航艇は1942(昭和17)年5月31日夜、連合軍艦船を攻撃するため、シドニー湾に入った潜航艇3隻のうちの1隻だ。魚雷を発射、追撃を振り切った後、行方不明となっており、64年ぶりに所在が確認されたことになる。

 潜航艇には当時、伴(ばん)勝久(かつひさ)中尉(23)=愛知県出身=と芦辺(あしべ)守(まもる)1等兵曹(24)=和歌山県出身=が乗っていた。艇内には破壊用の爆弾2発が残っている可能性があり、非常に危険だという。

 キャンベル氏は声明で「乗組員の行方はまだ解明されていない。日本政府と協力し、すべての問題が慎重に取り扱われるようにしたい」と述べており、オーストラリア政府は潜航艇を引き揚げるかどうかを日本政府と協議していくことになる。


 伴中尉と芦辺1等兵曹の遺体は果たして艇内にあるのだろうか。

 潜航艇は旧帝国海軍の潜水艦を母艦としていた。3隻はシドニー湾外約30キロの海中から発進し、ほかの2隻には松尾敬宇大尉と都竹正雄2等兵曹、中馬兼四大尉と大森猛1等兵曹がそれぞれ乗っていた。3隻はシドニー湾を目指したが、松尾艇は故障で魚雷発射が不可能となり、2人は自決。中馬艇は防潜網に絡まり、動きが取れなくなって自沈した。

 今回、見つかった伴艇は湾内に進入し、魚雷2発を発射。1発が岸壁にあたり、停泊していた軍用フェリーが沈没。イギリスとオーストラリアの水兵21人が死亡した。伴艇は脱出に成功したが、行方不明になっていた。

 松尾艇と中馬艇の2隻は直後にオーストラリア海軍によって引き揚げられた。当時のグルード海軍少将が「こうした軍人の勇気は国境を越えて認められるべきだ」と海軍葬を行うことを決定。6月9日に海軍葬が行われた後、遺体は日本に送り届けられた。

 オーストラリアの首都・キャンベラにある戦争記念館は引き揚げた2隻の潜航艇を組み合わせて1隻に復元し、展示している。
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by unkotamezou | 2006-12-02 15:03 | 國防 軍事