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秋篠宮さま誕生日会見
≪秋篠宮さま誕生日会見(11/29)全文≫

--両殿下におうかがいいたします。12年ぶりとなったご出産は、部分前置胎盤のために帝王切開となるなど、大変なご心配、ご苦労があったことと思います。悠仁さまが無事誕生された際、どのようなことを思われたのか、またご懐妊を知られたときや前置胎盤であるとお知りになった時のお気持ち、ご入院中に天皇、皇后両陛下や眞子さま、佳子さまがお見舞いに来られた際のことなど、ご出産にまつわるご感想を、エピソードを交えてお聞かせ下さい。また出産を終えられたいま、4人目のお子さまについて思われることなどを、あわせてお聞かせください。

秋篠宮さま

 9月6日にですね、長男、悠仁が生まれたわけですけれども、まずは無事に生まれて良かったということ、そして、そうですね、12年ぶりになりますので、私にとっては、私たちですね、久しぶりの赤ちゃんということなわけですけれども、大変その意味で新鮮な印象を受けました。部分前置胎盤ということで、早い、比較的早い時期から入院をしたわけですけれども、近年は医療が非常に発達しておりますので、その意味でですね、必要以上に心配することはなかったと思います。入院中のエピソードなどについてはそちらから。

紀子さま

 入院中には両陛下のお見舞いをたまわり、心和む時間を過ごすことができまして、大変幸せでございました。娘2人が誕生した、2人のときと同じように、折々に身重の私をお優しく、お気遣いくださり、また、前置胎盤であることをお知りになられ、ご心配いただき、いたわっていただきましたことに深く感謝申し上げます。

 また、宮さまも私が入院している間、また、入院する前、久しぶりに経験する出産、そしてそれに加えて前置胎盤であること、そのような中で不安を持っている私を、冷静にまた優しく支えてくださり、必要な医学的な事柄をわかりやすく話してくださり、大変うれしゅうございました。

 また、娘たちの見舞いについてですけれども、ちょうど私が病院に入院していたときは、学校が夏休みだったこともあり、宮さまと一緒に、あるいは、それぞれ都合の良い折に、よく来てくれました。眞子は、私が楽しみにしていたオーストリアの滞在の話を、生き生きと話してくれ、鑑賞した音楽会のパンフレットをみせたり、オーストリアで求めた音楽のCDを一緒に聴いたりしました。佳子はほぼ毎日こちらを訪ね、私の傍らで、学校の夏休みの宿題をしたり、留守にしていた家で、私がいなかったときの家の様子やスケートの練習について、楽しそうに話してくれました。

秋篠宮さま

 子供たちのなかでも、とくに下の、今は下のっていってはいけないのですね、二女の佳子にとってはですね、母親と長く一緒にいられる時間がとてもうれしかったみたいですね。ですから、足繁く通って、それで病院で宿題していたんでしょうね。

紀子さま

 はい。

秋篠宮さま

 それで、上の眞子につきましては、佳子ほど長く、頻繁に行くということはなかったと思いますけれども、その分ですね、私との会話の時間が多くなりまして、その意味でいい親子交流ができたと思っております。そんなところでしょうかね。

紀子さま

 子供が無事に誕生したとき、ほっといたしました。あわせて両陛下をはじめ、今年の春から出産まで励まし支えてくださった多くの方々、医療関係者や家族に感謝の気持ちでいっぱいになりました。2人の娘たちのときの誕生を思い出しながら、家族に新たに1人を迎える喜びと、誕生する幼子への愛しさと、あっ、誕生したですね、誕生した幼子への愛しさと、命をはぐくむことの重さを再び感じました。3番目の子供を授かったことを知らされたとき、娘2人のときと同じように、うれしい気持ちと無事の誕生を祈る気持ちを抱きました。

 お見舞いについては、先ほどお話しいたしましたので、最後に、入院中、手厚い医療と看護を受けながら、心穏やかな時間を家族と持つことができました。そのことにより、前置胎盤の気がかりを自分一人で抱えるのではなく、家族とともに、不安な気持ちも新しい命を迎える喜びも家族とともに一緒にあることと思い、無事に一日一日が出産日に近づいていくことを感謝しつつ、過ごすことができました。

秋篠宮さま

 第4子についてですけれども、それについては今は考えておりません。

--両殿下にお尋ねします。ご一家に新たに加わられた悠仁さまは、両殿下にとって初めての男のお子さまであるとともに、天皇、皇后両陛下にとっても、初めての男のお孫さまであります。初めての経験となる男の子の教育と、男子皇族としての悠仁さまの今後のご成長について思われることを、悠仁さまのご様子とあわせて、お聞かせください。

秋篠宮さま

 私たちにとって、男の子は今まで経験がないことですので、どのような経緯をたどって成長するのか、わかりません。ただ、基本的にはですね、長女、二女と同じように接するつもりでおります。今の段階で、言えますのは、そうですね、元気に育ってくれることを願っているということです。最近の悠仁の様子ですけれども、よく眠って、よく泣いて、よく笑っている、といったところです。よくあれね、お乳も飲んでますね。

紀子さま

 悠仁は来月の上旬には3カ月になります。よく眠っていた、眠ることが多かった悠仁も、日に日にめざましく成長し、宮さまや娘たちが抱いて話しかけると、それに応えるようにほほえみ、かわいい声や元気な声を立てるようになってまいりました。また、部屋の様子、遊ぶものをじっとみたり、動くものに関心を示し、目で追うことができるようになってきました。宮さまが弾かれるギターの音色を聴きながら、満ち足りた表情でうとうとしていることもあります。

 また、夕方、学校から帰宅した娘たちが、悠仁の様子を見に来て、目を見つめて、「かわいい」と喜び、それぞれにできる世話をしてくれるので大変助かります。悠仁を囲みながら、家族でにぎやかに過ごしているとき、10年以上も前、幼い娘たちを夢中になって育てながら、仕事をしていた若いころを思い出します。中学生と小学生になりましても、宮さまと私に多くの楽しみと喜びを与えてくれます。

 そして、今、家族5人の日々が始まっていることに感慨を覚えます。これからのことについてでございますが、悠仁は誕生してからまだ2カ月しかたっていなく、今は心身ともに健やかに成長していけるように見守っていきたいと思います。以前にもお話しいたしましたが、小さいときから基本的な生活習慣を学ぶことは非常に大切であると思います。たとえば、あいさつや感謝の心などでしょうか。また、両陛下をはじめ、周りの方々のご意見をうかがいながら、必要なことは追って、時を追って、私たちもともに学びたいと考えております。

 一つちょっと忘れてしまった、先ほどの1番目の質問で、ちょっと答えるのを忘れてしまったんですけれども、よろしいでしょうか。

秋篠宮さま

 よろしいんじゃないですか。

紀子さま

 申しわけございません。あの確か、前置胎盤ということを知らされたときはという質問をちょっと答えるのを忘れてしまいましたので。

 前置胎盤であるとの診断を医師より受けたとき、出産の経験が2回ありながらも、前置胎盤をはじめ、妊娠、出産に伴う、ほかのさまざまな医学的な心配事について、一般向けの医学書を読んで得た情報しか持っていないこと、知らないことに気がつきました。前置胎盤は安静にしながら経過を見ていくことが大事であること、安静にしていても母子ともにリスクの心配があること、しかし、医学の進歩により以前に比べてはるかにリスクが低くなっていることなど、くわしい説明を宮さまと一緒にうかがい、それらのことをしっかりと心にとめられるよう努めました。

秋篠宮さま

 だから割とあれですね、先ほど私も申しましたけれども、安心した気分でいられたんだと思います。

紀子さま

 ありがたいことだと思っております。

--両殿下におうかがいします。眞子さまは今年、秋篠宮さまのご公務に何度か同行され、夏にはオーストリアで初めてのホームステイを経験されました。佳子さまは学校生活のかたわら、フィギュアスケートに熱心に取り組まれています。お二人のご成長ぶりや、将来女性皇族としてどのような役割を期待されているのか、お聞かせください。

秋篠宮さま

 長女の眞子につきましては、先月ですね、15歳になったわけですけれども、いわゆる子供という時期から大人になる、ちょうど移行している時期ではないかなというふうに思います。私と話をしていても、私が話したことについて、自分で考えて意見を言うようになってきたなというふうに思っております。

 今年は沖縄とかですね、それから伊勢とかに連れて行きましたし、それからまた、夏にはオーストリアでホームステイ、1人で行くのは初めてなわけですけれども、経験して非常に楽しいときを過ごしたようですけれども、それらのこともですね、眞子にとって非常によい経験になったのではないかと思います。

 一方、二女の佳子については、フィギュアスケートを一生懸命する一方で、もともとあれなんていうのかな、手芸かな。

紀子さま

 手芸、はい。

秋篠宮さま

 手芸が好きなんですね。よく夜とか、部屋をのぞいてみると、何を作っているの。

紀子さま

 フェルトでものを作ったり。

秋篠宮さま

 何か工作をしているのですけれども、生まれてくる子供のためにも、何だったんでしょうかね。何か一生懸命作っているようでしたね。

 それから、その次の質問にありました女性皇族の役割についてですけれども、私は、私たちと同じで、社会の要請を受けて、それがよいものであれば、その務めを果たしていく。そういうことだと思うんですね。これにつきましては、私は女性皇族、男性皇族という違いはまったくないと思っております。ですから、そうですね。役割という、女性皇族だから何かという、そういう役割というのは、私は、少なくとも公的な活動においては思い当たりません。

紀子さま

 出産を控え、医師の勧めによって、安静に心がけていた私は、宮邸で長く過ごしていましたが、そのような中で、娘たちとの語らいの時間も例年より多く持てました。

 娘たちは毎日、私の体調を優しく案じてくれながら、学校などのことをいろいろと話してくれました。私からは、娘たちに、日ごろ感じていることや考えていることなどを伝えました。それに対して、それぞれ自分の思いを話してくれました。だんだん、私の良き話し相手となり、ときには、私が相談しているような場合もあり、そのような成長をうれしく思います。

 娘たちに話したことは、たとえば、今年、母子保健や地域医療などの仕事に携わっている方々から、多くの話をうかがいまして、そのような中で、たとえば、発展途上国には妊産婦や乳幼児をめぐる医療環境が非常に厳しいこと、日本で産婦人科医や小児科医のなり手が少なくなっていることなどについてです。

 それに続いて、私は娘たちに、「もし私が医療関係者から遠く離れて暮らしていたら、そして、前置胎盤であることを知らないでいたら、リスクが非常に高く、今、このようにして過ごすことが難しかったかもしれない」との思いを、それから、医師、助産師、看護師、そのほかの多くの方々のおかげで無事に出産し、元気に子供を育てることができることへの感謝の気持ちを伝えました。娘たちはそれぞれ、私の話にじっと耳を傾けてくれ、私の気持ちを受け止めたように思います。

 先ほど、宮さまも話されましたように、眞子は今年の夏休み、学校の夏休みを利用して、オーストリアのウィーン郊外にある知人宅に約2週間過ごしました。家を離れて、言葉、食事、そのほか、さまざまな生活慣習が異なる中で過ごすことは、戸惑う場面もあったかもしれませんが、滞在先のご家族には大変よくしていただき、ありがたく思っています。この機会に、眞子は出合ったさまざまな出来事を自分なりにとらえ、新鮮な発見と喜びを携えて帰国し、貴重な経験ができたと思います。

 佳子は小学生として最後の年にあたり、春の入学式には1年生を迎える受付係をしたり、夏には臨海学校で1キロの遠泳をしたり、9月には奈良へ修学旅行に出かけたりするなど、6年生として充実した日々を送っております。また、今までと変わらずフィギュアスケートの練習にも励んでおります。また、9月に誕生する子供のために、一緒に準備や支度を助けてくれました。佳子が誕生する子供のことをこまやかに思いながら、迎えようとする優しさをうれしく思いました。

 これから先のことについては、娘たちがさまざまな経験をする中で、次第に社会から何を期待されているかを感じ、求められているものに応えることができるようになってくれればと願っています。娘たちは内親王としての紀宮さまが、結婚されるまでのお姿を近くで見ておりました。紀宮さまが一つ一つのお仕事を大切に、ていねいにされていたことを学びながら、娘たちが少しずつ担う役割に対して理解を深めていってくれればと思っております。

--殿下にお尋ねします。ご出産という大きな出来事があった今年、宮さまはパラグアイに初めて訪問されるなど、数々のご公務も果たされました。殿下にとってのこの1年を振り返り、ご感想を、パラグアイでのエピソードなどを交えてお聞かせください。

秋篠宮さま

 私にとっての1年ということですけれども、2月に子供の懐妊がわかり、そして9月に出産がありました。それからまた、日本の各地を訪れたときに、さまざまな人と会って話をする機会を得ました。

 そして、パラグアイを初めて公式訪問しました。パラグアイの日本人移住の70周年の式典にはですね、ちょうど家内の出産のときと重なったということがありまして、それに出ることはできませんでしたけれども、70周年の記念の年にですね、ぜひとも訪問したいと思っており、それが実現したことは私にとりまして、大変うれしいことでありました。

 今回、3泊4日だったわけですけれども、その間に比較的ゆっくりと時間をとって、日系人の人たちと話をする機会がありました。その中には1世の人たちも、かなり多くおられたわけですけれども。それで話をする中で、パラグアイに入植して、それで土地を開墾するわけなんですけれども、私などが想像していたよりも実際に話を聞いてみると、はるかにですね、土地を耕すということが大変だったということがよくわかりました。

 今はもう本当に普通の、人が住むような場所になっているところも、入ったころは結局、原生林で大木があるわけですね。その大木を切り倒して、それでそこを焼き畑というか、火をつけて焼いて、耕作地にするわけですけれども、切り倒したときにその木の下に入ってしまって、体が不自由になった人とも会いましたし、また、これも初めて聞いた言葉でしたけれども、「焼き過ぎ3年、不焼け3年」ということをいわれた人がいましてですね、どういうことなんでしょうと聞いてみましたら、火をつけて焼いて焼き過ぎてしまうと、土壌が非常に硬くなって、カチカチになって、そこからまた耕作するというのは非常に大変だと、一方、今度はあまり強く焼かないでいると、根が深く入っているわけですけれども、根が残ってしまって、そこからまた木が再生したり、害虫がついたりしてですね、それをまたそこからもう一度起こしていくというのは大変な作業で、つまり火加減が非常に難しくて、そのいずれの場合でもさらに3年ぐらいしないといい土地にできないという話でした。

 そのようなことはやはり、実際にそれに携わった人に会って話を聞かなければなかなかわからないことでありますし、私にとりましては大変貴重な機会だったと思います。そのようなことがあった1年でしたけども、私にとって、私というか、私たち家族ですね、にとっては、いい1年だったのかなというふうに思っております。

--それでは最後の質問です。殿下にお尋ねします。天皇、皇后両陛下は6月、東南アジア3カ国を訪問されました。夏には皇太子ご一家が初めての海外でのご静養をオランダで過ごされ、オランダ王室とのご交流を一層深められるなど、天皇ご一家全体でもさまざまな出来事があった1年でした。天皇ご一家にとってのこの1年をふりかえり、いろいろな出来事について、ご感想をお聞かせください。

秋篠宮さま

 全体をまとめてというのが、少し難しいかなと思いますけれども、まず、天皇、皇后両陛下のことに関しましては、今年も、例年、毎年そうなんですけれども、いわゆる外に出てのお務め以外にも、宮殿の中で行われている行事というのが極めて多いなという印象があります。

 たとえば、近年、国が増えた、多くなったことによるですね、賓客の来日も多くなりましたし、大使、日本の在京の大使と会われる機会も非常に多くなっていると思います。そしてまた、各省庁などからの願いによって、長い年月、社会の中で地道に活動してきた人たちの労をねぎらうという、そういうお仕事もかなり多くあります。

 そのような普段報道されないような行事が、やっぱり非常に多いなということ、そしてその一方、たとえば地方に行かれたときには、その中心になる行事のほかに地方事情の視察というのがありますけれども、それについてもできる限りですね、今まで訪れていないところに行こうという気持ちを強く持たれています。

 たとえば、今年の9月の北海道にしても、かなりの長距離の移動になるわけですね、そういう日々を、それらのお仕事を元気に務められていますし、それらの中にはですね、やはり天皇という立場でないとできないものも数多く含まれていると、私は感じます。しかし、やはりですね、年齢的にいっても、それらの多くのお務めをされるのは、非常に大変なのではないかなと、そういうことを感じた1年でした。

 また、皇太子両殿下のことにつきましては、先ほどもいわれたオランダの訪問、そしてオランダ王室の方々との交流を深めるなど、そのオランダの旅行も無事に終わりましたし、また、ついせんだっては、愛子内親王の着袴の儀ですか、これも滞りなく終了し、私たちも喜ばしいことだと思っております。もちろん両殿下もとても喜んでおられることだろうと思います。

 そして妹についてですけれども、昨年の11月に結婚しまして、それで1年たったわけですけれども、結婚するまでの生活から非常に大きい変化があったと思いますけれども、どうなんでしょうね、少し慣れてきたのかな。だんだんに慣れていってくれればいいなと、そのようなことを感じた1年といっていいと思います。

【関連質問】

--殿下はギターでどのような曲を弾いておられるか、眞子さま、佳子さまはどのようなお世話をされているか、お聞かせください。

秋篠宮さま

 あまり上手ではないんですけれどもね。もっと若いころに好きだったもので、それでその名残みたいな形で、今でも時々弾き語りとかするんですけども、最近は、この前パラグアイ、ラテンアメリカのほうに行きましたのでね、なんとなくそれが頭にあるのか、たとえば有名な曲ですけど、「エル・コンドル・パサ」とかですね、なんか鼻歌交じりにあれしたりする、ねっ。どうでしょうね。

紀子さま

 ほかに花祭り。

秋篠宮さま

 花祭りね。あと、どうでしょうね。

紀子さま

 娘たちが毎日これだっていうことで決まっているわけではなく、それぞれに日々予定がありますので、あいたときに私が足りないところで助けてくれて、たとえば、洋服を替えたりとか、もちろん遊んだりするときも一緒になって、一緒にということはなくて、抱いてほしいときには、あやしながら何かお互いに顔を見つめ合って、いい雰囲気で過ごしていることもあります。

 今はどうしてもやはり眠る時間が長いものですから、眠っているときはなるべく、みんなで静かにしてましょうと、でも起きているときは、先ほどもちょっと話しましたけれども、にぎやかにお互いの1日の様子を話したりしていると、それに悠仁も耳を傾けてますし、私たちが少しなんとなく、私たちの動きをよく見ることが多くなってきまして、おそらくこれからまた、ひと月ひと月たつごとに、私も娘たちに頼む世話も増えるかもしれません。

--佳子さまが悠仁さまのために工作で何をお作りになりましたか。

秋篠宮さま

 何を作っていたんでしょう。私も作っているところはみたんだけれど。

紀子さま

 そうですね。何か佳子はこれから先、一緒になって遊べる、ちょっとしたものを。

秋篠宮さま

 おもちゃ。

紀子さま

 おもちゃでしょうか。ちょっとフェルトで作ったり、触っても大丈夫なものを、一緒にいるときは眞子も一緒になって作ってました。

(11/30 08:07)
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by unkotamezou | 2006-11-30 08:07 | 皇室