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「女性天皇について」(前編)
斬る! 時事問題のトリビア・コラム!

  ~ 「女性天皇について」 (前編)~

http://nippon-shinwa.com/bcolumn_4.html

 問題の核心は≪女性天皇≫というところにあるのではなく、≪女系天皇≫というところにある。

 つまり天皇とは、

(一)男系の男性天皇、
(二)男系の女性天皇、
(三)女系の男性天皇、
(四)女系の女性天皇、

の四つがあることとなるが、あとの(三)(四)は歴史上存在していない。つまり女性天皇はあったが、女系天皇はなかったということである。ものの順序として、男系の女性天皇について見てみる。

 孝明・明治・大正・昭和・今上(諡号しごうは恐らく平成)と近現代の歴代天皇五代を見てみると、見事に男系男子の天皇で貫かれている。これが瓊瓊杵尊ににぎのみこと以来の正統を踏んだ伝統であるが、その伝統に含まれる形で存在した古代の女性天皇(女帝)について、まずは見てみることとする(江戸時代などは今は措く)。

一、【西暦五九二-六六一年】
 推古(女帝)・舒明・皇極(女帝)・孝徳・斉明(女帝。皇極の重祚ちょうそ)

二、【西暦六七三-七二三年】
 天武・持統(女帝)・文武・元明(女帝)・元正(女帝)

三、【西暦七二四-七八一年】
 聖武・孝謙(女帝)・淳仁・称徳(女帝。孝謙の重祚)・光仁

 以上、三群に分けられる。通算しても足掛け百七十年間で、徳川幕府よりも短い。その短い間に八代六人の女帝が出ているということは、乱気流に巻き込まれたときのように不安定となった皇位継承という機体を何とか安定させようと努力した結果であったかと思われる。失速しそうになった機体を女帝が現れて何とか支えたわけである。

 それは、推古女帝以前にも前例があり、雄略天皇の次の清寧天皇が亡くなったとき(西暦四八四年一月)、皇位を兄と譲り合った顕宗天皇が直ぐには即位されなかったため、一日も為政は停められないと考えた兄弟の姉にあたる飯豊青皇女いいとよあおのひめみこが執政し、皇位の途切れるのを防いだことがあった。これを見て、イスラエルはヘブライ大学のシロニー先生あたりも、飯豊青尊を天皇として歴代に列するべきとされている。みことと尊称しているところより、すでに日本書紀編纂のころにも、そんな気運はあったのであろう。

 皇位を兄弟で譲り合った例は応神天皇の亡くなったときにも起きた。このときは仁徳天皇と弟皇子とが譲り合い三年近くにもなったが、その間、皇位は空位ではあっても、為政そのものに停滞がなかったのは、摂政として応神天皇の生母の神功皇后が健在であったからである。日本書紀は神功皇后を歴代天皇のように処遇しているが、あえて天皇と考える気運がなかったようであるのは、すでに長きにわたり摂政であったからであろう。

<参考文献>
「母なる天皇」   B・シロニー 講談社
「天皇」      山口修    PHP研究所
「物語 神功皇后」 田中繁男   展転社
http://nippon-shinwa.com/sankou_c4.html
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by unkotamezou | 2005-01-17 13:19 | 皇室