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【親王さまご誕生】(上)陛下ご心痛、宮さま決意
【親王さまご誕生】(上)陛下ご心痛、宮さま決意

「先生、どうやって男の子をつくったらいいでしょうか」

 平成6年に二女の佳子さまをお産みになった紀子さまはその後、愛育病院の中林正雄院長に冗談めかしてこう話されたという。医療チームのトップとして帝王切開のメスを握った中林院長が術後、ほっとした表情で明かした秘話だ。

 秋篠宮さまがお生まれになって以来、女子のご誕生が続いた皇室。当時、皇太子さまと結婚されたばかりの雅子さまへの“男子ご出産”の重圧は、相当なものだったとされる。

 ご発言の背景には、紀子さまの皇室の伝統に対する強い思いと、お世継ぎを望まれる天皇、皇后両陛下へのお気持ち、そして雅子さまへのお心遣いがあった。

 今年2月、紀子さまのご懐妊を伝えられた皇后さまは、「陛下が心を痛められているのを見て秋篠宮が決心してくれた。(紀子さまは)けなげだわ」と、宮内庁関係者に喜びをかみしめるように話されたという。

 女性、女系天皇を容認する皇室典範改正案が、国会に提出されようとする直前だった。別の関係者は「典範改正論議が国論を二分する騒動となっていることに、天皇陛下は心を痛められていた」と指摘する。

 紀子さまは今月、40歳になられるが、皇后さまからのおすすめもあり、皇室の繁栄を考えてご出産を決意されたという。女子のご誕生が9人続いたなかで、男子皇族ご誕生は皇室全体の願いでもあった。

 「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、3人目を強く希望したい」

 15年12月、当時の湯浅利夫宮内庁長官は定例会見で秋篠宮ご夫妻の第3子についてこう語り、男子皇族のご誕生に期待をにじませた。

 秋篠宮ご夫妻は、以前から第3子を希望されていたとされる。だが12年11月、会見で第3子について質問されると宮さまは「返事がしにくいというか、非常にしにくいですね」と述べ、ずっと明言は避け続けられていた。「皇太子ご夫妻に待望のお子さまがお生まれになってから」とする考えがご夫妻にはあったからだ。

 13年12月、愛子さまがご誕生。その翌年12月の会見では、宮さまは「妹なり弟なりがいて、何か世話をしてあげたいという気持ちがあるような印象があります」と、眞子さま、佳子さまのお気持ちを代弁するかたちを取りながらも、第3子への前向きな姿勢を初めて明確にされた。

 湯浅長官の“発言”の背景には、「お世継ぎ問題」に対する宮内庁側の大きな危機感があった。宮内庁側が皇太子ご夫妻との意思の疎通を、必ずしも十分にはかれていなかったことも、秋篠宮ご夫妻への期待につながったという。

◇ ◇ ◇

 今年7月。両陛下は紀子さまが前置胎盤と診断されたことをお聞きになった。このとき、皇后さまは大変動揺されたという。以前は多くの母子が生命の危険にさらされた胎盤の異常であるとお知りになっていたからだ。

 だが、紀子さまのご入院後、金沢一郎皇室医務主管から「胎児は体重がやや軽いが問題ない」との説明を受けると、皇后さまはほっとされ、2250グラムだった黒田清子さんについて「紀宮(清子さん)だって小さかったのよ」。

 そして、清子さんや2540グラムだった皇太子さまと違い、3000グラムを超えていた秋篠宮さまを出産したときのことを陛下とともに思いだされ、次のようなお話をされたという。

 「帝王切開を、私も危うく受ける可能性があったのよ」

 両陛下によると、やや大きめだった宮さまは頭部がなかなか出てこずに時間がかかった。医師団は自然分娩(ぶんべん)は困難と考え、帝王切開の許可を得に、分娩台に皇后さまを残したまま、昭和天皇や天皇陛下(当時は皇太子)のもとへ向かった。1時間以上してから戻り、帝王切開の準備を始めたところ、宮さまがお生まれになったという。

 その話をされたのは、陛下のご心痛を理解し、高齢出産を決断された紀子さまへのお心遣いでもあった。

(09/07)
by unkotamezou | 2006-09-07 12:00 | 皇室