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長島茂雄 二十九 国民的行事「十・八」制す
国民的行事 「10・8」制す

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リーグ最終戦の対中日戦で優勝を決め喜ぶ長嶋とナインたち。長嶋伝説がよみがえった(1994年10月8日)

 監督に復帰して2年めの94年は特別なシーズンでした。巨人軍創設60周年。つまり日本のプロ野球が始まって60年の記念すべき年です。巨人は創設以来、4年連続でペナントを逃したことはなかった。3年連続で優勝から遠ざかっていましたから、これはもう、優勝が義務付けられたようなもんですよ。

 《球界は、前年のシーズン後に導入されたフリーエージェント(FA)制で、FA権を行使する大物選手の移籍がストーブリーグの話題をさらった。巨人の主軸の駒田徳広は横浜に去り、巨人は中日4番の落合博満を獲得。FA権行使を宣言した巨人のエース、槙原寛己は長嶋の説得でチームにとどまった》

 槙原抜きでは投手陣の組み立てが考えられないですよ。ええ、彼の背番号(17)の数のバラを贈って、ラブコールですよね。その槙原が5月に完全試合をやってのけてくれました。春先からその槙原に桑田(真澄)、斎藤(雅樹)がフル回転で、独走状態でした。8月後半にも優勝か、という勢いでしたよね。たしかに8月中旬にはマジックが点灯したんですが、それからがいけませんでした。8月後半には8連敗の大失速。

 選手たちはあわてたみたいですが、私はずっと「大丈夫だ、あせるな」といい続けました。日程に余裕がありましたし、シーズン中一度も首位を譲らなかった自信もありました。自信なくして戦いはできませんよ。

 9月初めには広島に一時、1・5ゲーム差まで迫られて、その後は中日が9月半ばに9連勝して猛追されました。そのころ、うちは投手陣のバランスが崩れて苦しかった。その時に台風の影響で中日戦が中止になった。中日は勢いがあるしね。正直いって助かりましたよ。

 《巨人と中日のデッドヒートは129試合目で69勝60敗で両チームが並び、10月8日ナゴヤ球場でのシーズン最終戦の直接対決に決着が持ち込まれる》

 10・8ね。前日、報道の皆さんに、「明日は国民的行事になるよ」と言ったんです。だってそうでしょ。プロ野球60年の歴史で、最後の一戦に勝った方が優勝なんてことは、かつて一度もなかったですからね。

 ゲーム前のミーティングでは、選手に「今日は勝つ!」と一言だけ。あとは試合中に選手たちをいかにリラックスさせるかだけを考えて、ゲームマネジメントしましたね。

 先発の槙原に、斎藤、桑田もつぎ込んで総力戦でした。落合が先制ホームラン、松井も20号のアーチでしょ。シーズンの総決算。6―3で中日をねじ伏せました。

 《最終決戦のテレビ中継の視聴率は、プロ野球史上最高の48・8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。この年の政治は、1年間で首相が細川護煕から、羽田孜、村山富市へとめまぐるしく変わり、経済もバブル崩壊で不安定さを増す中で、国民は、長嶋巨人の野球に夢を求めた。勢いに乗った巨人は、森祇晶(旧名・昌彦)が率いるパ・リーグ5連覇の西武を破り、長嶋は監督として初めての日本一。10・8決戦から4日後、ダイエーは王貞治の監督就任を発表。ファンが待ち望む「ON日本一決戦」が実現するのは、6年後のことになる》(敬称略)

(2006年7月19日 読売新聞)
by unkotamezou | 2006-07-19 07:34 | 冒險 競技 藝能 娯楽