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長島茂雄 二十四 監督就任、「クリーン」打ち出す
監督就任、「クリーン」打ち出す

 川上(哲治)さんのあとの巨人の監督は、私しかいないことは十分にわかっていました。でもね、本音を言わせてもらえば、コーチなどを経験して、野球そのものの勉強をしてから監督をやりたかったですよ。

 そうも言っていられない事情もあるでしょ。1974年(昭和49年)の11月、正式に監督を引き受けました。引き受けるからには、強く、ファンに喜んでもらえる巨人をつくらなくちゃいけないと思いましたよ。

 新チームの進むべき方向性、キャッチフレーズとして、「クリーンベースボール」を打ち出しました。クリーンヒットのクリーン。「あざやかな」という意味でね。ファンを夢中にさせるあざやかな野球をお見せしたいとの願いをこめたんです。

 《世の中は、首相・田中角栄への金権批判が渦巻き、田中は辞任。同年12月、有名な椎名裁定で、三木武夫が自民党の後継総裁に指名され、首相に就任する。三木は「クリーンな政治」を打ち出し、前政権が抱えた金権体質の一掃に乗り出す。長嶋のクリーンベースボールとクリーン三木。「クリーン」が国民をとらえる言葉となる》

 さて背番号をどうしようかと考えて、「90番」を選んだんですが、これは、長男の一茂の提案だったんです。三塁手の「3」、背番号の「3」、それに打順3番の「3」。私は4番バッターのイメージですが、常々、チームの組み立てで3番バッターが一番大事だといっていましたから。一茂は、「パパ、この3を三つ足して9」といったんです。「0」はね、チームの和の意味をこめました。それをあわせて「90番」が誕生しました。

 V9が終わり、私とともに捕手の森(昌彦)さん、くせものの黒江(透修)もチームを去りました。4番のワンちゃん(王貞治)は、脂が乗り切っていましたが、長嶋はいない。そんなチームを率いて、新たなチーム作りをしながら若手を育て、しかも勝たなくちゃいけない。これは大変難しいことでしたね。

 私に代わってクリーンアップを打てる強打者、それに森さんに代わる捕手が必要でした。補強のためにドジャース職員だったアイク生原(いくはら)(昭宏)さんを頼って、アメリカにもスカウトに飛びました。エクスポズの捕手・ボブ・スティンソンや、ドジャースの三塁手のケン・マクマーレンなど交渉はいいところまで行きましたが、結局だめでした。

 新人は、甲子園の人気者となった定岡(正二・鹿児島実)をとれました。西本(聖・松山商)も入団しました。こうした若手投手をどう育てるかに、巨人の今後がかかっていました。

 《長嶋が監督デビューした75年のシーズンは、監督の世代交代の年でもあった。阪神は、「牛若丸」と異名をとった名遊撃手、吉田義男が監督就任。大洋(現・横浜)は投手出身の秋山登、太平洋(現・西武)には江藤慎一。現役時代の長嶋のライバルたちが新たに指揮官の座にすわる。その中でセ・リーグは、シーズン途中から監督になった古葉竹識率いる広島が抜け出し、悲願の初優勝を飾る。万年Bクラスだった広島がこの年から採用した赤い帽子とヘルメットがグラウンドを駆けまわり、「赤ヘル旋風」を巻き起こす。期待された長嶋巨人は、史上最悪の最下位に沈んだ》(敬称略)

(2006年7月12日 読売新聞)
by unkotamezou | 2006-07-12 22:56 | 冒險 競技 藝能 娯楽