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長島茂雄 二十一 ON中軸 脇固める「くせ者」
ON中軸 脇固める「くせ者」

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巨人のV9を支えた王(右)と長嶋=1970年3月

 《長嶋が結婚した1965年(昭和40年)から73年まで、巨人は9年連続で日本一(V9)に輝く。V1の年に小学校に入学した子どもたちは、中学を卒業するまで、巨人以外のセ・リーグの優勝チームを知らず、巨人のほかに日本一になったチームを見ずに育った。それは日本の高度成長期に重なる》

 とにかく強かった。負ける気がしなかったですからね、とくに3、4、5、6連覇あたりまでは。そうですねぇ、選手一人ひとりに、「巨人の野球はこれです、見てください」みたいな自信があふれていました。圧倒的な強さの秘密は、チームのバランスにあったと思います。

 打線は、3番、4番がONの二人で固定されていました。王が打てば長嶋ものる。王が凡退すれば、長嶋がカバーする。長嶋が不振の時は王が打ちまくる。これが一番の強みでしたよ。

 そして柴田(勲)、土井(正三)、黒江(透修)、高田(繁)、末次(利光)と、持ち味のあるくせ者がそろっていましたからね。彼らがチャンスを広げてONにつなぐ。これじゃ、相手のピッチャーは1番から9番まで気を抜けないですよ。

 それと投手力のバランスですね。戦前の職業人野球を引きずっていたころまでは、「オレがオレが」の野球でしたから、先発すれば完投が当たり前でしたけれど、先発と抑えの役割分担が定着しました。ワンセットで試合を組み立てる。

 65年に国鉄から移籍してきた金田(正一)さん、「エースのジョー」の城之内(邦雄)、中村稔さん、堀内(恒夫)らが先発して、いけるところまでいく。そのまま完投も十分できる投手がそろっていた。

 それに、ゲームも終盤の8時半になると、宮田(征典)が約束どおりに出てきて、ピシャリと締めてしまう。「8時半の男」、流行語にもなりましたよね。投手の面でも勝ちパターンがきちんとありました。その球をインサイドワークのいい捕手の森(昌彦)が、ずっと受け続けたんです。勝てないわけがないですよ。

 65年からドラフト制度が導入されましたけれど、新人もうまく取れたよね。最初の年が堀内でしょ。新人の年からいきなり13連勝ですよ。18歳で。鼻っ柱も強かったけれど、めっぽう速い速球と、カーブがシュー、バーンと来る。67年秋のドラフトでは、走攻守そろった高田ですもんね。これで万全の基盤ができました。

 《球団間の戦力バランスをとるために導入された新人ドラフト制度。大物ぞろいで「黄金のドラフト」と呼ばれた68年秋のドラフト会議では、プロ野球の次世代を担う有力新人たちが各チームに指名され、入団する。山本浩司(広島)、田淵幸一(阪神)、星野仙一、大島康徳(中日)、野村収(大洋)、富田勝、藤原満(南海)、有藤通世(ロッテ)、山田久志、福本豊、加藤秀司(阪急)、東尾修(西鉄)、大橋穣、金田留広(東映)らだ。巨人の不敗神話が続く中で、各チームの戦力は徐々に強化、充実されていく》

 V9時代の巨人は、3、4番以外、打順はいじることがあってもメンバーはほとんど変わらない。それが強さの背景でもあったから、いいんですけどね、逆に世代交代が滞ることにもなりました。結果的にですが、その後、巨人の弱点となって噴き出すんです。(敬称略)

(2006年7月6日 読売新聞)
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by unkotamezou | 2006-07-06 21:59 | 冒險 競技 藝能 娯楽