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長島茂雄 理由あった一塁踏み忘れ
理由あった一塁踏み忘れ

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一塁ベースを踏み忘れてホームランが取り消され、ぼう然とする(左から)水原茂監督、川上哲治と長嶋(1958年9月19日、後楽園球場)

 初めての対戦では完ぺきに封じられた金田さんから、7月に、やっとホームランをお返ししました。金田さんは、6月なかばには8年連続の20勝を達成していました。6月にですよ。大変な投手でしたよ。

 それからも三振はとられましたが、そうは打ち負けていないはずですね。

 《金田正一が1965年(昭和40年)に国鉄から巨人に移籍するまで7年間続く長嶋・金田の対戦成績は、211打数66安打の打率3割1分3厘。本塁打18本、三振31個。長嶋はルーキーだった58年、8月6日の広島戦から、4番に座り、いきなり右翼に17号本塁打を放ち期待にこたえる》

 新人の年に、忘れられない思い出がもう一つあります。一塁ベース踏み忘れ事件です。ホームランがふいになってしまったんですから、忘れられませんよ。

 シーズンも終盤、9月(19日)の後楽園での広島戦でした。五回裏1―1の場面で、鵜狩道夫から打った打球は左中間スタンドへ。二塁、三塁と回ってホームベースへ。これで勝てると思ったんですがね。試合が再開されると広島から「一塁を踏んでいない」とアピールされて、ボールは投手から一塁手に渡って「アウト」ってわけです。水原(茂)監督が執拗(しつよう)に抗議してくれたんですが、審判が、自信を持って「踏んでいない」というんじゃ、仕方がないですよ。私は覚えてないんだから。

 いまでも、ぼんやりだ、うっかりだと、なにかと私のこのボーンヘッドの例が引き合いに出されますけれどね。いいわけじゃないけれど、あの踏み忘れは理由があるんですよ。

 あの打球はショートの頭のすぐ上をライナーで越えていった。私は足に自信がありましたからね、しめた二塁打、いや三塁もねらえるかなと走りながら考えたんです。一つでも次の塁を狙うのが私のベースボールのスタイル。三塁打、そして塁上のクロスプレーは野球の華ですからね。そしたらなんと、ショートが取れそうだった打球が、こうね、ぐーんと伸びていってスタンドにはいっちゃった。一塁を回るころは、二塁だ、三塁だと考えながら打球の行方を追っていたから、ベースを踏んだかどうか、まったく記憶になかったというわけです。

 絶好調でしたからね、ベンチに戻っても、「いいよ、また次に打ちゃいいんじゃないか」と、前向きに考えていましたよ。

 《プロ初年度、長嶋は打率3割5厘(2位)、本塁打29本(1位)、打点92(1位)と三冠王に迫る大活躍で、セ・リーグの二冠に輝き、文句なしに新人王に選ばれた。チームはセ・リーグのペナントを制した》

 打率で最後まで争った田宮謙次郎さん(阪神)は、右に左に打ち分けるいい打者でしたけど、最後は打率温存でベンチに下がっていたんじゃなかったかな。新人に三冠をもっていかれたんじゃ格好がつかないでしょうからね。私はこのシーズン、1イニングも休みませんでした。

 それより春のキャンプで同室の藤田(元司)さんと賭けたんですよ。「君のホームランとぼくの勝ち星とどっちが多いか」って。この年、藤田さんは29勝でMVP(最高殊勲選手)。私が29本。あれがホームランなら30本となって、私の勝ちでしたね。(敬称略)

2006年6月27日 読売新聞
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by unkotamezou | 2006-06-27 19:26