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長島茂雄 「ゴールデン・ボーイ」始動
「ゴールデン・ボーイ」始動

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初めての巨人キャンプ入りで明石駅に到着した長嶋を、大勢のファンが出迎えた(1958年2月16日)

 巨人に入団して最初のキャンプは明石(兵庫県)でした。翌年からは宮崎にキャンプ地を移しますが。

 卒業試験を終えて、1958年(昭和33年)2月15日夜、東京駅を寝台夜行列車「さつま」に乗り込んで明石に向かいました。当時の移動は三等車でしたね。南海のキャンプに遅れて参加する杉浦(忠)が送りにきてくれました。「互いに全力でやろう」と話しましたが、すごい取材陣でした。当時、メディアは私を「ゴールデン・ボーイ」と名づけてキャンプから追いかけてきました。

 翌朝、明石駅で列車を降りて驚きました。すごい人だかりなんです。祭りでもあるのかと思いましたが、ゴールデン・ボーイをひと目見ようと集まってきたんですね。

 宿舎の大手旅館まで人をかき分けて進みました。部屋で荷を解きましたが、巨人の選手たちはだれもいない。キャンプは2月の初めから始まっているのですが、この日は日曜日で練習も休み、みんな出かけていたんです。迎えてくれたのはファンと記者ばかり。

 月曜日にグラウンドへ出て、監督の水原(茂)さんが、「弟分だと思って仲よくやってくれ」と紹介してくれました。緊張しましたよね。川上(哲治)さん、千葉(茂)さんに、ウォーリー・与那嶺(要)、エンディ・宮本(敏雄)さん……。夢にまで見たあこがれのすごいメンバーがずらりとそろっているんですから。

 ランニングしろといわれて外野へ回ってまたびっくりですよ。雲をつくような大男が待っていました。馬場正平、のちのジャイアント馬場ですよ。一緒に走りました。

 《新潟・三条実業出身の馬場正平は55年、投手として巨人に入団。1軍では3試合に登板したが、巨人を離れた後、合宿の風呂で転び、ひじを傷めて野球を断念。60年に日本プロレスの力道山に入門。身長209センチの巨体から繰り出す16文キックやヤシの実割りの大技で一世を風びする》

 練習を始めてみて、これでいいのかと疑問に思いました。昼の1時には練習は終わってしまうんです。あとは宿舎でマージャン。思い余って水原監督の部屋を訪ねて意見を言いました。「立教時代の練習はもっと厳しかった。プロがこれでいいんですか。時間も短いし中身もない」って。

 水原さんは慶応のOBだし、わかってもらえると思って言いにいったんですが、水原さんは烈火のごとく怒りましてね。「初年兵が何を生意気なことをいうか。プロはこれでいいんだ。みな自分の責任で鍛えるんだ」と殴りかからんばかりでした。私は生意気盛りでしたから。

 宿舎の部屋は先輩投手の藤田(元司)さんと一緒でした。当時のプロ野球界では、「甘っちょろい学生野球が何だ」という雰囲気がありましてね。藤田さんは慶応出身、それから私と三遊間を組むことになる広岡(達朗)さんは早稲田でしょ。お二人からは、プロ野球での生活態度とかいろいろと教えていただきました。

 オープン戦が始まって、私はホームラン7本を打って絶好調でした。プロって甘いもんだと、ちょっと天狗になっていたかもしれません。(敬称略)

2006年6月24日 読売新聞
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by unkotamezou | 2006-06-24 19:12 | 冒險 競技 藝能 娯楽