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長島茂雄 愛情感じたスパルタ特訓
愛情感じたスパルタ特訓

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巨人軍監督時代の長嶋と歓談する砂押邦信(左)(1975年7月11日撮影)=報知新聞社提供

 1954年(昭和29年)春に、晴れて立教大学に入学しました。大学といっても朝から晩まで野球、野球、野球。野球漬けの生活でしたね。

 大学キャンパスがある池袋から西武電車で二つ目の東長崎駅近くに、グラウンドと、合宿所(智徳寮)がありました。新人は便所掃除から風呂たきまでやらされて、まるで軍隊のような生活でした。

 砂押(邦信)監督の猛特訓が始まりました。合宿所で晩めしを食ってからも、しょっちゅう夜間練習がありました。とっぷり日が暮れて、ナイター照明なんかないですからね、ボールに石灰の白い粉を塗って砂押さんのノックが始まるんです。

 真っ暗闇から、にゅっと白いボールが飛んでくる。真剣勝負ですよ。腰が引けると、「なんだそのざまは」と罵声(ばせい)が飛んでくる。グラブをはずさせて素手で捕球しろという。すさまじい気迫で、ノックバットが折れることが何度もありました。

 夜間練習がない日は、晩めしを食っていると、砂押さんから呼び出しの電話がかかる。「自宅で待ってるから10分で来い」ってね。監督の家は池袋にありました。合宿所から2・5キロほど離れていましたか。走って行くんです、バットをさげて、びゅーんと。

 息を切らせて着くと、庭に出て、「さあバットを振れ」。素振りですね。しかも普通のバットより重いマスコットバットです。200回、300回……。手のひらのマメがつぶれて血が噴き出す。それが固まってタコになりました。1時間も振るともうバットが上がらなくなる。砂押さんは、その間、じっと私のスイングを見て、「アッパーすぎる」「もっとレベル(水平)に振れ」と修正していくんです。それが終わると、監督が合宿所に「10分で帰すから」と電話を入れる。また走って帰りました。

 本屋敷(錦吾)なんか、そういう呼び出しはない。高校時代にできあがってますからね。私だけでした。逆に、「期待されてるんだな」と感じましたね。だからがんばれたんですよ。なにくそ、と。

 《長嶋が2年の春のリーグ戦後、砂押式のスパルタ訓練に上級生が反発し練習をボイコットする砂押排斥事件が起きる。砂押は監督を辞任。その後、砂押は61年、プロの国鉄(サンケイを経て現・ヤクルト)の監督に就任。65年まで監督、コーチとして、まな弟子の長嶋とグラウンドで対決することになる》

 排斥は上級生たちがやったことでね、あのおとなしい杉浦(忠)も巻き込まれて合宿所を抜け出すことになったんですが、上級生たちはわかっていなかったんですよ。厳しかったけれど、砂押さんには愛情があった。なんとか鍛えてものにしてやろうと。愛情のない厳しさはしごき、いじめだけれど、愛情のある厳しさは、しごきやいじめではないんです。

 砂押さんの教えは、野球はオフェンスもディフェンスも腰でやるということ。だから下半身を鍛えろ、走りこめということでした。夜間練習も、10分で家まで来いということも、みなそういうことだったんですよ。言葉には出さなくてもね。

 私がその後、プロでやっていけたのも、砂押さんがその基本をたたき込んでくれたからだと感謝していますね。(敬称略)

2006年6月17日 読売新聞
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by unkotamezou | 2006-06-17 18:07 | 冒險 競技 藝能 娯楽