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百年前の仏紙、日露戦を大報道 一面全部カラーイラスト
100年前の仏紙、日露戦を大報道 1面全部カラーイラスト

c0027730_1849633.jpg「旅順での(ロシア軍の)最後の抵抗-二百三高地の奪還」=1905年1月15日付=日本軍は1904年12月28日、重砲隊による砲撃に続く歩兵の突撃で二百三高地の一部を占領したが、ロシア軍の最後の抵抗にあって撤退。2日後の30日には乃木希典大将率いる第三軍第七師団を投入して再奪還した


 第二次大戦終結前までフランスで発行されていたタブロイド判の日刊紙「ル・プチ・パリジャン(われらがパリ市民)」の日曜別冊版が、一世紀前の日露戦争の戦闘の様子などを一面と終面をつぶしたカラーイラストで頻繁に報じていたことが明らかになった。

 日露戦争が欧州でも一大関心事だったことを示す新たな史料として、日本海海戦(一九〇五年五月二十七、二十八日)勝利百一周年を前に二十日、都内で催されるシンポジウム「北東アジアにおける司馬遼太郎と日露戦争」で川西重忠・桜美林大教授が発表する。

 この日曜版は八ページで、中面にはイラストとは関係のない記事や小説などが掲載されている。川西教授が七年前、ベルギーのブリュッセル郊外のレデュ村を訪れたさい、古書店で見つけた。

 日露開戦当時、日本は英国、ロシアはフランスとそれぞれ同盟関係にあり、ともに戦費のための金融支援などを当てにした事情から欧州のメディアは戦争の行方に関心を抱いていた。

 フランスの新聞論調は総じて日本に敵対的で、ル・プチ・パリジャン紙のイラストの説明書きにもロシアに同情的なトーンがにじんでいる。一方、英国の新聞社説は日本擁護論が顕著で、日露の代理宣伝戦争の様相も呈していた。

 川西教授は「ル・プチ・パリジャンは満州などで戦うロシア軍側に“イラスト特派員”を従軍させ、その作品を開戦前年に開通したばかりのシベリア鉄道で二週間以上かけてパリの本社に運ばせていたのではないか」と推測している。

 ル・プチ・パリジャン紙は一八七六年創刊。日露戦争当時はパリで最多の約九十万部。日曜版の大型イラストが売り物で、第一次大戦直後は二百十八万部と一時、世界最大部数を誇ったが、一九四四年に廃刊された。

05/14 09:36
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by unkotamezou | 2006-05-14 09:36 | 歴史 傳統 文化