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奈良 飛鳥板蓋宮の遺構発見「大化の改新」舞台か
奈良 飛鳥板蓋宮の遺構発見 「大化の改新」舞台か

 古代史最大のクーデター「大化の改新」(六四五年)の舞台となった飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)の一部とみられる石敷きなどの遺構が、奈良県明日香村の飛鳥京跡で十七日までに、県立橿原考古学研究所の調査によって見つかった。権勢をほしいままにした蘇我一族が滅び、古代の新体制がスタートした歴史的な場所。飛鳥板蓋宮跡の遺構はこれまでほとんど確認されておらず、先ごろ見つかった飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)の正殿跡や飛鳥岡本宮跡の柱跡などとともに謎の多い古代宮都の研究が大きく進みそうだ。

 新たな遺構が見つかったのは、先ごろ、飛鳥浄御原宮跡で発見された「北正殿跡」の、さらに下層とその南側。続けて行われていた調査で、七世紀中ごろのものとみられる長さ約八メートル、幅約七十センチにわたる石を敷き詰めた溝のような遺構が南側から出土した。

 築造年代は、北正殿を建てる際に壊された痕跡があったことなどから、飛鳥浄御原宮より以前のものと判明した。

 さらに、北正殿跡を数十センチ掘り下げたところ、柱を据えた一辺一・四メートルの穴も検出。直径四十センチの柱の痕跡も確認された。赤く焼けた土や炭が詰まっており、火災に遭ったことが分かった。

 この場所は、日本書紀の記述などから、数百メートル四方のほぼ同じ範囲に、舒明天皇の「飛鳥岡本宮」、皇極天皇の「飛鳥板蓋宮」、天武天皇の「飛鳥浄御原宮」が相次いで築かれたとされてきた。

 また、日本書紀には、「斉明元(六五五)年冬、飛鳥板蓋宮で火災があり、斉明天皇が飛鳥川原宮に遷(うつ)った」と記述。今回見つかった柱穴にも焼けた跡があることから飛鳥板蓋宮の火災との関連が高いとみられる。

 数ある飛鳥京の中でも飛鳥板蓋宮は、中大兄皇子や中臣(藤原)鎌足が蘇我入鹿を暗殺し、新体制のスタートとなった場所。いわば古代史最大の政治的舞台だ。

 飛鳥板蓋宮跡はこれまで、より新しく、その上層に築かれたとされてきた飛鳥浄御原宮跡に阻まれて調査できなかった。

【用語解説】大化の改新

 大化元(645)年6月の蘇我入鹿暗殺に始まり、中大兄皇子と中臣鎌足が推し進めた政治改革。唐の律令制度にならった中央集権国家の樹立を目指して、「改新の詔(みことのり)」を発布。皇族や豪族の私有地を廃止する公地公民の制や、新たな租税制度などを実施した。中国の例に従い、公式に年号をたてて「大化」としたため、「大化の改新」と呼ばれる。
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by unkotamezou | 2006-03-18 05:00 | 歴史 傳統 文化