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日露戦争捕虜収容所の写真集発見「習志野」も人道的扱い
日露戦争捕虜収容所の写真集発見 「習志野」も人道的扱い

礼拝所や学校を自主運営

 日露戦争(一九〇四-〇五年)で捕虜になったロシア兵が収容されていた千葉県の習志野捕虜収容所での生活の様子を克明に記録した五十枚の写真集が陸上自衛隊衛生学校で見つかった。臨床調査に訪れた軍医が撮影していたもので、日露戦争の終戦から百年となる今年、衛生学校で資料を整理していたところ、確認された。

 礼拝所や学校が自主運営されたほか、賭博や闇市も開かれ、優遇された「松山収容所」と同様に自由で人道的な捕虜生活を送っていたことが明らかになった。

 見つかった写真集は、A4判ほどの厚さ約八センチのハードカバー本で、五十枚の写真と詳細な写真説明が掲載されている。当時、陸軍東京予備病院新宿戸山分院の一等軍医(軍医大尉)だった岡谷米三郎氏がまとめた。捕虜の口腔(こうくう)調査で訪問した軍医がその成果を記録する目的で後日、再訪問してロシア兵の生活習慣を記録した。日付は明治三十八年十二月十日になっている。

 写真集は、旧陸軍軍医学校に保管されていたが、第二次大戦の終戦前後の混乱で行方不明になっていた。

 写真には一枚ずつ詳細な説明がついており、約一万五千人が暮らした収容所内の炊事場、洗濯場のほかロシア正教とみられる礼拝所や学校が自主的に運営されていたことが分かる。

 ビリヤードやトランプを楽しむ遊戯室の風景のほか、散歩中に芝生に横たわったりする光景もある。

 手製のスマートボール(パチンコ台の原型)などでの賭博で浪費したため、資金を調達しようと闇市を開き、日本人から仕入れたたばこなどの日用品を売買するなど、自由闊達(かったつ)な日常生活の様子も克明に記録されている。

 防衛研究所図書館資料室の原剛調査員の話「ロシア兵捕虜に対して、松山収容所のみならず、習志野など全国の収容所でもハーグ条約を守り、手厚い待遇を行っていたことを示す貴重な一次資料。最初の収容所だった松山では、大本営が内外の宣伝用に撮影した写真記録が残っているが、他ではまれ。賭博や闇市まで許されていた自由な捕虜の生活がにじみ出ていて、日本の厚遇が確認でき意義深い」



≪習志野捕虜収容所≫ 日露戦争で松山を皮切りに全国に29あった収容所の1つ。大阪の浜寺(約2万2000人)に次いで多い約1万5000人の捕虜が収容された。将校はおらず、全員が下士官兵だった。練兵場にバラック建ての兵舎75棟を3つの区に分け、2つにロシア人、残り1つにユダヤ人、ポーランド人、タタール(モンゴル系)人らが生活していた。医務室も併設され、衛生管理も行き届いていた。
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by unkotamezou | 2005-11-13 05:00 | 國防 軍事