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平成の大修理 出雲大社 半世紀ぶり遷宮
平成の大修理 出雲大社 半世紀ぶり遷宮

 “縁結びの神様”として知られ、記紀の「国譲り」神話にも登場する島根県出雲市の出雲大社(千家尊祐(せんけたかまさ)宮司)が遷宮(せんぐう)を行う方針を固め、文化庁と協議に入ることが六日、分かった。平成二十年春にご神体をうつし、国宝・本殿の大修理に着手、八足門など他の重文建築物も修理する。完成には数年かかる見通しで、昭和二十八年以来、半世紀ぶりの大事業となる。

 高さ二十四メートルの本殿は「大社造り」と呼ばれ、国内の代表的な神社建築様式の一つ。屋根には厚さ約一メートルの檜皮葺(ひわだぶ)きが施されているが、前回の屋根替えから半世紀が過ぎ、外観から傷みが分かるほど老朽化が進んでいることから、改修することになった。

 一枚の檜皮は長さ九十センチ、幅十センチ、厚さ数ミリ。他の神社より十五センチ長いという。改修には数万枚必要で、全国から集める。全体の改修費用は二十億-三十億円かかる見込みという。

 大社側は近く「出雲大社ご遷宮奉賛会(仮称)」を立ち上げ、島根県文化財課を通じて来年二月に文化庁のヒアリングに臨む。

 現在の本殿は、江戸時代中期の延享元(一七四四)年に造営。その後、文化六(一八〇九)年、明治十四(一八八一)年、昭和二十八(一九五三)年と、ほぼ六十年に一度の割合で屋根の修理を主にする遷宮が行われている。

 文化庁文化財部は「出雲大社の意向はうかがっている。本殿は巨大な建物で、大事業になる。予算も限られているので、修理の緊急性などをみて全国的視野で判断する」と話している。

 出雲大社は大国主命(大神)を祭っている。詳しい起源は不明だが、少なくとも六五九年に造られたとされ、平安-鎌倉時代には社殿の倒壊、造営が繰り返されたことが多くの史料に記されている。平成十二年に三本を束ねた直径三メートルの巨大柱が出土、平安末期には現在の二倍の高さ約四十八メートルの高層神殿であったことが有力になった。

 藤岡大拙・元島根女子短大学長(日本史)の話 「大国主命は、出雲のなかで断然の中心を占める存在。遷宮時には、巨大な本殿の上にある千木(ちぎ)も一時的にとりはずされると思うので、高さ論争の新たな手がかりになるかもしれない。日本建築史の観点からも注目を浴びることだろう」

 ■遷宮 神社の本殿の造営、修理に際し、ご神体をうつすこと。出雲大社の場合、伊勢神宮のように20年ごとに行われる式年遷宮ではなく、倒壊や傷みなどに伴い、その都度、造営(修造)遷宮が繰り返され、計25回の記録が残っている。
by unkotamezou | 2005-10-06 15:00 | 歴史 傳統 文化