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千島に感謝の日の丸 今月末、占守島で最後の遺骨収集
千島に感謝の日の丸 今月末、占守島で最後の遺骨収集

 太平洋戦争終結3日後の昭和20年8月18日、千島列島最北端の「占守(しゅむしゅ)島」に侵攻したソ連軍と旧日本軍が激戦を繰り広げた「占守島の戦い」。今月末、同島で元兵士や遺族が参加し、遺骨収集が行われる。遺族らの高齢化で最後の遺骨収集になるとみられるこの慰霊の旅に、戦闘で命を失った戦車第11連隊の須田謙吾少尉=当時(29)=のおい、須田一彦さん(64)=兵庫県西宮市=が参加する。須田さんは「60年を経て、ようやく霊を慰められる」と話した。

 終戦が成立していた60年前の8月18日未明、占守島対岸のカムチャツカ半島からソ連軍が島北端に上陸を始めた。旧日本軍の島の守備隊だった11連隊は武装解除を進めていたが、砲撃を聞き、再武装して島南部から北端の前線へ出撃。しかし、須田少尉は戦車の故障などで激戦地にたどりつけなかった。

 旧日本軍は、上陸したソ連軍を水際で食い止めたが、戦闘は21日に終結。死亡者は3日間で日本軍約370人、ソ連軍は3000人以上にのぼったとされる。

 11連隊も連隊長をはじめ96人が命を落とした。須田少尉は停戦の報が入ると短銃で頭を撃ち自決。須田さんは「叔父は連隊長を尊敬していたと聞いています。死に場所を失って、戦友や上官の後を追おうと思ったのでしょう」。

 須田さんは父、芳郎さんから、命を絶った須田少尉の話を聞かされて育った。占守島での遺骨収集事業は平成7年にも行われたが、その際、芳郎さんは高齢のため断念。「いつかは(占守島に)行き慰霊をしたい」と話していたが、平成14年に他界した。

 戦後60年の今年、当時の戦友会を通じ、8月29日-9月11日に遺骨収集を実施するとの通知が届いた。「自決した叔父はどのくらい無念だったか。父の分まで慰霊してあげたい」と参加を決意した。「その後の状況を考えると、もしあの戦いでソ連の南進を遅らせなければ、なし崩し的に日本は朝鮮のように南北分断されていたかもしれない」

 須田さんは、島に持っていくために、寺院で日の丸に筆で念仏を揮毫(きごう)してもらった。感謝の念を込めて、叔父の眠る北の大地に、この日の丸を埋めるつもりだという。

08/19 08:28
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by unkotamezou | 2005-08-19 08:28 | 國防 軍事