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幻のB二十九迎撃機、四十五年八月完成 技術はカローラへ
幻のB29迎撃機、45年8月完成…技術はカローラへ

 太平洋戦争末期、米軍の大型爆撃機B29により焦土と化した東京の下町の一角で、B29迎撃用の新型戦闘機がひそかに試作されていた。「キ94(2型)」。

 設計者は戦後、トヨタ自動車でカローラなどの開発に携わった長谷川龍雄さん(89)(世田谷区在住)だ。終戦から60年、歴史の中に埋もれていた幻の戦闘機に光を当てようという動きが出てきている。

 国鉄(現・JR)常磐線金町駅(葛飾区)北口に広がるアシが生い茂る湿地。そこに、高さ約3メートルのトタン塀に囲まれた建物がぽつんと立っていた。航空機メーカーの立川飛行機が開発したキ94の試作機のテストや組み立ては、1944年11月ごろから、この旧紡績工場の中で続けられていた。

 工場内では、地元住民が工員と一緒に作業にあたった。葛飾区東金町の浜田福子さん(88)、山口快(よし)子さん(77)の姉妹は「大勢で1列に並んで、翼などにリベット打ちをやるんです。とにかく大きな飛行機でした」と振り返る。設計主務者(チーフエンジニア)の長谷川さんは、埼玉県大宮市(当時)に疎開した設計班と工場の間を行き来しながら、全体の進行を指揮していた。

 「米軍が高い高度の空を飛べる大型爆撃機を開発中」という情報を、日本の航空機開発者は早い段階からつかんでいた。東京帝国大学航空学科を卒業して立川飛行機に入った長谷川さんは43年1月、陸軍航空本部に勤務していた後輩から、直接話を聞いている。後には情報機関が入手したとみられるB29の精密な三面図ももたらされた。

 43年6月から正式に始まったキ94の開発は、B29を迎え撃つことに主眼が置かれた。上空1万メートルという高高度を飛ぶ飛行機には特別な装置や工夫がいくつも必要で、当時の日本の航空機は、高い空では満足に戦えなかった。空襲の激化による部品調達の遅れに悩まされながら、開発は長谷川さんら20歳代の若者たちの熱意を推進力に進められた。

 「東京大空襲など、B29の焼夷(しょうい)弾爆撃で市民が大勢、焼け死んでいた。申し訳なくて、こんちくしょう、何としても早く作って米軍側を怖がらせて、B29が来られないようにしたいと、いちるの望みを賭けていた」。今もB29の三面図やキ94の開発日誌などを大切に保管している長谷川さんはこう語る。

 キ94の1号機は45年8月14日に完成した。2日後に千葉県松戸市の飛行場に運んで試験飛行をする予定だったが、その機会は永久に来なかった。完成翌日、戦争は終わった。

 長谷川さんは戦後、トヨタ自動車に入社。負荷計算や風洞実験などの手法を生かして名車を作り、次々と世に送り出した。キ94の開発で培われた技術は、長谷川さんを通して戦後の日本の繁栄につながった。(中村剛)

◆20日から企画展◆

 「葛飾区郷土と天文の博物館」で20日から、キ94の開発の歴史をたどる企画展が開かれる。21日には長谷川さんも出席する座談会が予定されている。

2005年7月16日14時41分 読売新聞
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by unkotamezou | 2005-07-16 14:41 | 國防 軍事