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卓越した指導力、協会に痛手
卓越した指導力、協会に痛手

 二子山親方の闘病生活は長かった。

 平成15年10月、かねて患っていた両足の血行障害が悪化し入院。11月の九州場所は審判部長としての仕事を休み、治療に専念した。公務復帰となったのが3カ月後。そのとき、親方はこう打ち明けている。「足はだいぶ良くなったが、薬の副作用で口内炎ができた。しゃべるのが少し不自由している」。このとき、死因となった口腔底がんの前兆があったともいえる。

 その後、二子山部屋の名称を「貴乃花部屋」に変更、部屋経営は二男に任せ、親方自身は協会の仕事に専念した。

 ところが昨年7月には口内炎の悪化などの理由で再び入院したのをきっかけに、入退院を繰り返していた。

 公の最後の場となったのは、今年1月30日に行われた弟子の貴ノ浪の断髪式。以降、がんとの長い闘いを続けていた。

 二子山親方は力士育成の面でも協会に貢献した。相撲人気を回復させた若貴時代を生み出したのは、故人の手腕によるといっても過言ではない。それゆえ、NO・2の事業部長という要職にあった親方を失った痛手が協会に残る。しかし、協会としても長期闘病の間に態勢を整えていたことだろう。

 相撲人気が低迷している今、力士への指導力不足も指摘されている。故人のようながんこさと熱心さ、それに病床でがんと一生懸命闘ったような忍耐強さが親方衆にも求められる。(松本恵司)
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by unkotamezou | 2005-05-31 05:00 | 歴史 傳統 文化