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二子山親方死去 土俵際の魔術師 大関在位最多五十場所
二子山親方死去 土俵際の魔術師 大関在位最多50場所
粘り身上「角界のプリンス」

 どんなに大きな相手でも立ち合いに決して逃げたりせず、100キロそこそこの体で常に真正面からぶつかっていった元大関貴ノ花の二子山親方が、今回も発症率1、2%といわれる珍しい病気に見舞われながら、逃げず、全力で闘い、今度ばかりは敗れ去った。2月19日に55歳になった。まだ若い。さぞ無念だったろうが、ある意味ではやっと安息の時を迎えたといえそうだ。

 大相撲の世界に飛び込んだのは15歳2カ月の時。中学時代に水泳の選手だったが、「水泳ではメシが食えない」の有名なコメントを残した。だが、これはウソ。母・きゑさんに「力士になれ」と勧められたからだ。

 実兄は元横綱初代若乃花。相当なプレッシャーがあったが、努力ではねのけ、18歳ちょうどで十両、18歳8カ月で入幕と、当時の最年少記録を次々と樹立した。のち北の湖、そして実子の貴乃花にいずれも破られたのも何かの因縁か。

 身長は183センチあったが、体重は最高時でも121キロしかなかった。素質も兄には劣った。それでいて大関に昇進、現在でもまだ破られていない大関在位50場所の記録を残したのは、まれにみる粘り強さだ。

 「体がないから最後まであきらめない相撲を取るしかないんだ」の信念通り、ハラハラ、ドキドキのサーカス相撲。足を取られながらも粘りに粘って逆転勝ちした大関清国戦(昭和46年秋場所6日目)、体が完全に下になりながらのしかかる体勢の横綱北の富士が「かばい手」として右手を先についた一番(同47年初場所8日目、貴ノ花負け)などは貴ノ花の真骨頂の相撲である。

 205キロの高見山と対戦するときは、半分の体重の貴ノ花がいまにもポキンと折れてしまいそうだったが、これも粘って逆転の投げ技と、お客さんが喜ぶ取り口をつねに見せてくれた。アマ横綱、学生横綱の華々しい看板を引っさげてプロ入りした輪島が当時大相撲のメッカである蔵前をもじって「蔵前の星」と呼ばれたのに対し、貴ノ花は「角界のプリンス」。

 仲のいい2人が同時に大関昇進、相撲人気をあおったのもわすれられなければ、昭和50年春場所、北の湖との優勝決定戦に勝って初優勝したとき、当時、審判部副部長だった兄の二子山親方から優勝旗を授与され「血管の血が逆流するようだった」といわしめたことも、歴史に残る出来事だった。

 引退後は藤島部屋を創設。自身が果たせなかった横綱への夢を、実子の三代目若乃花、貴乃花兄弟を育てることによって実現。大関貴ノ浪以下安芸乃島、貴闘力らの人気力士を輩出した。

 空前のブームを生んだ若・貴時代、その生みの原動力となり、現役時代からずっと通して相撲界に貢献してきた功績は計り知れない。

 物心ついたころから母親とともに兄の世話で上京、東京育ちだが、本籍の青森人らしく口の重さを持っており、話し上手ではないが、ボソボソとした語り口ながら誠実さを持ち合わせている。

 兄・二子山親方の定年引退に伴う年寄名跡譲渡問題や、自らの離婚問題などで世間を騒がせたが、それも人気者ゆえの注目度の高さから。

 今はすべてから解放され、ご苦労さん、ゆっくりと休んでくださいといいたい。(早乙女貞夫)

≪北の湖理事長、沈痛な面持ち≫

 二子山親方死去の報を受けた日本相撲協会の北の湖理事長(元横綱北の湖)は30日、東京都江東区の北の湖部屋で「5時50分ごろ、貴乃花親方から電話があった。貴ノ浪の引退相撲の時に会ったのが最後。その時はよくなると信じていたが、つらそうな顔をしていた」と沈痛な面持ちで語った。

 現役時代は軽量の貴ノ花の前に、文字通り大きな壁として立ちはだかったが、昭和50年春場所の優勝決定戦では敗れた。「一番の思い出。天井が見えなくなるくらい座布団が舞ったのを覚えている」。親方としての手腕も「横綱2人、大関1人を哲学を持って育てられた」と高く評価した。

 相撲協会葬、事業部長の後任については「近いうちに理事会を開かなくてはいけない」と話した。

◆ 九重親方(元横綱千代の富士)「大変残念。昔からあこがれていた方だった。自分と戦った後に二子山親方が引退を決められた一番はとても印象に残っているし、勝ったことで後の自分の自信にもなった。力士人生のなかでも、一番影響を受けた方だった」

◆ 王貞治・ソフトバンク監督「現役時代は体も小さく、初代若乃花の弟として重圧もあったでしょうが、当時の角界を背負って立つ素晴らしい力士だった。引退後、子供たちを最高位にまで育て上げ、たくさんの力士を輩出したのは卓越した指導力のたまものだったと思う」

≪AP通信も打電≫

 二子山親方の死去は30日の東京発のAP通信も伝えた。親方を「相撲のプリンス」として知られたと表現。相撲界の名門出身の元大関が亡くなったとし、「非常に有名な兄弟」の若乃花、貴乃花の父親であることなどを紹介している。

【二子山親方が育てた主な力士】

最高位 力士名   主な成績

横 綱 貴 乃 花 優勝22回
横 綱 若 乃 花 優勝5回

大 関 貴 ノ 浪 優勝2回
関 脇 貴 闘 力 優勝1回、三賞14回
関 脇 安芸乃島  三賞19回、金星16個

前頭1 豊 ノ 海
十両6 五 剣 山

(注)安芸乃島の金星16個は史上最多

【故二子山親方の年表】

昭40・夏  初土俵
 43・春  新十両
    九  新入幕
 45・秋  新三役
 47・秋後 大関昇進

 50・春  幕内初優勝(13勝2敗)
    秋  2度目の優勝(12勝3敗)
 56・初  引退
 57・1月 藤島部屋創設
 63・春  長男・勝、二男・光司が入門

平 5・2月  二子山部屋に変更
  6・九後  光司が横綱昇進
 10・夏後 勝が横綱昇進
 16・2月 協会の事業部長就任

■二子山満 昭和40年夏場所、初土俵。左四つ寄り、上手投げ、つりを得意とし、幕内優勝2回、殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞4回。大関在位50場所は史上最多。幕内在位70場所の成績は578勝406敗58休。
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by unkotamezou | 2005-05-31 05:00 | 歴史 傳統 文化