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二子山親方死去「師弟の絆」固く 息子に託した大輪の夢
二子山親方死去 「師弟の絆」固く 息子に託した大輪の夢

 二子山親方(元大関貴ノ花)が入院先の病院から国技館に駆けつけたのは一月三十日。元大関貴ノ浪関の断髪式に、十分遅れて到着した。正面西の花道にその姿をみつけ、貴ノ浪関はこらえきれずに涙を流した。呼び出しの肩を借りながら土俵に上がった親方は、弟子の大いちょうに震える右手ではさみを入れた。これが公の席での最後の姿だった。(小田島光)

 「来てもらいたい人が来てくれた。ありがたいことです」。病をおして新たな門出を祝ってくれた師匠に、弟子は素直に感謝した。

 貴ノ浪の断髪式を終えたあと、二子山親方は病状報告のため、理事長室を訪れた。このときも、弟子たちが付き添っていた。

 力士の育成には定評があった。誕生させた関取(十両以上)は七人。元安芸乃島関(現千田川親方)が第一号だった。弟子からの信頼も厚かった。

 しかし、何にも増して、厳しいしきたりが残る相撲社会の中で、苦節ありながらもはぐくんだ“親子の絆(きずな)”が、印象に残る。

 二男の貴乃花親方が父のがんを公表した。「私が手を握っていますと逆に握り返し、体を起こすかのようなしぐさを繰り返し行います。改めて父子のつながりを深く抱いている次第です」。心にしみた。

 二子山親方は現役時代、竹刀を持つ兄・元横綱初代若乃花の容赦ないけいこに耐えた。血統のよさゆえに、他の力士のねたみを買い、土俵の砂を口にほうり込まれた。

 辛苦の末につかんだ三役の座。昭和四十六年夏場所五日目、熱戦の末に大鵬関を寄り倒し、大横綱を引退に追い込んだ。勝っても負けてもファンを沸かせる土俵の華となり相撲人気を盛り上げた。

 だが大輪を咲かせることはできなかった。大関在位は史上最多の五十場所。ついに横綱になれなかった苦闘の跡である。夢は息子に託した。「もう親と子ではない。師弟の関係だ」と言って土俵に送り出した長男・勝さん、二男・光司さんに一日百番の猛げいこを課した。

 貴乃花関が関脇に昇進したころ、記者は会社の要請で若貴兄弟本出版の許可を得ようと、二子山親方を訪ねた。親方は行き付けの飲み屋に記者を誘い、こう言った。

 「大関になるまで、待ってください。一人前になるまで」。角界で一人前とは関取になることをいう。ところが親方は自分と同じ番付に昇進するまでは、息子を一人前とは認めなかった。息子たちは横綱になっても「父を超えることは一生ない」と言った。

 憲子さんとの離婚、息子たちのけんか、二子山部屋の内紛…。ごたごた続きは本意でなかったろう。そして、長い闘病生活。耐え続けた人生だった。
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by unkotamezou | 2005-05-31 05:00 | 歴史 傳統 文化