ブログトップ
「悲運の中隊」旧日本兵二人の足跡
「悲運の中隊」旧日本兵2人の足跡 自活自戦…消息絶つ

 フィリピン・ミンダナオ島で生存しているとみられる旧日本兵の山川吉雄中尉(87)、中内続喜(つづき)上等兵(85)が地獄絵図のような戦闘状況から、どのようにして消息を絶ったのか。師団関係者の記録や証言から二人の軌跡を追った。

 二人が所属した旧陸軍第三十師団捜索第三十連隊の生存者でつくる「捜30ミンダナオ会」が編纂(へんさん)した「ミンダナオ島」には、山川さんが不明になるまでの足取りが詳細に記されている。

 それによると、山川さんが中隊長を務めた捜索第三十連隊第三中隊は昭和二十年四月二十二日、島北部のダルリグで米軍の爆撃で、大きな被害を受けた。その後、マライバライ、カバングラサンと移動。行軍は苦難続きだった。「北カパロン転進隊」と呼ばれる部隊五十数人のうち同年十二月、米比軍に投降したときには七人になっていた。師団関係者は「悲運の中隊」と表現する。同書では、生存者の証言を基に次のように描いた。

≪煙のある処に食物があると、煙を目標に道もない稜線を3日程かゝって降りて行った。そのキツイ事、云い表し様がない。(中略)全員が脚気に罹り、足に掛るツタカズラさえも踏み越える事が出来なかった≫

 行軍の途中、体力が衰えた山川さんは不調を訴え、ほかの隊員は山川さんともう一人を残し、食べ物を探しに出掛けた。食べ物を見つけ、山川さんら二人を待ったが、そのまま二人は姿を見せなかった。

 同連隊の男性(87)によると、部下が山川さんを捜しに戻ると、河原の石の上に山川さんの軍服の上着が広げてあったという。

≪前後の状況から推測して、中隊長の最後は八月二十日と思われる≫

 同書ではそう記されている。

 一方、中内さんが不明になった詳細は分かっていない。捜索第三十連隊で同年兵だった森義友さん(85)によると、中内さんは同年四月ごろから、島北部のブゴで海水から塩を製造する製塩班に所属していたことが分かっている。

 同年五月一日、仲間とともに塩を師団司令部があったマライバライへ移送。そのまま中内さんは消息を絶ったという。「司令部は偉い人ばかりだったから、下の者が到着したので、そのまま中内さんが警備兵になったのではないか」。森さんはそう推測している。

 司令部があったマライバライはその後米軍に占領され、師団は食糧を自ら補給しながら戦いを続ける「自活自戦」を強いられた。そのさなか、中内さんは行方不明になったとみられる。

 別々に山中で行方不明になったとみられる山川さんと中内さんがどこで知り合い、どうして六十年もの間、行動をともにしていたのか。多くの師団関係者が疑問だ、としている。

産経新聞 2005-05-29 12:25
[PR]
by unkotamezou | 2005-05-29 12:25 | 國防 軍事