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戦友「奇跡の生還」心待ち
戦友「奇跡の生還」心待ち 温厚な中隊長/最古参の上等兵 旧日本兵生存

 温厚な中隊長。最古参の上等兵。フィリピン・ミンダナオ島で生存情報の確認作業が続けられている旧日本兵を直接知る戦友の遠い記憶からは、二人の人柄が浮かんでくる。「ご苦労さん」「一日も早く帰国を」。老いた戦友たちは、二人に直接言葉をかける日を心待ちにしている。

 「軍人特有のしかつめらしいところのない、温厚な方でした」

 旧陸軍第三十師団の第三十連隊の元中隊長で元中尉、山川吉雄さん(87)=大阪市西区出身=の部下だった岡山県真庭市の元製パン業、花森賢一さん(86)は話す。

 山川さんは朝鮮・京城(現韓国・ソウル)郊外の第二十師団にいた昭和十八年、朝鮮・平壌で三十師団が編成され、転属した。一期後輩だった大分県別府市の元会社員、杉田茂さん(87)は「人づき合いがよく、まじめな人でした」と振り返る。

 同連隊の二つの自動車部隊が各約百五十人の兵員を擁したのに対し、山川さんの軽戦車部隊は四十八人だったという。平壌からミンダナオ島へ移動中、台湾南方で輸送船が沈められ、現地では三台ほどの戦車と、米軍から押収した二台でしのいだ。部下たちもほとんどが戦死した。

 連隊の別の中隊の将校だった男性(87)は平壌時代、将校集会所での会議を兼ねた昼食で山川さんと顔を合わせた。「部下は九州と広島出身者ばかりで言葉も雰囲気も違ったから、大阪出身でおとなしい山川さんが部下を束ねるのは、しんどかったろう」と話す。

 高知県明治村(現越知町)出身の元上等兵、中内続喜さん(85)の部下だった兵庫県三木市の元刃物製造業、光川得三さん(81)は「厳しいところもあるし、優しいところもある先輩やった」と話す。「わしは初年兵で気合を入れられた方だったから、よう覚えとる」

 名前は「つづき」と読むが、最古参兵だった中内さんのことを仲間たちは「ゾッキ、ゾッキ」と愛称で呼んだ。

 戦後、同じ高知出身だった上官が復員して中内さん宅を訪ねると、両親と妻はすでに転居していたという。

 花森さんは「今回はびっくりしました。奇跡ですな。原始的な生活でかなり難儀されたと思う。お二人もお年ですから、国に早く帰ってこられる方策を考えてもらい、一日でも早く帰って内地の生活になじんでもらいたい」と話していた。

《地元紙も大きく報道》

 【ゼネラルサントス(フィリピン・ミンダナオ島)=大地山隆】旧日本兵三人の生存がほぼ確実視されているフィリピンでは、地元紙も二十八日付でこのニュースを大きく取り上げた。

 英字紙「フィリピン・デイリー・インクアイラー」は、一面で「日本兵生存者とみられる二人が目撃された」と報じ、馬に乗る中内続喜さんと、中内さんの墓を訪ねた義妹の写真を掲載。「二人から事情を聴くため、日本大使館員がミンダナオ島のゼネラルサントスに入った」と伝えた。
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by unkotamezou | 2005-05-28 15:00 | 國防 軍事