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「兄さん本当なの」「遺骨」も戻り故郷に墓まで
旧日本兵、比で生存「兄さん本当なの」「遺骨」も戻り故郷に墓まで

 八割近くが戦死・行方不明と過酷な運命をたどったフィリピン・ミンダナオ島の旧陸軍第三十師団「豹(ひょう)兵団」の旧日本兵生存の報。戦後六十年を経て、すでに親族らも高齢で、記憶をたどりながら思い出を語り、さらなる情報を願った。

 中内続喜(つづき)上等兵(85)の出身地の高知県越知町(旧明治村)に住む義妹は、終戦前に中内さんの「戦死」を伝えられ、「遺骨」が戻ってきた日のことを記憶している。

 「義理の母や夫が生きていれば、喜んだでしょうに。元気に生きてらしたんですね」。亡くなった弟の妻、淑子さん(75)は、静かに語った。

 越知町によると、中内さんは昭和二十年六月十七日、「戦死」のため除籍された。九人兄弟の七番目の四男。母親は、二十年ほど前に亡くなっているという。

 中内さんの墓は、戦没者の墓が集められた越知町内の墓地にある。墓石には「昭和二十年六月十七日戦死 陸軍伍長 中内続喜墓」と彫られている。

 近くに住む大原美恵子さん(88)は「母親は生前、墓の世話を欠かさなかった」と振り返った。

 淑子さんは数年前、中内さんの戦友から「ミンダナオ島で亡くなった中内さんが生きている可能性がある」と書かれた手紙を受け取っていた。「生きて帰ってこられるかどうかわからないので黙っていてほしい」とあったため、これまで周囲に語ることはなかったという。

 山川吉雄中尉(87)の弟で大阪府東大阪市の小野善三郎さん(82)は、自宅でインターホン越しに「顔を見るまでは分からんが、帰ってきたら『よう元気でいたな』と声をかけたい」と語った。

 五つ違いの小野さんの元に「兄生存」の情報がもたらされたのは今年二月。小野さんは「まだ本人かどうか分からない。『六十年ぶりに生きていた』というけれど、現地人と結婚していたら家族の面倒も見なければならないだろうし、心配もある」と複雑な心境を明かした。

 新たに生存情報が伝えられた桜井令一中尉(93)は兵庫県加古川市の出身。当時「志方村」と呼ばれた田園地帯で育った桜井さんは、そこで子供時代を過ごした。小学校時代の知人の男性(90)によると、桜井さんの実家は地元でみそなどをつくる麹(こうじ)店を経営していたらしい。現在は家も取り壊され、親戚(しんせき)も残っていない。

 同師団の生存者でつくる「豹の会」会長を務める市川豪弌(ごういち)さん(89)によると、同師団は結成当時、約一万六千人の構成。このうち、日本に生還したのはわずか約三千人。二人が所属していた捜索第三十連隊では四百七十三人のうち、生き残ったのは百八十六人だった。

 生還を果たした約三千人の兵士たちも今生きているのは「五百人ぐらいじゃないか」(市川さん)。すでに終戦から六十年。生還した元兵士たちも、その多くが亡くなった。
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by unkotamezou | 2005-05-28 05:00 | 國防 軍事