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「戦死」から六十年親族ら喜び
「戦死」から60年親族ら喜び 比で旧日本兵生存

 「亡くなったはずのあの人が生きていた」-。フィリピン・ミンダナオ島で現地当局に保護された、旧日本兵の山川吉雄・元中尉(87)と中内続喜・元上等兵(85)とみられる男性二人。親族ら関係者は、戦後六十年を経て伝えられた知らせに、驚きや歓喜の声をあげた。中内さんの出身地の高知県越知町(旧明治村)に住む義妹は、終戦前に中内さんの「戦死」を伝えられ、「遺骨」が戻ってきた日のことを記憶。山川さんの弟は「『よう元気でいたな』と声をかけたい」と話した。

 「義理の母や夫が生きていれば、喜んだでしょうに。元気に生きてらしたんですね」。中内さんの亡くなった弟の妻、淑子さん(75)は、静かに喜びをかみしめていた。

 越知町によると、中内さんは昭和二十年六月十七日、「戦死」のため除籍された。九人兄弟の七番目の四男。母の保恵さんは、二十八年前になくなっているという。

 中内さんの墓は、戦没者の墓が集められた越知町内の墓地にある。墓石には「昭和二十年六月十七日戦死 行年二十九歳 陸軍伍長 中内続喜墓」と彫られている。

 淑子さんは子供のころ、戦死した中内さんの遺骨が集落に帰ってきたときのことを覚えていた。「確かみんなでお迎えしました。続喜さんと話したことはないけれど、色が黒くて、やさしい人だったというのを聞いたことがあります」

 また、母の保恵さんについて近くに住む大原美恵子さん(88)は「生前、墓の世話を欠かさなかった」と振り返った。

 実は、淑子さんは数年前、中内さんの戦友から「ミンダナオ島で亡くなった中内さんが生きている可能性がある」と書かれた手紙を受け取っていた。驚きとともに読み進めると「生きて帰ってこれるかどうかわからないので黙っていてほしい」とあったため、これまで周囲に語ることはなかったという。

 また、越知町の吉岡珍正(うずまさ)町長(64)は、中内さん生存の可能性を知らせる一報に「信じられない」と驚くとともに、「身元が確認されれば、親族と話し合い、本人が帰国を希望しているのなら、受け入れなど対応を決めたい」と話した。

 一方、山川さんの弟で大阪府東大阪市の小野善三郎さん(82)は二十七日午前、自宅でインターホン越しに「顔を見るまでは分からんが、帰ってきたら『よう元気でいたな』と声をかけたい」と語った。

 七つ違いの小野さんの元に「兄生存」の情報がもたらされたのは今年二月。小野さんは「まだ本人かどうか分からない。『六十年ぶりに生きていた』というけれど、現地人と結婚していたら家族の面倒も見なければならないだろうし、心配もある」と複雑な心境を明かした。

 また、二人が所属していた旧陸軍第三十師団の仲間たちも、過酷な戦闘を知るだけに、ひとしおの感激に浸った。

 広島県福山市の永井啓三さん(84)は二十七日朝、「二人生存」の報道を知り、「六十年かあ、大変じゃなあ」と思った。自身は昭和二十一年末に復員。「帰国したら『よく無事でいらっしゃった。ご苦労さまでした』と声をかけてあげたい」と話した。
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by unkotamezou | 2005-05-27 05:00 | 國防 軍事