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世界史からみた日本 後編
『世界史からみた日本』後編

日本という国の特殊性について、もう少し合理的な説明をすると、ユーラシア大陸との距離が実に絶妙だった。要するに、進んだ文明は入って来るが、それによって異民族も日本に入ってきて殺されるということはなかった。

シナの文明、昔でいえば漢から、色んな文明が入ってくる。しかし、実際の人がきて日本人をやっつけるというところまでなかなかいかなかった。

元朝の時、モンゴルが来て困るんですが、本当に日本がピンチになるのは幕末です。

ロシアが来て、アメリカが来て、イギリスが来て、フランスも来て、それで近代国家にならないと潰されるというところになって日本は近代国家を作るわけです。

文明のエッセンスは入ってくるけれども、実際に文明を持っている人間が入ってきて、支配するということはなかった。日本人はシナ大陸でできた文明を時間をかけてじっくりと消化してきた。

抽象的な思考とか、普遍的な思考。それから文物もそうです。そういったものを徐々に蓄える事ができた。

近代になってからも徐々に西洋の力を吸収することができたと思います。工業化ということを考えても、明治維新の時、日本とヨーロッパはそんなに力が離れていたとは思いません。

商業的システムにしても江戸時代は非常に進んでいました。日本とヨーロッパはほとんど平行進化だということです。

本当の自由とか、人間の名誉とかそういう感覚というものを、人間の歴史の中でつくりえたのは日本とヨーロッパだけなんです。

神話とか民族性ということでは違うけれども、国民国家をつくったということです。一歩下がりますと本当の封建時代があったということです。

本当のフューダリズム(封建制)というのは権力の分散統治ということです。日本だったら、三百諸候がいてそこに独自の文化があり、この統治を完全に藩がやっていた。

ヨーロッパも地方の諸候がいて、自治をするというシステムが中世からずっとあった。絶対権力者の下には奴隷しかいない、というシステムじゃなくて、近代の自由とはいわないけれども大衆が自治をしていた。

それが近代の自由とよばれているもののゆりかごで、そこから自由というものが生まれてきたといわれています。

技術の面でいうと、日本は江戸時代の前は一時期、世界一の鉄砲の生産国だったんですね。そのくらい、鍛冶屋さんの能力というのは進んでいた。

島津斉彬が薩摩に帰て、蒸気船みたいなのを作ってみろと言ったら、鍛冶屋さんがのろのろだけれども走る蒸気船をなんとか作っちゃったという話があります。原理らしいことがわかれば、だいたいそのくらいのことが出来ちゃう技術力があった。

それから、日本の法治主義というのは明治維新以前からずっとあった。

ヨーロッパ近代デモクラシーの起源は千二百十五年、マグナカルタ(大憲章)です。近代のデモクラ
シーは、いきなり国民大衆が出てきて統治に参加したわけではないですよね。イギリスは地主貴族による合議政治がもとになって封建領主デモクラシーです。

当時、すでに武家の間で実際にやっていた現実の法規範を成文化したのが貞永式目です。わからない事に関しては合議でやる。そして判例を作る。

イギリスでいえばコモンローなんです。実際に社会で機能している普遍的な規範を成文化しただけなんです。鎌倉幕府の政治が非常に法治的であったということなんです。

それから、江戸時代が大変な法治社会であったということも大事な点だと思います。明治になって憲法が発布されるわけですが、近代の法治主義がそこからはじまったと考えるのは大変な間違いです。

法治主義じゃない世界にいきなり憲法だけつくったって空理空文で、できるわけないんです。江戸時代が相当な法治社会だったという前提があるから、法治という言葉が生きてくる。

江戸時代、幕府直轄の商業都市には公事師というのがいて、町人のために目安、訴状をしたため、代理で出廷もしていた。

正式の職業でも資格でもありません。公事師ということで法廷のやり取りになれているというので、悪徳公事師が出てくるくらい訴訟社会だったということです。すでに江戸時代に弁護士制度があったという事です。

徳川政府が強い時には、天皇は京都に閉じ込められて力はなかったかもしれないけれども正当性としては征夷大将軍という位は常に天皇陛下からもらう位だった。

西洋とも折り合って成文を作らなくてはいけないというので、今まであった法を形にして明治憲法を作った。憲法に天皇と書いてあるから天皇という権威があるんじゃない。憲法は言葉にされていなかった国体を言葉で表したという点が一番大事なところです。

工業化も明治維新の頃、ヨーロッパとの差はせいぜい五十年くらいの違いだけだったというような感覚でみますと、我々の変なコンプレックスも無くなります。

日本が特殊だというのは、実は日本が特殊なのではなくて日本が普通なんだ。日本に本当の人間の生きる道が残っているんだということです。

日本がなくなっちゃうと、世界中で自然発生的な国家は一つもなくなっちゃうじゃないか。

そういう意味で我々は理解されにくいということもわかった上で、なおアメリカやヨーロッパと一緒にやっていけるという自信を持って、この世界の動乱に臨んでいくべきではないか。そういうことを考えております。

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by unkotamezou | 2005-04-15 02:19 | 歴史 傳統 文化