2005年 04月 14日
世界史からみた日本 前編
『世界史からみた日本』前編
日本人は、世界の中で非常に孤立感のある民族です。 日本にしかないというものの捉え方というのは、逆にいうと日本に無いから外国のものを崇拝するところがあったり、外国人にはかなわないというようなものの言い方になります。 ヨーロッパ人はヨーロッパというひとつの世界があって、ひとつの文明です。フランスとかイタリアは国としては別ですけれども言葉は近い。そういう感覚が日本人にはない。 サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、日本は一国一文明であると認めています。日本は単なる文化ではなくて、一国一文明ですから普遍性があるという事でしょう。 日本は戦争に負けるまでは帝国だったんです。台湾統治あるいは満州国なんかをみていますと、日本の文明は普遍性があって実際に機能するという事がわかります。朝鮮もあと三十年統治していれば、もっと日本化していたでしょう。 戦前の日本というのは樺太から台湾、南洋諸島まで領有していましたから、一民族どころか相当な数の民族日本帝国の中に住んでいた。しかし、基本は日本文化であり、日本文明です。 隣のシナは、国ではなくて一つの文明圏だと考えられます。今は国というより帝国です。軍事力によって他民族を支配しているシステムです。 一つの国というのは同じ言葉を喋って同じ生活様式があるという事です。広東とか福建とか四川というのはヨーロッパでいえば国の単位です。人口は七、八千万とか一億人いますし、言葉が違う。ただ、漢字という共通文化を持っているということです。 ヨーロッパはローマ帝国が滅びた後、国民国家といわれているものをつくってきた。フランス人はフランス語を話し、フランス料理を食べ、フランス人として一体性がある。 そういったものをシナはついに生み出せなかった。国民国家というものはシナの歴史上ない訳です。帝国か、全文明地域が乱れてしまうかということしかない。 広東省とか四川省とかが独立をしたら、文化が一体ですからある程度デモクラシーということも可能だろうし、近代国家を形成する可能性もあるんですね。 昔は王様というのは、そのまま神様の子孫という事になっていたわけです。だいたいは神様の子孫が王様で、その下に色んな人が集まって、自然に国みたいのができて、そこでそれぞれ役割分担をしながら、その民族の宗教を信じて暮らしていた。 そういう自然発生的な国家というのは全部なくなった。なぜそうなったかというと、異民族間の殺戮戦争です。 スペイン人はラテンアメリカに来て、殺戮戦争でインディオを殺してしまった。イギリス人は北アメリカに来て、インディアンを絶滅に追い込んでしまいました。 それから、ユーラシア大陸、シナ大陸でも同様です。コロンブス以来五百年というのは、西洋人が世界中の有色人種を殺して、生きているものは奴隷にしていった歴史です。 お互い嘘をつかないで、言った事は信じてまじめに仕事をやるというのが日本人のやり方で、非常にナイーブで人がいい民族です。 世界から見ると極めて騙されやすい、たぐい稀な民族です。なんでそんなに人がいいのかというと、異民族間の殺戮戦争をやったことがないという点につきると思います。 異民族間の戦争は皆殺しなんですね。だいたい、世界中そうなってしまったので、自然発生的な国家というものは全部つぶれて行った。 そして、民族間の殺戮戦争をしますと最終的に相手の神様を殺します。神様を殺しますから、より普遍性のある宗教しか残らない。 そういう意味で残ってきたのがいわいる一神教です。一番勝ったものの神様が勝っちゃうということになります。 今日、ラテンアメリカでも宗教で唯一残っているのはカトリックです。一部プロテスタントもいますけれども、キリスト教に完全に滅ぼされた。 世界中で生きた神話を持っている民族はユダヤ人と日本人のふたつしかないと思います。旧約聖書はユダヤ神話です。 新約聖書も本当はキリスト神話になります。ところが、直接、神話と関係ある人がキリスト教の世界にいるわけではありません。 ユダヤ人にとっては、旧約聖書が神話を生きて伝えていますが、イスラエルにはダビデ王の子孫もソロモン王の子孫もいません。 もちろん、日本という国はずっと遡っていくと古事記の世界、神様の世界になるわけです。そういう神話の世界があって、そして神武天皇が人皇第一代で人間になるわけです。別に昭和天皇がはじめて人間になったわけではないんです。 神話があって伝承があって、それからだんだん歴史に近い状態になってくるわけで、これがずっとつながって今の天皇陛下です。 同時に我々は自然の万物に霊性、霊魂が宿しているというような感覚があります。「悉有仏性」と仏教ではいいますけれども、仏教が栄えたのも、もともと日本人が万物に命がある。そこに霊があるという気持ちがあったからでしょう。 仏教が入ってきてから、神道とかいって色んな形式が整ってきたんでしょうけれども、我々の一番の心の奥底をずっと辿っていくと、縄文的な心性があります。 一木一草に全部命があり魂があるじゃないかという感覚があって、神社が一杯あって、そして日本神話、古事記の世界があって、神様だった家系がずっとつながってきている。そして神話が今に生きているわけですね。 大和民族というのは皇室の先祖になるような人達が神武東征で来たんですが、最終的に勝ったけれども、究極的な絶滅戦争をしなかったというのが特徴で、それぞれの潰した神様をも親類とかにして、どんどん輪っかみたいに連ねていったというのが日本神話の構造です。 だからいろんな神様がいますけれど、天照大神から出てきているという事になっています。 世界中、異民族間の殺戮戦争が起きる前は、全部日本みたいな国だったと思うんです。自然にコミュニティとか、社会が出来て、そこにご先祖が神様だというファミリーがいて、それがまつりごとをやっていて、そのまわりに結集して、それぞれが仕事を分業して生きている。 王様は別に威張るためにあるのではなくて、社会全体を維持させる結節点として存在していたんじゃないかと思うんです。ところが、そういうのはどんどんなくなっちゃった。 日本という国は、唯一残った自然発生的な国家が近代国家になり得た唯一の例です。その点で日本は神国なのかなあと思います。 続く 「厳喜=元気」がでるメルマガ 2005/4/14号
by unkotamezou
| 2005-04-14 02:07
| 歴史 傳統 文化
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