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誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代 五

発見
戦後派も揺さぶられ

 「大いなる秋田」の中では演奏のみの県民歌だったが初演から2年後の昭和45年6月県民会館で行われた東京交響楽団の演奏会で初めて歌われることになる。そこには戦前世代の強い意志が働いていた。

 同交響楽団を指揮した佐藤菊夫さん(80)=秋田市生まれ東京都世田谷区=は「私自身土崎小学校時代に県民歌を繰り返し歌い体に染み込んでいました。成田為三のあのメロディーは歌わなければ生きない。その思いで混声合唱に編曲しました」と語る。

 演奏会に合唱団「カンパネラコール」を率いて出演編曲にも加わった伊藤由雄さん(80)=秋田市土崎港=も「初演時から県民歌を歌いたいなあと思っていました。私たち戦前戦中派にとっては郷愁が強かったから」と振り返る。

 県民歌復活を望む声はそれ以前からあった。本県の音楽指導の中心にいた小野崎晋三・秋田大教授(故人)が県の「広報秋田」(昭和39年1月号)に「この一流人の作になる県民歌の復活を望み諸会合や教育の場でも歌われることを望んでやまない」と書いている。

 初演当時教職員組合の大曲仙北支部長だった細谷昭雄さん(83)=大仙市神宮寺=は「歌うことに躊躇していたなんてまったく意外です。県民歌は戦争とは関係無いし名曲ですもの。もめ事の種になりそうなことは避けたかったということじゃないですか」と話す。

 2番までの合唱付きで演奏された「大いなる秋田」は昭和46年5月には東京文化会館で佐藤さんの指揮で再演され在京の県人たちを感動させた。以来佐藤さんは首都圏での定期コンサートでほぼ5年に一度「大いなる秋田」を演奏している。

 こうやって県民歌の封印は解かれた。県内では初演から数年間県主催で「大いなる秋田」演奏会が中学や高校の吹奏楽部合唱団が参加して各地で開かれた。戦後世代はこの曲を通じて県民歌を初めて知ることになった。

 初演時高校の音楽教師として練習に立ち会った島森道邦さん(68)=大仙市角間川=は「出だしのユーフォニウム(金管楽器の一つ)の音が流れたときこの色合いの違うメロディーを石井歓さんはどこから引っ張ってきたのだろうと思いました。それが県民歌で成田為三の曲だとこの時に知りました。懐かしさや貴重さを別にして初めて聞いた者にも訴えるものがあった。成田という作曲者の力量なのでしょう」と話す。

平成二十二年十月三十日

誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代
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by unkotamezou | 2010-10-30 00:55