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誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代 三

似通う歌詞(下)
郷土愛は変わったか

 東京音楽学校に県が制作を依頼した県民歌は倉田政嗣の詞に高野辰之が手を入れ成田為三が曲を付けて完成。昭和5年10月30日県記念館(現在の県民会館の場所にあった)で開かれた教育勅語発布40年記念式で参列者が合唱した。

 高野は「故郷」などの小学唱歌を多く作詞した国文学者で東京音楽学校教授も務めた。成田は「浜辺の歌」で知られる北秋田郡米内沢村(現北秋田市)生まれの作曲家で同校卒業生。ドイツ留学も経験していた。倉田と成田は秋田師範の同期生でもあった。

 「山も湖もきれいで立派な学者も生んで。県民歌は新沢小学校(現由利本荘市下川大内小)の音楽の時間に教わりました。いい歌だと思いましたよ。あの時代は郷土愛がそのまま愛国心につながっていました」と話すのは秋田の近現代史に詳しい田口勝一郎さん(87)=県歴史研究者研究団体協議会顧問。

 田口さんが秋田師範学校に入学したのは昭和12年。秋田市保戸野にあった校舎2階の一室には土器や古文書などが展示されていた。県民歌の歌詞を審査した和田喜八郎が校長時代に開いた郷土室である。

 歴史や文化偉人を知ることで郷土を愛しその発展に寄与できる人材を育てようというのが昭和初期に盛り上がった郷土教育運動だ。その中心に和田がいた。

 田口さんは「師範学校の郷土室で歴史に興味を持ち私も大正寺小学校(秋田市雄和)の校長となったとき郷土室をつくりました。自分たちの先祖がどう生きてきたかを考えてみようという郷土学習の手掛かりにするためです」と語る。

平成二十二年十月二十八日

誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代
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by unkotamezou | 2010-10-28 00:33 | 歴史 傳統 文化