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誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代 二

似通う歌詞(上)
戦前の姿が鮮やかに

 県民歌は教育勅語の発布40年記念事業の一つだった。県が歌詞を公募し入選の5編を東京音楽学校(東京芸大の前身)に送って作曲を依頼した。歌詞の条件は「郷土愛を高調し県民意気を鼓舞」する内容であること。5編が昭和5年10月10日付の県報に載っている。

 入選者のうち3等の倉田政嗣(まさつぐ)(仙北郡横沢村現大仙市)は小学校教員を病気退職して療養中の身。佳作の1編は花岡尋常高等小学校(北秋田郡花岡村現大館市)名での応募だった。

 どちらも歌詞は4番まであり鳥海山や男鹿半島十和田湖などの名勝地を並べ鉱山や杉米など資源の豊かさを歌う。戊辰戦争で「錦の御旗」(官軍の旗)を掲げて戦ったことも誇る。花岡小の「平田佐藤の二柱」とは秋田が生んだ江戸時代の学者平田篤胤と佐藤信淵を指す。

 元花岡小学校教諭で県歴史教育者協議会の富樫康雄さん(75)=大館市=は二つの歌詞を見比べて「郷土愛を喚起するというのであればおのずと似た歌詞になるということでしょうか。当時の花岡小には後に教育長や学校長になる青年教師がそろっています。学校を盛り上げようという彼らの気概が一致して歌詞の応募になったのかもしれません」と話す。

 この2編だけでなく入選歌詞5編に盛り込まれた風物や歴史は重なり合うところが多い。当時の秋田魁新報によれば応募した41人の多くは小学校の教員だった。

 歌詞を審査したのは教員養成学校である秋田師範学校や女子師範の教諭旧制秋田中学の教諭県の社会教育主事ら6人。筆頭は秋田師範校長の和田喜八郎だった。

 北秋田郡鷹巣村(現北秋田市)生まれの和田は秋田師範教諭だった明治33年に「秋田県唱歌」を作詞している。「汽笛一声 新橋を」で知られる鉄道唱歌にならって秋田県内一円の名所旧跡を盛り込んだ歌詞は66番まであったという。

 「日本海を西にうけ 御物米代子吉川 三つの流れの潤いも 広くゆたけき秋田県」「秋田神社にぬかづきて いさお仰ぐや佐竹侯 招魂社には国のため 忠死の人をしのぶかな」「西にほどなき町ぞこれ 世にも名高き農学者 信淵翁の生まれたる 西馬音内てうところなる」

 この時期全国各地で同じような唱歌が作られている。地理や歴史の知識を歌うことで子どもたちに身に付けさせようという意図があった。

 秋田県唱歌の内容は教師たちにとって必須の知識でもあっただろう。県民歌の歌詞とも通じ合う。

平成二十二年十月二十七日

誕生八十年秀麗無比なる 県民歌の時代
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by unkotamezou | 2010-10-27 00:09 | 歴史 傳統 文化