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昭和天皇を護った二人のキリスト者(下)
昭和天皇を護った二人のキリスト者(下)

天皇を処刑して、共産革命を引きおこそうととするソ連の野望にフェラーズは立ち向かった。


1.マッカーサーへの意見書

 フェラーズは、天皇が帰られた後に、執務室に閉じこもり、マッカーサーへの意見書の仕上げに没頭した。意見書の原稿を書き上げると、すぐに恵泉女学園の河井のもとに届けさせた。

 河井からの意見をもとに修正し、再度チェックを受けてOKを貰ったのが10月1日。翌日、フェラーズは完成した意見書をマッカーサーに提出した。二人の合作と言ってよい。

 意見書では、冒頭で「彼らの天皇は、祖先の美徳を伝える民族の生ける象徴である」と、ハーンから継承した天皇観から説き始め、次に今回の戦争に関しては、「天皇が自ら起こしたものではないことを立証しうる」と述べた。続いて、
 大衆は、裕仁に対して格別に敬慕の念を抱いている。彼らは、天皇がみずから直接に国民に語りかけることによって、天皇はかつて例がないほど彼らにとって身近になると感じている。和を求める詔書は、彼らの心を喜びで満たした。

 彼らは天皇がけっして傀儡などでないことを知っている。また、天皇を存置しても、彼らが選びうる最も自由主義的な政府の樹立を妨げることはないと考えている。[1,p225]
 最後の一節は、軍国主義を復活させないためには、天皇制を廃止する必要がある、という連合国内の意見に釘を刺したものである。


2.戦争裁判で天皇を裁けば
 無血侵攻を果たすにさいして、われわれは天皇の尽力を要求した。天皇の命令により、700万人の兵士が武器を放棄し、すみやかに動員解除されつつある。天皇の措置によって何万何十万もの米国人の死傷が避けられ、戦争は予定よりもはるかに早く終結した。
 フェラーズは同様の文章を家族の手紙にも書いており、この部分はまさに彼の実感そのままである。
 したがって、天皇を大いに利用したにもかかわらず、戦争裁判のかどにより彼を裁くならば、それは、日本国民の目には背信に等しいものであろう。それのみならず、日本国民は、ポツダム宣言にあらまし示されたとおりの無条件降伏とは、天皇を含む国家統治機構の存続を意味するものと考えている。

 もしも天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に付されるならば、統治機構は崩壊し、全国民的反乱が避けられないであろう。国民は、それ以外の屈辱ならばいかなる屈辱にも非を鳴らすことなく耐えるであろう。
 後半は河井道の「陛下が殺されるようなことがあったら、血なまぐさい反乱が起きるに違いありません」とフェラーズに語った言葉に基づくもののようだ。

 そして「それ以外の屈辱ならばいかなる屈辱にも耐えるであろう」とは、「堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に太平を開かむと欲す」という終戦の詔勅を思わせる。これも終戦の詔勅に関して、「天皇の父親らしい戒めに対して、国民は孝心を明らかにして従順に従ったのであった」と語った河井の思いが反映しているのだろう。

 フェラーズの意見書には、河井を通じて、当時の日本国民の天皇への「敬慕の念」が注ぎ込まれていた。


3.「相互の尊敬と信頼と理解」
 彼らは武装解除されているにせよ、混乱と流血が起こるであろう。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍を必要とするであろう。占領期間は延長され、そうなれば、日本国民を疎隔してしまうことになろう。

 米国の長期的利益のためには、相互の尊敬と信頼と理解にもとづいて東洋諸国との友好関係を保つことが必要である。結局のところ、日本に永続的な敵意を抱かせないことが国家的に最も重要である。
 意見書はこう結ばれた。「相互の尊敬と信頼と理解」という言葉には、初めて来日した時に「日本は魅惑的で美しい。神秘に満ちた心温まる国だ」と感じて、河井らとの交友を築いてきたフェラーズの体験が窺われる。そうした友好関係こそ「米国の長期的利益」となる、というのがフェラーズの信条であった。


4.「ソ連は、日本に革命が起きることを望んでいる」

 2日おいて、10月4日にフェラーズは第2の覚え書きを提出した。
 ソ連は、日本に革命が起きることを望んでいる。我が国(アメリカ)の政策は、革命を期待しているかのようだ。革命には、天皇の排除が最も有効なのである。[2,p89]
 当時、ソ連の共産党機関誌「プラウダ」は激しい天皇制批判を繰り返していた。また日本共産党も「戦争犯罪人追求人民大会」を開き、1600人にのぼる戦犯リストの冒頭に昭和天皇を挙げていた。

 天皇が戦犯裁判で処刑となり、国中に反乱が起きれば、それが共産革命の引き金になり、日本を共産陣営に追い込む結果となりかねない。フェラーズは危機感を募らせていた。

 10月2日、皇族の梨本宮守正元帥が、そして6日には元首相・近衛文麿、天皇側近の内大臣・木戸幸一が戦犯容疑で逮捕された。皇族と側近にまで逮捕の手が伸びていた。


5.マッカーサーの回答

 11月29日、アメリカの統合参謀本部は、マッカーサーに対して指令を伝えた。
 裕仁は、戦争犯罪人として逮捕・裁判・処罰を免れてはいないというのが米国政府の態度である。天皇抜きでも占領が満足すべき形で進行しうると思われる時点で、天皇裁判問題が提起されるものと考えてよかろう。[2,90]
 米国政府は天皇訴追を十分ありうるものとして、マッカーサーに判断に必要な証拠の収集を命じた。この回答として、翌昭和21(1946)年1月25日、陸軍参謀総長アイゼンハワーあてに電報が送られた。
 過去十年間に、程度はさまざまであるにせよ、天皇が日本帝国の政治上の諸決定に関与したことを示す同人の正確な行動については、明白確実な証拠は何も発見されていない。
と始まるこの回答で、まず大日本帝国憲法はヨーロッパの立憲君主制と同じ原則に則っており、内閣が行った政治的決定を天皇は裁可するだけで、拒否する権限はなかった事が説明されている。
 昭和天皇は立憲君主の立場をよくわきまえ、可能なかぎりその原則に従って行動した天皇だった。帝国議会の議決を裁可しなかった例は一度もなかったし、国務大臣の補弼(ほひつ)を俟(ま)たずに大権を行使する独断政治を強行したこともなかった。

 つけ加えれば、日米開戦までの過程で戦争を避けるために、自らの立場で可能な範囲で軍部や内閣に意見を述べている。昭和天皇は決して好戦主義者ではなかった。外交交渉を優先させることで、なんとか戦争を回避しようと努力した。
 最後の一節には、また河井道の影響が窺われる。河井はフェラーズに勅語や御製を示して、天皇の平和を求めるお気持ちを伝えていた。恐らくは、開戦前の御前会議で昭和天皇が「四方の海みなはらから(同胞)と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ」との明治天皇御製を示されて、再度の外交交渉を求められた事もその中にあっただろう。


6.「あれはカワイ・ミチから授かったものだ」

 続いて、回答書では天皇を訴追した場合に、「日本国民の間に必ずや大騒乱を惹き起こし」、そのような事態に対処するには、百万の軍隊と数十万の行政官が必要となる、としている。主張の内容は、フェラーズの覚え書きをそのまま引き写したものである。

 マッカーサーはフェラーズの覚え書きを机の左の引き出しの一番上に入れ、しばしば取り出しては読んでいた。フェラーズは後に語っている。
 私はあの覚書の内容について自信が持てなかった。あれはカワイ・ミチから授かったものだ。彼女は実に偉大な女性だった。彼女が私を助けてくれた、彼女は知らないだろうが、マッカーサーの天皇に対する態度に、彼女は大きな影響を及ぼしたと思う。[1,p228]
 このマッカーサーの回答書で、米政府の天皇不起訴の方針は固まった。


7.東条の覚悟

 米国はこれで固まったが、ソ連は強硬に天皇訴追を要求していた。3月2日から東京に終結した連合国各国の国際検察局による被告人選定作業が始まった。

 フェラーズはこの時期、天皇の無罪を立証すべくあらゆる手を尽くした。3月6日、終戦時の海軍大臣・米内光政を総司令部に呼んで、こう言った。
 ・・・ソ連は全世界の共産主義化を狙って、日本の天皇制とマッカーサーの存在を邪魔にしている。アメリカ国内でも上層部に天皇を戦犯として裁くべきだとの主張が相当ある。

 その対策としては、天皇が何ら罪のないことを日本側が立証してくれることが最も好都合だ。そのためには近々開始される裁判が最善の機会だと思う。この裁判で東条に全責任を負わせるようにすることだ。

 そこで、東条に次のことをいわせてもらいたい。開戦前の御前会議において、たとえ陛下が反対されても、自分は強引に戦争にまでもっていく腹をすでに決めていたと。[1,p266]
 米内は「まったく同感です」と賛同し、獄中の東条に弁護人を通じてフェラーズの意を伝えた。東条は答えた。
 そんなことは心配ないと、米内君にいってくれ。おれが恥を忍んで生きているのも、この一点があればこそだ。
 東条は東京裁判において、大東亜戦争は自衛戦であり国際法に違反していないこと、また開戦の決定は内閣の責任であり、昭和天皇が拒否権を行使されることは、憲法上も、慣行上もなかったことを堂々と述べた。[a,b]


8.「昭和天皇独白録」とバイニング夫人

 フェラーズはさらに次々と手を打っていった。第2の手は昭和天皇ご自身に直接語っていただくことだった。風邪を引いて寝込まれていた昭和天皇に、戦争への関わりと思いを語ってもらい、寺崎英成ら側近たちが記録した。この記録は44年後に発見されて「昭和天皇独白録」としてセンセーションを起こした。その英語版がフェラーズの残した文庫から発見された。

 この文書がどのように使われたのかは分かっていない。ただ、天皇不起訴という決定に対して米世論が反発した場合、あるいは天皇が証人喚問された場合には、この文書が使われただろう。[2,p149]

 フェラーズがもう一つ打った手は、皇太子にアメリカ人女性の家庭教師をつけることだった。それによって欧米の世論を軟化させようというのが、狙いだった。フェラーズが選んだエリザベス・バイニング夫人は、彼と同じクエーカー教徒であり、また夫人の児童文学者としての才能と評判を彼はよく知っていた。

 バイニング夫人は4年間、皇太子の家庭教師を務め、帰国後の1952年に著した『皇太子の窓』はアメリカでベストセラーとなり、皇室に対するアメリカ人のイメージを変えるのに大きな役割を果たした。


9.「天皇陛下を戦犯より救出したる大恩人」

 東京裁判開廷から2ヶ月過ぎた昭和21(1946)年7月、フェラーズは陸軍を退役して帰国の途についた。その際に、次のような手紙を、天皇の側近・寺崎英成に書き送った。
 あなたの有能な上司、すなわち天皇陛下に次に会うとき、私の気持ちをぜひ伝えてください。私が日本を去るのは、私が日本にいるよりもアメリカに帰った方が、日米両国の相互理解の増進により多くの貢献ができると確信したからです。天皇陛下に心からの敬意を払っています。[1,p273]
 フェラーズはこの言葉通り、帰国後は全米各地を回って極東問題やソ連についての講演を行い、雑誌に記事を投稿した。『リーダーズ・ダイジェスト』1947年7月号には、『降伏のために戦った天皇裕仁』と題して、昭和天皇を讃えた。その中ではソ連が東洋における支配的地位を狙って、日本からの和平斡旋の依頼を握りつぶして、戦争を長引かせ、自らに最も好都合な時に対日戦を始めた事を指摘した。

 1950年2月、ソ連は突如として天皇を細菌化学戦争の計画立案に関わった罪で「追加戦犯」として、国際軍事法廷で裁くことをアメリカに求めた。しかし米国は解決済みの問題として、これを黙殺した。

 昭和46(1971)年2月、日本政府はフェラーズに対して、勲二等瑞宝章を贈った。その申請書にはこう書かれていた。
 ボナー・フェラーズ准将は・・・連合国軍総司令部に於ける唯一の親日将校として天皇陛下を戦犯より救出したる大恩人である。[1,p190]
(文責:伊勢雅臣)

参考
岡本嗣郎「陛下をお救いなさいまし―河井道とボナー・フェラーズ」ホーム社
東野真「昭和天皇二つの『独白録』」日本放送出版協会

国際派日本人養成講座 平成十七年四月三日 三百八十九号
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by unkotamezou | 2005-04-03 06:30 | 歴史 傳統 文化