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調査捕鯨の意義語れ

 南極海で行われている日本の調査捕鯨活動に対して、今年も反捕鯨団体シーシェパードによる執拗な妨害が続いた。2月15日にはメンバーの男が調査船団の1隻に不法侵入した。

 彼らは船を体当たりさせてきたり、海にロープを投げ込んでスクリューにからめようとしたりする。さらには酸液入りのボールを調査船の日本人にぶつけたり、レーザー光で邪魔をするなど、シーシェパードの妨害は危険で悪質きわまりない。

 日本の調査捕鯨は国際捕鯨取締条約に準拠して行われている。完全に合法的な活動だ。にもかかわらず、シーシェパードの無法ぶりを非難する国際世論は起こらない。それどころか、シーシェパードを金銭面で支援する欧米の有名企業もあるほどだ。

 どうしてこんなことが起きるのか。その軋轢の一端は、日本人と反捕鯨国の人々との動物観の違いに根差している。

 反捕鯨国の人々は、クジラを環境の一部と位置づけている。牛や豚は人間が改良して作りだした家畜だから、それを食べるのは構わないが、野生動物のクジラは別だと考える。捕鯨は環境破壊にほかならず、クジラ保護はかけがえのない地球を守ることにつながるという論理だ。

 これに対して日本人の考えは違う。クジラは魚と同じように利用すべき野生生物との位置づけだ。しかし、むやみな利用はしない。江戸時代には仕留めたクジラに戒名を与え、墓を建てた例もある。「鯨一頭七浦にぎわう」といわれたほどの恵みをもたらしてくれる動物として、感謝と畏敬の念を抱きつつ捕鯨を続けてきたという歴史がある。

 しかし、クジラと日本人の関係を理解している欧米人は皆無に近い。調査捕鯨の意味も知らない。だから、商業捕鯨ができなくなった日本は、調査捕鯨を口実に、クジラを捕り続けていると思い込む。シーシェパードは、そう思わせる映像を世界に流す。

 これが巧みに編集されていて、シーシェパードが正義の英雄役を演じている。情報戦で日本は負けているのだ。また、日本人が鯨肉に執着しているかというとそうでもない。おいしい牛肉や豚肉があふれている現代、日本においても鯨肉の影は、薄くなっている。

 ならば、調査捕鯨をやめても構わないのではないか。そういう声も聞こえてきそうだが、それはまずい。クジラ資源は遠くない将来、貴重な動物性タンパク源となる可能性が高いからだ。

 牧畜には広い土地と大量の飼料がいるので、世界の牛肉生産を今以上に伸ばしていくのは無理がある。世界の海面漁獲量も平成初年代から頭打ちとなり、1人当たりの分配可能量は減りつつある。

 これまでは淡水の養殖魚を食べてきた中国の消費や嗜好が高まるだけでも、動物性タンパク質の不足に拍車がかかるはずだ。

 そのとき、クジラの食用化は、世界の趨勢になるだろう。各種のクジラの生息数や繁殖行動、食性などの基礎データを把握しておかないと、乱獲によって絶滅してしまう。日本が昭和62年から続けている南極海での調査捕鯨は、将来の最適捕獲量を算定するためにも必要なクジラの科学研究なのだ。

 日本の伝統的食文化を主張するだけでは、国際世論の説得は難しい。近い将来を展望した食の安全保障の中にクジラを位置づけることを、世界に語りかけるべきなのだ。

 「水産物奪い合いの時代」の到来が予測されている。その懸念は現実化しつつある。大西洋クロマグロの規制強化などがその例だ。

 13日から始まるワシントン条約締約国会議の動向に注目したい。大西洋クロマグロが絶滅危惧種に指定される可能性もある。そうなると欧州連合は利用できても日本への供給は閉ざされる。

 これとは別に、オーストラリアとニュージーランドは、日本が調査捕鯨をやめなければ国際司法裁判所に提訴する構えをみせている。海の幸を取り巻く波は、四海で高くかつ荒い。

22/03/02 11:08

調査捕鯨の意義語れ 水産物争奪の時代は目の前に
by unkotamezou | 2010-03-02 11:08 | 自然 生活 社會 医療